家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

丸メガネ

2015-03-29 08:43:22 | Weblog
丸メガネを見つけた。

メガネ屋ではない。

骨董市だ。

メガネケースは、面白い形をしているしメガネが中にピタリと収まる。

メガネ拭きの布には時計店の名前と住所電話番号が書かれている。

高林時計店とある。

今はメガネだけの店が多いが以前は時計とメガネの両方を扱う店はたくさんあった。

その住所が浜北町となっている。

現在は浜松市浜北区だが、そうなる前は浜北市。

だから、それ以前ということだ。

電話番号にしても「電話六二三番」とだけあって局番がない。

「いったいいつ頃のものなのか」と知りたくなってしまう。

掛けてみると右側のレンズが、かなり強い老眼になっている。

耳にあたる部分はスプリングのように耳に沿って丸く掛ける式だ。

一山式で鼻に当たるパッドはない。

気に入った、かなり。

どうしても欲しい。

「これ、いくらですか」とさりげなく、欲しそうではなく聴く。

「3000円です」と応えた。

それをさらに負けさせて購入した。

私に度の合った遠近のレンズを入れた。

東海林太郎のようだと妻に言われた。

私も「こりゃあ大正生まれのようだな」と感じる。

いつものメガネ屋さんも「丸メガネがお似合いですね」と笑いをこらえて褒める。

最近わりあい丸メガネが流行っているように思う。

「いかにも」という丸メガネが多い中で私のは本物の古い物。

かねてより私の祖母の銀色の丸メガネが欲しいと思っていた。

祖母の丸メガネを触っているうちにレンズが外れてしまったことがある。

その出来事があってから私は丸メガネが気になるようになった。

これを、祖母の丸メガネの代わりとして大事にすることにした。






長引く不調

2015-03-28 09:28:13 | Weblog
もう2ヶ月を超えた妻の誕生日に始まった下痢。

夜中にオシッコに起きることはあったが下痢で起きるのは辛い。

若い頃から下痢はよく起きたが、自分にピッタリ合う漢方薬を買い置きしてあるので、それを飲めば毎回通常の生活が送れていた。

だが今回は違う。

その漢方薬を飲んでも収まらない。

去年も一昨年も下痢はしていないから「どうなっちゃった」と狼狽する。

妻の勧めもあって胃腸科を訪れた。

問診の後、聴診器を当てて腸の音を聞き触診をした。

そこで処方された薬を飲んだら軟便どころか水のようになってしまった。

その薬を、すぐにやめて次々と薬を試す。

体質が似ているからと母の飲んでいた百草丸を試したがダメ。

春野のY爺さんの勧めの正露丸を飲んだがダメ。

TVで見たビオフェルミン止瀉薬を試したがダメ。

再び胃腸科を訪れた。

試した薬について全て話すと別の薬が処方された。

肛門に綿棒を入れて便培養検査もする。

その結果は細菌感染はなし。

ということは過敏性腸症候群が疑われる。

先生は「ストレスはありますか」と聞くが「ないです」と応えた。

その後は過敏性腸症候群の薬を飲み一進一退を繰り返して現在に至る。

ひとつ気になることがある。

去年の12月1日から免疫力が強くなるというヨーグルトを飲み始めたことだ。

その結果12月15日に細菌感染し1月21日に下痢を起こした。

医師に話してみると「個人的に合わないかもしれない」という。

腸内細菌が精神にも影響を与えているというTV番組を見た。

幸い健全に暮らしているが見えない腸の状態が気になる。

毎日便の状態を見ては判断している。

過敏性腸症候群だと思っていたら大腸ガンだったということがないように検便をしてみたいのだが、まだできていない。

そんな時、妻がアキレス腱を痛めたので二人で湯治に出かけた。

到着日に3回風呂に入りビールや日本酒を飲んで楽しんだ。

その結果翌朝100点の便が出た。

翌日も午前中だけで3回風呂に入り帰宅した。

結果はダメ。

いやはや。

ナンキンハゼ枝払い2015

2015-03-01 11:04:38 | Weblog
毎年恒例の実家のナンキンハゼ枝払い。

今回もY爺さんから軽トラを借用して臨んだ。

ナンキンハゼに上り足場を確認して切る。

まずは敷地内に落下する枝をチェーンソーで切り落とす。

次に道路側に落下する恐れのある枝を注意深く切る。

ある程度細いものは手でつかみながらノコギリで切る。

切り終えたら敷地側に落とす。

下では妻と姉が片付けをしている。

手で支えられないほど太いものは枝元から切らず少し上側を切る。

落下しても軽いから被害はない。

だいたい切り終える手前でノコギリを止め表皮が繋がっているようにして枝を落下させず折る感覚ですすめるから安心だ。

道路上の車約10台が我々を見ている。

赤信号の度に同じくらいの台数が停まる。

去年は、軽トラへの積み込みが、あまりにも無造作すぎたので今回は、ちゃんと枝を払って乗せた。

すると同じ荷台に乗せたとは思えないほど小さくまとまった。

ブルーシートで巻いて、その上をロープで固定するのだが、上からかぶせたブルーシートが平らになるほどだ。

これなら何を積んでいるのか分からないし枝が道路上に散らばることもない。

さて細かな切りくずもホウキで掃いて終了する。

だが、ちょっと違和感があった。

去年は、ここに母がいた。

去年の、この作業後約4ヶ月で逝ってしまうとは誰も気がつかなかった。

たいして手伝うわけでもない母の存在感は、それでも大きなものだったことが分かった。

母の笑顔や満足した様子が我々の作業の報酬でもあった。

報酬が少なくなったこれからは、姪の子供たちに作業を教えることによって満たされていくのだろうと感じた。