家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

ジュビロ磐田の勝った試合

2013-04-29 07:14:54 | Weblog
ジュビロ磐田と湘南ベルマーレの試合を見に行ってきた。

たまに見に行くときには、たいてい負けが続いている時だ。

最近もずっと負け続けていた。

だが今回は違った。

試合開始早々にまず得点したのだ。

そして前半2点後半2点を取り失点はなしという結果だった。

晴天で少し肌寒い風が吹いていたが夕方のスタジアムには両チームの熱い声援がこだまし気分の高揚が身体の寒さを凌いでいた。

テレビ観戦よりも見にくい部分があり、またテレビ観戦では分からない雰囲気などが伝わる。

でも審判の判断が相手に有利だったり、こちら側のボールだったり揺れて見えるのは同じだ。

またジュビロ磐田の応援をしている、その坩堝の中に身を置くと心地よかったり、そうでもなかったりする。

当初「また負けるかもしれない」と思っている輩の言葉が耳についた。

「ほら。またボール取られたし」などマイナス思考な言葉が多く聞かれる。

しかし後半も、もう勝利が濃厚となったときには同じ輩の「もう1点欲しい」という安心から出てくる言葉が出始める。

勝っても負けても良い試合を見たいと思う私は「もう少し勝ち負けにこだわらないで」と思っていた。

だがそんな考え方で見ていたのでは勝てる試合にも負けてしまうという雰囲気があることも実感した。

ホームとアウェーの違いが少し分かった。

得点した途端に立ち上がって万歳する老女を見たりすると会場に居合わせて楽しいなと感じた。

サッカールールもたいして知らない素人の私でも「なんでこちら側にわざわざボールを戻すの」という場面があった。

またクリアーしたはずのボールで一転して危機に陥ることも目撃した。

筋肉質な男たちのぶつかり合いは少し祭りとも似ていると感じた。

少し傾いて歩く癖の選手は「きっと運動し過ぎて骨格が変化してしまった」と勝手に妄想したり、適当にパスしてしまう選手を見ると「試合の全体図が描けてないな」と決め付けた。

声を出し拍手を送りタオルをまわす。

応援というスポーツ参加をしてきた。

楽勝したあとの気分は空腹を呼んだ。

続ナラメリンゴフシ

2013-04-27 07:40:46 | Weblog
ナラメリンゴフシが植物の実に見えたという話は既にした。

その後どうなっているのかということを見てみた。

ツヤツヤと美味しそうな果実を装っていた奴は、少し萎んで色も茶色に変化してきた。

それはまるでリンゴが酸化して変色したようだ。

だから、まだ果実を装っていることに変わりはない。

切り取って観察した。

小枝を掴むような形をしている下側。

だが掴むのは小枝から、さらに出ている小さな枝だった。

しっかり掴んで強い風にも振り落とされることがないように小さな小枝を自分の体内に溶け込ませているようだ。

包丁で割ってみた。

包丁が食い込む感触は少し硬めの果実のようだ。

割ってみたが蜂は出てこなかった。

ナラメリンゴタマバチが「ウジャウジャでてきたらどうしよう」と思っていたが拍子ぬけした。

よく見ると白いなかに少しベージュ色をした部分が見える。

その部分が、やがて蜂になるのかもしれない。

発育途中を切ってしまったのかもしれない。

再び「これは果実では?」と思えてきた。

結婚詐欺にかかって「今でも彼女を信じています」という被害者のようだ。

モーガン用トランクキャリア改造

2013-04-25 07:01:14 | Weblog
モーガンの背中に大きなトランクを積んでいるので後ろが見にくい。

そこで、そのトランクの中にバックカメラを取り付け、ナビで後方の映像を見るようにしてみたが、それは失敗に終わった。

それでは、そのトランクを積んでいるキャリアを下げてみようと思った。

キャリアは3箇所のボルトで留まっている。

その3箇所にステーを取り付けて位置を下方にずらす。

まずは下側のステーを作った。

ボルトを通すために8ミリの穴を開ける。

その下の位置に3箇所同じ8ミリの穴を開けておいた。

それぞれの穴を試してみて最もよさそうな穴を使う。

上側の穴はスペアータイヤを固定するスペアータイヤ固定クランプ用としても使われる。

まずは固定クランプ用の穴を開け、その下は長穴を開けて、ちょうどよい位置を見つけて固定することにした。

ステーが出来てキャリアを外し下側の2個のステーを取り付けてキャリアーを着ける。

次にスペアータイヤ固定クランプと上側のステーを着ける。

見た目、なるほど少し下がったかなと思える。

そのキャリアにトランクを積んでみた。

「あまり下がっていないなぁ」と感じる。

測ってみた。

ステーが無い時のトランクの位置がモーガンの車体から21.8センチ高い。

そしてステーを取り付けたときの位置は車体から18.5センチ。

だから3.3センチ下がったことになる。

しかし実際の話3.3センチ下がっても、ほとんど後方の視野が広がった感覚は無い。

トランクは視野の邪魔をしていることに変わりは無い。

ということで今回もモーガンの後方視野の改善はできなかった。

有り合わせの材料で自分で行ったため費用はかからなかった。

当分の間トランクは乗せないでおこう。


無い記憶を辿る

2013-04-24 07:01:05 | Weblog
妻から電話が来た。

ベンツの鍵が無いと言う。

すぐに帰宅した。

ベンツはロックされていた。

つまり鍵は持って降りたわけだ。

最後に乗ったのは私。

すぐに当日着ていた服を疑う。

そして当日の自分の動きを思い出す。

鍵を掛けておく場所を探す。

それらの思いつく一連の場所を探っても無いので今度は、もっときちんと探し始めた。

服はハンガーから外してポケットの中を手探りしてから戻す。

鍵の置き場所は、丁寧に掃除しながら探す。

やはり無い。

しかたなく車屋さんに電話をした。

「分かりました。33500円と消費税。それから運転免許証のコピーが必要です」と言われた。

すぐにオートバイで免許証のコピーを届けに行く途中で電話が鳴った。

妻だった。

「ごめん。私だよ犯人は。私が最後に乗ったの。箪笥室の洋服のポケットを見てみて」と言う。

帰宅して妻の言う洋服を探った。

あった。ちゃんとあった。

妻と電話で話しながら見つけた。やれやれ。

妻も出先でやれやれ。

33500円を拾ったような気持ちで嬉しかった。

妻を責める気になれないのは私も最近シャツのポケットに入れておいたETCカードを洗濯機に入れて洗ってしまったからだ。

人を攻めるほど自分の記憶力に自信は無い。

無い記憶を探るほど難しいものは無い。

だいたいは物が出てきてから記憶が戻るケースが多いので無くしたのは自分だと思い込んで探す。

結果的に記憶になくて当然だと分かっても嬉しくは無い。

明日また繰り返される出来事であるかもしれないからだ。

無くし物を探すことが多くなったが年齢相応であることを祈る。

冷たい雨の中のモーガン

2013-04-23 06:40:48 | Weblog
日本平に集合した。

曇天で冷風が吹き最近にない寒さだ。

モーガンの集まりなのだがモーガンは5台のみ。

ただし、その中に女性がいたことは特筆しておく。

もちろん助手席ではなく運転された。

あとはジャガー、BMW、ベンツ、ポルシェそしてキャンピングバス。

日本平パークウエーを、そして三保の海岸線を走るが今日は富士の姿はない。

久能山の下のイシガキイチゴで有名な150号線を走るとポツポツと空からの落し物。

安倍川沿いに走り最終の休憩地で現地から報告が入った。

山は「ザーッ」と来たという。

皆で一斉にトップを取り付けた。

出発当初から私の車のボンネットには最新鋭のカメラが装着された。

H氏の車の後ろにも同じカメラが取り付けられた。

それらのカメラをH氏のスマホで操作するというのだから驚いた。

スマホには映像が映り収録された音声も確認できる。

「これからは1本道です。飛ばしたい人はどうぞ」と先導のH氏のことば。

今まで大名行列のようなチンタラ走行の最後尾を走らされた私の脳にひらめくものがあった。

「どこかでよい機会があったら同じ車の後姿だけでなく少しは変化のある映像が撮れたらなぁ」と。

で、チャンス到来。

前の車を追い越して一気にその前の車を追跡した。

危険の全く無い範囲での走行は、もちろんだが、それでも少し間の空いた前の車に追いつく映像が撮れた。

梅ヶ島金山温泉に到着した時には本格的に雨が降ってきた。

バーベキューが始まると豪華な食材に特製静岡おでん、富士宮焼きそば、そして高価なビールに有名地酒が振舞われた。

「これならホテルじゃなく静岡県のここで開催した価値はあったな」と感じた。

年齢の比較的高い人たちの集まりなので夜更かしは無い。

早々に寝床にもぐる人ばかりだ。

私たち相部屋組も10時半過ぎには床に就き20秒後には雨音のみの世界となった。

明け方に雨音が激しくなった。

外に置いたモーガンが心配になった。

普通の車は雨が降っても「洗車している」と思えば何という事はない。

しかしモーガンは雨漏りはするし車体の構造に木材を使っているのだ。

「木が濡れると膨張する。するとどうなるのだろう」と考えたら目が覚めた。

起床後も雨は降り続く。

朝食後朝風呂もやめて帰路についた。

途中でまたもや土砂降りにあった。

「風雨の音タイヤが水をかき分ける音エンジン音ワイパー音そして音楽」と室内は音と水と温風と隙間風のごった煮だ。

熱かったり寒かったり冷たかったりで無事帰宅した。

「これが晴れだったら最高だったな」と思いつつ洗車した。

梅ヶ島の松の枝が雨と高速走行にもめげずくっ付いていた。



ナラメリンゴフシ

2013-04-20 06:33:59 | Weblog
春野に行く度に変わる木々の花や新芽。

カメラを持って、ゆっくり見て回った。

コナラの木にリンゴのような実がなっていた。

実のある先端から少し幹に近い部分には花が咲いている。

この木には3個の実がなっている。

このときコナラの実といったらドングリだということを忘れていたし花の存在も無視した。

そして「これはメスの木だ」と勘違いした。

それにしてもリンゴのような赤さの実だ。

他にもあるかもしれないと思い探した。

1本だけあった。

帰宅して調べるとコナラの実ではなく何と蜂の子の入った虫コブだった。

中にはナラメリンゴタマバチという蜂が入っているらしい。

「何だってこんなに手の込んだことをするのだろうか?赤い実のような形をしていたら逆に鳥に狙われやすいのではないのかなぁ」

これが実ではないと知ると今度は何故こんな産み方をするのかが気になり始めた。

植物を装った動物の、しかも袋なのに植物のように赤くなっている。

リンゴと偽ってお金を払わされたくらい驚いた。

コナラは雌雄同株ということで雄の生殖器官と雌の生殖器官を同じ木の中に持っているという。

自然は知れば知るほど奥が深い。

カレンダーの放棄

2013-04-19 07:02:28 | Weblog
今年1月の初旬にカレンダーが欲しいという近所のおばあさんを乗せて浜松駅まで行った。

おばあさんは一人暮らしなので私の妻が少しだけお手伝いをしている。

妻が「買ってくるよ」と言っても「自分で買う」と言って聞かない。

私の出番が来たので喜んで乗せていった。

おばあさんだけでなく手押し車も後部座席に乗せた。

さて駅まで来ると、いったいどこにカレンダーを売っている店があるのか分からない。

おばあさん自身も自分で説明できないことに驚いている様子だった。

実は昨日自分でタクシーで買いに来たという。

ところが歩いているうちに転んでしまってカレンダーどころか救急車で病院に運ばれてしまったということだった。

その結果医師の「何とも無い」との判断で帰宅していた。

結局どうしてもカレンダーの店が思い出せず、そのまま自宅まで送り届けた。

後日私が駅ビル内の本屋で、おばあさんの言っているらしいカレンダーを見つけた。

店が駅中だったので駅に来ても店の場所を思い出せなかったと想像した。

すぐ購入して妻に渡し妻がおばあさんの家に届けた。

その後おばあさんは入院をした。

一箇所目の病院では寝てばかりで「もうだめかな」と感じさせた。

ところが二箇所目の病院では歩行訓練が始まりメキメキ足も上がるようになった。

「オイッチニ オイッチニ」と掛け声をかけて担当者も驚くほど努力していた。

今度は枕元に置く小さなカレンダーを欲しがった。

入院先に妻が届けた。

「ありがとう。これで便利になった」と喜んだ。

元気になって、やがて退院して我が家に戻ったおばあさん。

今度は自宅の寒さに閉口しているようだ。

ある日カレンダーが捨てるゴミとなっていた。

あれだけ必要だったカレンダーなのだが。

大きなカレンダーも小さなカレンダーも折り曲げて捨てるようになっていた。

おばあさんの頭から一つの束縛が外れたようだ。

それでも、おばあさんが自由になったとは思えない。

毎日の時間的な束縛は続く。

何かを食べなくては生きていけないし寒ければ布団から出られない。

でも週や月の、ましてや年の感覚は考えたくなくなったようだ。

かたくなに拒否する老人介護施設。

風雨や気温に影響を受けず食事も定期的に提供されリハビリという運動付きの場所の方が楽に生きていけると思うのだが。


4時間10分の歩行

2013-04-18 07:02:23 | Weblog
春野に行くはずだった。

弁当を持って出かけたところが戻ってくることになった。

やっと出かけられる時刻は午前11時になっていた。

そのまま春野に行っても時間が少なすぎる。

思い立って妻の藍染め教室まで歩くことにした。

そう決まれば弁当をすぐに食べて歩行準備をした。

相当遠いことを脳で理解している私は靴の選び方に気を使った。

編み上げの革靴を履いて歩いてみた。

しっくりこないから別のくるぶしまである靴に履き替えた。

それでも違和感があったので靴下を厚い物に履き替えた。

結局いつものスニーカーになってしまった。

11:35リュックサックを背負って歩き始めた。

歩きなれた散歩コースから出発して国道沿いを歩く。

疲れていなくても1時間おきに休息をとると決めていた。

国道沿いは歩道が整備されていると思っていた。

車で走行している時には気が付かなかったが歩道用の隙間はある。

車道からはガードレールで仕切られていて安全に見える。

ところが歩く人のほぼ居なさそうな地区は舗装してないだけでなく草が伸び放題で歩けたものではない。

国道からそれて農道を歩く。

それも途中で行き止まりになっていると、さらに国道から離れる方向に移動する。

ヒバリが上空で鳴きケリが土を起こした田んぼの中に飛来する。

姪の子供が通うプールにたどり着いた。

すでに出発して3時間が経とうとしていた。

この建物でやっと椅子に座った。

さらに、そこを出て1時間以上掛かって妻の居る教室に付いた。

その間妻が帰宅してしまわないか気が気ではなかった。

しかし徒歩というのは急げない。

「こんにちは」と2階にいる妻たちの部屋に入っていった。

「あら?」と驚く皆さん。

「歩いてきた」というと、もっと驚いた。

私の最長記録である4時間10分。

平らなところを暖かい日に荷物も持たずに歩くのだから条件はバツグンだ。

帰りは妻の乗ってきた車を運転した。

「車って何て早いのだろう」と実感した。

精神的輸血

2013-04-17 06:55:13 | Weblog
妻の友人が入院した。

特殊な病気にかかっていて最近悪化したようだ。

血小板の交換をするという。

医学的に、どんなことかは分からないがたいへんそうだ。

私の父が人工透析をしていたので、その時の様子が浮かんだ。

妻とはメールを毎日交換している。

一人病院で自分の体と戦う彼女が少しでも良くなるようにと妻が湯飲みを買った。

別の友人の作った「赤焼き」の器だ。

それを届けに行った。

その朝も通常通りに妻とのメールの会話が行われた。

妻は、その日に届けに行くことを伏せておいた。

突然病室に現れた妻に友人は驚いた。

眺めの良い食堂で話をした。

友人は点滴を腕に刺したままコロコロとキャスターを転がして移動する。

「これ精神的点滴を持ってきたから」と伝えながら渡した。

友人は「こんなに高い物をありがとう」と答えた。

以前から、この器のことは知っていて欲しいと思っていたと言う。

友人は自分の病気について「家族じゃなくて私でよかった」と言う。

「えらいなぁ」と感心した。

友人の力になりたいと考える妻、そして妻の力になりたいと考える私。

精神的な点滴の効果が少しはあったと思っている。

サプライズも一つの効果を上げるための演出だ。

翌日の妻へのメールには「早く退院して自宅で、この器でお茶を飲みたい」と書かれていた。

その後退院して、そのささやかな夢を叶えたという。


意思疎通の旅

2013-04-16 10:27:35 | Weblog
東名高速道路新城パーキングから出発しようとしていた。

防寒用の飛行帽を被った。

後ろから声が聞こえた。

満面の笑顔で背の高い腹の出た若者が立っていた。

「先輩のようにならなくちゃダメですね。こんなヤワな物乗ってちゃ」と言う。

振り向くと真新しいニッサンフェアレディーZがシルバーに光っていた。

「いや。それぞれ良さがありますから」と言って別れた。

昼食は関市にあるウナギの老舗「辻屋」でとった。

若女将らしい人物が「クラシックカーで来られた方ですか?」と言って話しかけてきた。

「乗ってみたいわ」と言うので「一緒に行きます?行くのなら助手席片付けますけど」と言った瞬間にS氏から「こらっ」と注意された。

うなぎがいっそう美味しくなったことは言うまでもない。

また和服の若女将が特別きれいだったという印象が残った。

夕食時まだ去年まで高校生だったという女性が食べ物やらお酒を運んできた。

「このお酒は何という名前ですか?」と問うと「天領です」と答えた。

若さというエネルギーが良い方向に発散すると周囲のお爺さんたちには格別のつまみを一点追加してくれたようなものだった。

宿を出る時、女将に私とモーガンの姿を撮ってもらった。

「すてきね。こんな車に乗ってみたいわ」と言われた。

客相手の社交辞令だとしても、とても気分が良かった。

飛騨高山から郡上八幡に向けて走っていた。

自転車に乗った小学生の集団が黄色い声で「カッコイー」と言う。

せせらぎ街道で2台のオートバイが我々を追い越していった。

後ろからもう1台が追いつき私の後ろに付いた。

私の走行と道路の状態をうかがっていた。

私は手を上げて合図し彼に気づいていることを伝え彼の無事を祈った。

「サアーッ」と私を追い越した時に上げた左手が「ありがとう」と言っているような気がした。

郡上市役所の駐車場に居ると、背の曲がったおばあさんが二人歩いてきた。

モーガンに座った私に「あんたはもてる。あんたは飛んでる」と言った。

飛んでるは辞書に「常識にとらわれずに行動する。自由に生きる」と出ていた。少し古い言い回しだが良い言葉を投げかけてもらって嬉しかった。

帰路の東海環状道で混み始め東名に合流すると、もう意思疎通の全くない混沌とした修羅場のような交通状態であった。

接近してはブレーキを踏む輩、後ろにピッタリとくっついてブレーキを掛けさせないトラック。

速度超過を余儀なくさせられて余裕を全く逸した私。

自分の命の保障は自分でという最低限のルールまで落とすしかなかった。

新東名に移ると、やっと普通に走行できた。

だが少し興奮気味になった私はアクセルを踏み続ける。

降りるICが近づくと同行したS氏やO氏に手を振る。

彼らも手を振って別れた。

手の合図だけで心が通じた。

鬼から人間に戻れた瞬間だった。

少しの雨は振ったがオープンで走っていて頭が濡れるほどではなかった。