家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

油ゼミ

2006-08-30 09:04:44 | Weblog
油ゼミといってもオイルに関するゼミナールではない。
油蝉のことである。

午前5時頃に妻が起き出した。麿君が外に出たいと言ったので窓を開けたのだ。
妻はトイレに寄り、再びベッドに戻ってきた。寝転んだと同時に
「ジジー」 「バタバタ」 「ジーッ」 とけたたましい音が次第に近づいてきて、とうとう部屋中に鳴り響いた。
麿君が油蝉を捕まえてきたのである。
捕まえた獲物を妻に見せようとして妻のベッドに持ってきた。
「うわぁ~~。 あ゛~」 と妻はベッドから飛び降りた。
逃げ出した妻を追いかけるかのように麿君は獲物を妻の居る方に咥えて持っていった。
隣の部屋で 「ビー」 「ジジッ」 「バサバサ」 という音が鳴っては止んでいる。

私は何事が起きたのか音で全てを理解していたので、そのまま目も開けず、もう一眠りした。
1時間後に起きて行くと妻も麿君も落ち着いていた。
床に転がる油蝉は片側の羽を広げた状態で息絶えていた。
遺骸を私が片付けて、いつも通りの朝の始まりとなった。



托鉢

2006-08-24 08:56:16 | Weblog
托鉢の僧が来た。

ちょうど私は玄関の外にいた。
僧は私を無視して玄関に佇み家の中に向けて経を読み始めた。
私は僧に近づき「ご苦労様です」と言った。
僧は「高野山 金剛峰寺から托鉢に来ました」と言った。
年齢は55歳から60歳ぐらい。笠を被り左手には托鉢用と思われる木製の器を持っている。中には1枚の5千円札と何枚かの千円札が見えた。右手に鐘を持っている。黒い袈裟を着て白色の地下足袋を履いていた。
私は、いろいろなことが頭に浮かんできたので、質問させてもらった。
「托鉢とは珍しいですね」
「はい。荒行としてやっています」

「どちらに宿泊されているのですか?」
「寺に泊まっています。寺は宗派を問わず私のような者を受け入れしなくてはいけないのです」

「失礼ですけど、この托鉢で集まったお金は、どうなるのですか?」
「お布施ですか?これは有効に使わせていただくということです。寺の修理だけで年間10億円かかります。その他に末寺までめんどうを見なくてはいけないのです。ですから浄財として使うのです」

僧は経を読み始める。

するとまた私の質問。
「済みません。もう一つ・・・・・・・・・」

「私も長く托鉢をやっているが、こんなに長く話をしたことはない」
「管長は松長某某。私も院を持っていて檀家が4千7百人居ます」
「朝と夜は寺で出されたものを食べますが昼は一切食べていません。袈裟がぼろぼろになろうと修行を続けなくてはならないのです」

僧が経を読もうとすると質問が浮かんでくる。
「あの、済みません・・・・・・・・・」

「10月に高野山に戻らなくてはいけないので、それまでに修善寺まで行きます。そういう予定を立てて出てきました」
「私も高野山大学に行きます。生徒に教えなくてはならないのです」
「なぜ荒行をするかと言いますと机上の空論ではいけないのです。自分で苦しみに耐えてこそ人々に対して説得力を持つのです。若い者は一発で見抜きます」
「高野山大学を出てきても、それだけでは本山には残れません」

私の質問がしばし途絶えた。

すると僧は経を読み始めた。

私はその姿を真横でだまって眺めていた。
経を読み終えたら1000円を渡し、ついでに妻を呼んで僧と一緒に写真を撮ってもらおうと考えていた。
しかしほとんど経らしい経は読まず頭を下げてさっさと立ち去ってしまった。

その姿を見て私は 「疑わしい」 と思い始めた。

托鉢用の器の中。上に5千円札があり、その下に何枚かの千円札でコインは無い。
もし私が布施をするとしたら、たぶん千円になるであろう。それは器の中のお金を見て決める可能性が高くそれを見越していたのではないかと思われる。
しかしお布施などは料金とは違い、いくらでもよいはず。だからコインがあってもよさそうなものだ。それが札ばかり。しかも5千円札が一番上に乗っている。最後にお布施した人が5千円を出したのかもしれないが私の家の周りで、そんな多額のお布施をする人がいるとは思われない。わざとらしさを感じる。

左手にしている腕時計がチラッと見えたがピンク色のカルティエのように見えた。高額な時計でないとしても、少なくとも僧らしくないデザインの物であった。

声はよく透り読経で鍛えられた坊さんの声にも思えるが肝心のお経が聞いたことも無いようなもので、はっきりと発音せずインチキくさかった。

私の質問に答えるが少しずつはぐらかしているような節が見受けられた。

矢継ぎ早の質問に少し苛立ちを感じているらしく、僧の目が「もう黙れ」と言っていた。

「若者は一発で見抜く」と言ったとき「おまえは見抜けないのか」というようなプレッシャーを感じさせた。

立ち去っていくとき衣の後ろが白く汚れ少し擦り切れたところもあった。これも演出のように見えてしまった。自分で荒行だと言うし、いかに托鉢が厳しいものであるのかの証明になるようにしてあるように思える。こちらに関しても、わざとらしさを感じてしまう。

僧を疑う自分の姿。

今の世を渡るには手堅いのかもしれない。

寂しい世の中になったことも事実だ。

つい

2006-08-23 09:27:14 | Weblog
コンサートを見に行った。
といっても何某先生門下生のコンサートである。
まだアマチュアであるが中には、ほとんどプロと同等の生徒も居る。
場内は出演する生徒とその家族らしい人々が家族単位や友人単位で座っている。

さて演奏が始まると小さな子供たちの話し声が、なかなか止まない。
注意しようかなと思っているうちに止む。
次の演奏者のときも、また次の演奏者のときも同じであった。
一旦話をし始めると演奏が始まっても、すぐには止められないようだ。
これはいつか注意しなければと思っていた。

次の演奏が始まったとき、今度は子供たちの引率者である大人同士が話をし始めた。
思わず振り返って  「ウルセエナア」   と口走ってしまった。

「静かに」 とか 「シーッ」 とか言いようがあるものを。

その後しばらくの間は静かに演奏を鑑賞できた。

ショパン、モーツァルト、リスト、バッハ、ラフマニノフ。

いずれも名曲ばかり。

ただ私の発した品のない言葉が自分自身の気持ち良さに水をかけてしまった。

夜火事

2006-08-21 09:43:16 | Weblog
眠っていたらサイレンの音が聞こえた。

サイレンは移動するが、なかなか消えない。

また別のサイレンが近づき鳴り響いている。

妻が起きだし、しばらくして私を呼びに来た。

「ねぇ 近くで火事みたいよ」

時計を見ると12時である。まだ寝たばかりであった。

二人で屋上に上がった。

ドアから出ると焦げ臭い匂いがした。

歩いて5分くらいの位置に火事現場があった。

消防士の怒鳴り声が聞こえてくる。

炎は既に見えず水蒸気と煙が夜空にモクモクと広がっていた。

まだ駆けつけてくるサイレンの音が聞こえる。

次に現場から離れていくサイレンがあり姿が少し見えた。

救急車だった。

今朝の新聞によるとけが人はなかったようだ。

30年目のお礼

2006-08-15 07:52:56 | Weblog
30年前私は試練を受けていた。

妻との結婚について反対にあっていたのだ。

妻の両親は反対、私の母は賛成。父は知らん顔。
反対2 賛成1 棄権1 という境遇の中、妻側の伯父と叔母が賛成に回ってくれた。
これに心強くした我々は結婚に踏み切ることができたわけである。

それから30年の年月が経ち義父も義母も幸せに逝った。

愛妻家という言葉を酒酒(しゃーしゃー)と名刺に書き込める私の原点が、ここにあるのである。

その伯父は亡くなってしまったが叔母とその娘と一緒に温泉旅行に行ってきた。

叔母を目の前にして自分のしてきたことを誇らしげに思って臨んだ。

叔母は認めてくれた。

しかし、同時にまだ30年しか経過していないことに気が付いた。

まだあと何年妻と生活できるのか分からないけれど残りも一所懸命であることを叔母に誓った。


ヨーロッパの田舎にて

2006-08-12 09:43:39 | Weblog

ぬくもりの森」に行った。

中庭にて「Morg庵工房なか」 中氏製作のオリジナル ボディカヴァーを被せてみた。

カヴァーを被っていても中がモーガンであることが見て取れる。

家訓は「遊」の遊の文字が書かれていて私のものだということが一目で分かる。

既製品には無い身体に合わせた質の良さが上品に仕上がっている。

 

景色はあたかもヨーロッパの田舎の風情。

自分の車を眺めつつ美味しいものをいただいた。

何という贅沢なのだろう。


銭形平次

2006-08-06 10:11:30 | Weblog
先日車で走っていたらパトカーが同じ所に数台止まっていた。
通り過ぎるときにチラッと見たら数人の警察官が見えた。
何かの捕り物なのだろうと思った。

次の瞬間何故か脳裏に 「銭形平次」
と連想ゲームのように浮かんだ。

野村胡堂作のTV番組が浮かんだのである。

別に浮かんだぐらいどうってことはないのだが、連想って、けっこう、その人物の知識教養が現れるものだと思う。


次に何かを見て「水戸黄門」を連想したら自分の脳味噌は老朽化しているかもしれない。

夜の侵入者

2006-08-01 08:56:52 | Weblog
麿君がクロアゲハを追っている、と誤解した。

家の中に侵入し麿君が追いかけていたのはコウモリだった。

階段脇に置いてあった荷物の辺りに隠れたらしい。

麿君が出てくるのを、じっと待っている。

私が観察したところによると階段には、いろいろな隠れ場所がありコウモリの性質からいって、もっと上の方に居るのではないかと感じた。

しかし麿君は一箇所にのみ集中している。

とうとう麿君が手先を入れて追い出す行動に出た。

私も少しの荷物を移動させて手助けした。

麿君は階段の板と荷物の間に手を差し込んだ。

たまらずコウモリが出てきた。しかし元気がないようでポトッと見えるところに落ちた。

麿君がコウモリを捕まえる前に私が麿君を捕まえてタンス室に入れて戸を閉めておいた。

先日のカエル以来再び私の身の上に降りかかった試練であった。

軍手をしてみたが、もしも噛まれたときに、これでは心もとないと思い火バサミを持ってきた。

しかし火バサミでコウモリの体をきちんと挟めるだろうか。

そして、あまり強く挟むと死んでしまわないだろうか。

しばしの間 あーでもない、こーでもない と思案した。

コウモリの姿を見ながら、もしつかめなかったらと考えると少し怖くなってきた。

家の中に入ってこないように階段のドアを閉めることにする。その方がもしもの時に好都合だ。しかしそうなると、狭い所での作業になるので、よけいにコウモリをつかみにくい。

意を決して行動した。

火バサミで体をつかむ。

失敗だ。

コウモリはバタバタと羽を動かして抵抗し火バサミから逃れた。

幸い飛び立つ力が弱くて下に落ちた。

今度はつかみ易い位置にきた。

「えいっ」 やった。  今度こそやった。

ドアを空けてコウモリを持ち出した。

恐怖におののく妻に写真を撮ってもらった。

その後窓から退散してもらった。