家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

生き物と波長の合う日

2013-06-27 07:15:03 | Weblog
妻の都合で一人で散歩に出た。

帰り道チロちゃんという猫に会うのを楽しみにしている。

やはり庭に長いロープでつながれていた。

「チーロちゃん」と言って近づいた。

「ナー」と長く鳴いて歩いてきた。

少し遊んでやると今日は私の手のひらを噛む。

「よーし」とこちらも乗ってお腹を撫でてやるとガーッと猛烈な勢いで咬み前足で掴んだ私の腕を後足で蹴る。

手を振りほどくとチロは「フー」とため息をついた。

耳を後ろに倒し目が鋭くなって私の手のひらを狙っている。

こいつ本気モードじゃん。

「またな」と言って立ち去ろうとしたら太ももに飛び上がって手を噛もうとした。

春野に到着して雨戸を開けていると水瓶の中の金魚がバシャバシャと派手な音を立てて餌を催促する。

水瓶に金魚の餌をまいてから庭の様子を見て回った。

みかんの木の下まで来ると「ガサッ」という大きな音と共に獣が現れた。

見るとカモシカだ。

持っていたカメラを構えると山に上がる方向に移動した。

こちらも、どうしても撮ろうと早足で移動する。

すると「ギャー、ギャー」と鳥の声のような虐待されているような大声を立てて山の上に消えた。

「ピュルルルルルル」とアカショウビンの声が隣りの谷からこだました。

きれいな声だ。

まだこの辺りにいるんだなと気分よく敷地に戻ってきた。

すると石垣の中にマムシが潜んでいることがわかった。

いつも草取りをする場所だ。

取っておかないと、こちらが危ない。

棒を数種類用意して退治した。

「ヤレヤレこんな午前中もないな」と縁側に座り地下足袋を脱ぎ始めた。

すると目の前のリュウノヒゲの中からムカデが現れた。

様子が変だ。

2匹が絡んでいるように見えた。

交尾かなと思ったがそうではなかった。

体の半分がしおれている片方を、もう片方が喰っている。

足が互にからみ合っている部分と茶色の頭が夢中で食っている箇所がグロテスクだ。

私の脱いだ地下足袋に入られても嫌だと思い焼き殺すことにした。

トーチで一瞬のうちに黒焦げにした。

エビの殻を焼いた匂いがした。

やっと弁当の時間になった。

室内に入ると匂いが充満していた。

エビの殻でないことは自分がイチバンよく知っている。

いやな感じで始めた弁当だったが、いち早くその臭いで駆けつけたモノがいる。

テレビの音がしていても、はっきり聞こえる大きな羽音だ。

大きな大きなスズメバチだった。

いったいどんな日だ。

二日間同じコースを走った

2013-06-25 06:46:00 | Weblog
秋葉神社の総本宮として有名な秋葉山上社の横を通るスーパー林道を走った。

初日は一人だ。

東京からの友人が明日私たちが走るコースを走りたいと言ってきたためだ。

前日まで雨が続き、このツーリングと会食が成立するかどうか分からなかった。

当日は晴れて絶好のドライブ日和となった。

「鮎を食べたい」との申し出に納涼亭を予約してからモーガンに乗り込んだ。

さて今日のコースの打ち合わせをしていない。

とりあえずスーパー林道を走る。

道路に水が流れている。

鹿が出たしサルが横切った。

待ち合わせ時刻に友人は、やってきた。

なんとスーパー林道とは全く違う道を走ってきたという。

彼は天竜川の流れを見ながら美味しい鮎を堪能して帰京していった。

翌日は8台で走行した。

1930年代のオースチンセヴンも一緒だ。

流石に上り坂はきつく何度も休ませて走る。

ところが下り坂は早い。

ポテンシャルを全く発揮できないポルシェターボと互角だ。

私はオースチンセヴンの後ろを走ってみて以前乗っていたサイドカーを思い出していた。

クックッと切れ込むような曲がり方がよく似ている。

あなどれないスピードでコーナーに突っ込んでいく。

嬉しくなった。

チョコレート色の車体に周りの木々や空が映り込む。

「走馬灯のように景色が変わる」

見とれながら付いていく。

いろいろな車種と、その乗り手たち。

自分とモーガンの相性を確認した。

「オレはモーガンが合っているしモーガンでよかったなぁ」

早くも遅くもなく神経質でもなければ適当にキビキビ走る。

先日購入した籐製のトランクを積み、その上にユニオンジャックのマークを付けてキャリヤーに留めた。

先日これまた購入仕立てのベレー帽のかぶり方を前日東京からの友人に教わった。

車の外見や服飾まで考えるのが私流のモーガンの乗り方。

車のかっこよさには敵わないけど私はカメレオンのように衣服や帽子を変えられる。

モーガンに対する私の一方的な挑戦。


修理のリクエスト

2013-06-22 07:28:48 | Weblog
妻から修理のリクエストを受けた。

台所上に取り付けた天窓だ。

天窓は部屋の中から専用棒を使って開け閉めできる。

ところが長い間使っていてアブソーバーがヘタってきた。

開けておいても、自重ですぐに締まってしまうのだ。

居間の天窓はアブソーバーを交換して直した。

「結構なお値段ですこと」

部品代の率直な私の感想だ。

別の汎用のアブソーバーがあれば、それを使うのだが探してもみない。

たぶん無いから。

窓を開けて締まらなければ良いのだから開けた時にツッカイ棒すればよい。

専用棒で開けたときサイズを計り木でツッカイ棒を作ってみた。

開け閉めの時に使う天窓のレバーに通しておく。

窓を開けるとき少し大きめに開けると、その勢いでツッカイ棒が持ち上がり降りてくるときにちょうど天窓の枠に止まるようにした。

閉めるときには、もう一度窓を開ける方向に押してやれば外れる。

コツさえ掴めばイッパツで決まるようになる。

妻に使い方と原理を教えた。

「ああ。いい、いい」

台所で煙だらけになってもすぐに霧散する。

便利な機構がしばらく使えずに不便だったから、これで便利に戻った。

天窓は4箇所あるからアブソーバーがヘタった順に木のツッカイ棒をはめていくことにする。




足音

2013-06-21 07:24:42 | Weblog
毎朝我が家の前を走り抜ける若者がいる。

「ザッザッザッザッ」と力強い。

もう1年以上になる。

真夏にも彼は毎朝走った。

我々の散歩ですら敬遠したのに彼は続けた。

熱中症や日射病を心配したが無事だった。

この雨で、その足音が聞こえないのが残念だ。

近所に住んでいるらしいが、はっきりした住所地は知らない。

我々の散歩コースと一部一致しているので家の前でなくてもすれ違う。

当初「おはよう」と言っても彼は無視して通った。

聞こえないふりだけでなく目を合わせようとはしない。

どのくらい経ってからかは忘れたが彼も「お早うございます」と小さな声で言うようになった。

「よく続くね」」とか「がんばるね」とか「やせたね」と声をかける。

事実彼はやせた。

それもそのはずだ。

1年以上も走り続けているのだから。

走り始めの頃は、お腹のでっぷりとした青年だと思っていた。

だが、やせてみるとまだ少年であることが分かった。

最近は足音に気付かずにいても彼の方から「お早うございます」と言って走り去る。

足音は力強いが体重が減ったことは、その音を聞いているだけで分かる。

軽やかになったのだ。

やせただけでなく社交的になって顔つきも良くなったと思う。

この夏は、少し自重したほうが良いような気もするが。


追い越し

2013-06-20 07:31:26 | Weblog
幅が狭い割には交通量の多い道路で先頭に老人の運転する軽トラックなどがいるとガッカリする。

50Km/hで走行できるのだが40Km/hか、それ以下だ。

本人が後ろの人たちの走行の邪魔になっていると気づく老人もいて危なくないところで左に寄り道を譲る。

それなら何も問題はない。

道路は早く走れる人だけが使うわけではないのだ。

しかし往々にして遅く走る人は譲らない。

赤信号になってもユルユルと走り抜けてしまったりする。

とにかく判断や行動が遅いのだ。

先日私は狭い国道を走っていた。

先頭はブルーのシエンタ。

次は白のランクル。

3番目は黒のbB。

次にオートバイが入り、そして私。

さらに10台ほどつながっている。

シエンタがカーブの度にブレーキを踏む。

続いてランクルも同じようにブレーキを踏む。

50キロ制限を45キロ程度で走り、そのうえ毎回カーブで速度が落ちる。

たまりかねたオートバイ氏が黄色の車線だが追い越していった。

さすがに私の前のbBもランクルの真後ろで少し接近しアオルような格好を見せた。

もう20分以上もそういう走行が続いている。

黄色の線が「追い越すな」と言っているし、だいいち道幅が狭くて上手な追い越しなどできない。

やっと道幅が広がり白線になった。

真っ先にbBが追い越すのだろうと思ったが、その隊列は崩れない。

しびれを切らして私が追い越しをかけた。

bBを追い越しランクルを追い越した。

bBは男で、なんとランクルも男で若い。

次のシエンタも男で若かった。

その事実が衝撃だった。

女性であるとか老人であるとか何か「しかたないな」という理由が欲しかった。

男で4輪駆動車で若いのに先の見える緩いカーブでもブレーキを踏むとは・・・・。

「晴れて釈放」という気分で先頭に躍り出た私は、さらに衝撃を受けた。

私の後ろに誰も付いてきていなかったのだ。

最近の自宅作業

2013-06-19 07:16:53 | Weblog
雨の時には春野に行くことが少ない。

でも晴れていても何かやることが入ると行かなくなる。

そんな時には溜まっていた自宅の修理作業をすることになる。

網戸の張替えをした。

何年かに一度忘れた頃やることになる。

指示書に従って貼っていった。

初めのL字型は、そのまま。

残りのL字型は少し網を引っ張ってピンとなるようにする。

そのとおりやっていった。

はずであった。

が、しかし最後の最後で少しシワができてしまった。

もうやり直したくないので正直に妻に申告すると

「ああ。いいよもんだいないよ」と言ってくれた。

ドブ板の隙間に入れてあった木材が腐ってしまった。

なぜかコンクリートのドブ板に隙間があるのだ。

今度は板じゃなくてコンクリートで作ることにした。

縦40センチ横4センチ深さ5センチだ。

紙で、その形を作り底には4×40のベニヤを敷いた。

春野で砂利と砂とセメントを混ぜてビニーり袋に入れて持ってきた。

容器に移して水を加えて練り流し込んだ。

うまくいったのだが、ほんの少し高さが足りない気がする。

計算よりも少し多めにコンクリートを用意したのだが。

まあ足が落ちて転ぶほどではないからいいか。

水撒きホースを枕木に固定した。

20メートルもあるホースを巻き取るときホースを入れる容器そのものが動いてしまって巻取りにくいのだ。

枕木にカスガイを打ち、そこに荷造り用のPPバンドで固定した。

これはうまくいった。

妻から感謝された。

どの作業も感謝されたが自分の納得のいくものしか嬉しくない。

なぜか納得のいく作業が少ない。

不器用だからに決まっているが「なぜか」ということにしておく。


合流

2013-06-18 07:08:00 | Weblog
ある信号のある交差点でのこと。

私は青信号で直進していた。

左折合流してきたおばちゃんは、そのままノーブレーキで私の車線に入ろうとする。

一切自分の合流する相手車線の様子を見ようとしない。

そのままで行けば私の車と鉢合わせする。

咄嗟に右に出て(勿論黄色車線だけどシカタナイ)回避した。

助手席の妻が「ヒャー私が怪我するじゃないの」と叫んだ。

その後、そのおばちゃんは怖かったと見えて時速30Kmくらいで走行し今度は後ろの人たちの足でまといになっていた。

最近合流で危なかったのがこれで3回目だ。

1回目は3車線の国道の右車線を走っていた。

その車線は、そのまま右方向に曲がり、その下を走る4車線の国道に合流する。

4車線の国道の左側車線を走っていくと我々に合流してくる車線がある。

私は、すぐ左に下りるので、そのまま同じ車線を走る。

トヨタIQが合流するようだ。

しかしそのまま走ってくると私の車とぶつかる。

少し様子を見たが相手は様子を見ていない。

私がブレーキをかけて譲るべきものではない。

少し加速して前に出た。

するとIQ氏はブレーキをかけて合流した。

ミラーで見ると憤慨しているようだ。

すぐ私の右側に走りより何か文句を言っている。

「お前が下手くそなんだよ」と多分私も言ってやったと思う。

同じ場所を妻と走っていたとき「先日ここでぶつかりそうになってな」という話をしていたら本当に車が走ってきた。

「まただよ。これ、間違いなくぶつかるだろ?」と妻に言うと

「そうね」と確認した。

しかたなくスピードを上げて、その車より前に出た。

横にその車が並んだとき運転手を見て驚いた。

制服を着ていた。

つまり覆面パトだったのだ。

もしかして、そのままスピードを上げて走っていくと、すぐさま「御用」となる。

ここで疑惑が湧いた。

スピードを上げさせるためにぶつかるような速度で侵入してきたのではあるまいな?

?????怪しい。

講師は大谷康子さん

2013-06-15 08:56:27 | Weblog
軽やかな話の中に軽やかなヴァイオリン演奏が入る。

見れば赤と緑の衣装に身を包んだ美女。

耳も目も忠実にその現実を脳に伝え脳はさらにプラスアルファーして今の現実を夢のように感じ取る。

シューマンと彼の妻のクララそしてブラームス。

作曲家や演奏家として有名な彼らだが人間として考えると、そこに3角関係が浮かび上がる。

ゴシップが大谷さんの口から出てくることに会場は皆一様に歓迎ムードになり、その視点からブラームスを聴いてみたくなるという「目からウロコ」的な発見をした。

曲の一部を取り出して分析し演奏してくれる。

「ちょっと強調して弾いてみますね」というサービス付きだ。

とても解りやすくなって音楽の楽しみが増す。

これから成長していく子供たちに、そしてもう複雑な話は聞きたくなくなってきている我々にも心地よい。

「美しいメロディーが心の中に入ったとき、とてつもない強い力が出てくる。ある人は落ち着き、またある人は勇気が出てくる」

大谷さんの語る、そんな音楽感が私には心地よかった。

アンコールを弾き終えて「気合が入っちゃって早くなっちゃってスリリングでした」と感想を述べた。

なんと飾らない人なのだろうと大谷さんの性格を好ましく感じた。

最後に我々の間を縫って演奏された。

大谷さんが後ろを向くと裏側の音になり、こちらを向けば表の音になる。

目の前を通過するとき強大なエネルギーを感じた。

1708年製のグァルネリの300歳を超えた響きだ。

低音のウナリと高音の透明感が素晴らしい。

私の後ろに位置した少年は思わず立ち上がって逃げ出した。

ちょっと驚いたが「そうだよな。それくらいエネルギーの強さを感じるよな」と彼の素直な行動を見て自分の感受性が彼と同じくらいあることを嬉しく思った。


眼の近くを傷つけた

2013-06-11 08:04:51 | Weblog
足場の悪い斜面で作業していた。

斜面の下は道路。

斜面は雑木や草で覆われている。

そこをスッキリさせようとしていた。

ハサミでアオキを切った。

ハサミを腰につけたケースに収めた。

と、そのつもりがケースから外れて地面に落ちた。

ハサミが道路まで転がってはいけない。

しゃがみこんでハサミを拾おうとした。

その瞬間「ガッ」と顔に衝撃が走った。

ずいぶん前に切り取ったアオキの枯れた茎が、そこにあった。

茎は私の鼻筋と右目の間を突いた。

さいわい茎の先端は尖っていなかった。

そのため打撲と顔の皮膚をかじるのみで済んだ。

「いてえー。よかったなぁ、よかった」と右目の周りを作業手袋の甲で押さえた。

もう少しのところで右目を失うところだった。

少しの出血だけで終わった。

作業を中断して家に入り鏡を見てみた。

先端が尖っていないとしても棒で思い切り突かれたに等しいため茎の輪郭のように切れていた。

出血はすぐに収まりティッシュ1枚で足りた。

気を取り直して作業を続けた。

帰宅すると妻が私の顔を見て血相を変えた。

「どうしたの」

簡単に説明して笑った。

私の笑い顔を見てさらに驚いた。

前歯が1本抜けていたからだ。

この作業と関係なく差し歯が抜けた。

傷があって出血したばかりの顔に前歯が1本無い今の私。

ちょい悪オヤジどころか極悪ジジイに見える。

しばらくは顔に傷のある怖い爺さん顔と付き合うことになる。



講師は渡辺誠弥さん

2013-06-08 07:36:38 | Weblog
講師は渡辺誠弥さん。

これで「のぶや」と読む。

もとNHKアナウンサーだったので滑舌は流石だ。

しかし年を取れば忘れることも多い。

話が途中でそれると「なんの話だっけ」と元に戻れなくなる。

一つ一つのエピソードは詳細にわたり人の名前もきちんと出てくる。

本人は「ヨタ話ですが」と言うが説得力のある実話だった。

だが「話には少しの嘘を入れたほうが面白くなりますよ」ともいう。

松尾芭蕉も、そうだったと。

職業上各界の超人たちとの交流があり、だから話題が豊富で深い。

説教じみた話ではなく楽しく聞かせてくれる。

ともするとスーッと流れてしまいそうになる。

だが濃い内容だし忘れてはならない話だ。

言葉としても人の「縁が円になった」とか

「人生はいつでも愛(あい)より始まり運(う)は縁(え)に支えられ恩(お)を忘れる
な」と母音のあいうえおを並べてみせる。

知識と経験がぎっしり詰まっていて、さらに自分をよくわかっているので良い方向に行動されている。

人生を楽しんでいることこの上ない感じだ。

「人生は思い通りになる、望まなかったらならない」

確かに岐路では自分の望む方向を選んでいて、人生は岐路で出来ているし、その集大成が今なのだ。

「神様に願い事を10ほど言いなさい」

つまり10くらいは常に願いを持ち、その実現方向を向いていろということだ。

神様には、お礼だけを述べて願い事などするなという考えだった私だが、つまりは神様にお願いしたいほどのものがないともとれる。

つまり人生をもったいなく生きていたのかもしれない。

「暗示があった時に立ち止まって考えるかどうかで、その人の人生をを左右する」という。

暗示を見逃さないようにしたいものだ。

渡辺氏の話も、うっかりすると笑うばかりで宝を掴み損なうところだった。