家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

物々交換

2007-02-28 09:58:19 | Weblog
水仙の花数株とレンガ4個。

片方はメーカー品のシャツとバッグ。

これらを物々交換した。

というように見えるが、ちょっと違う。

私たちが姉の所に水仙を分けに寄ったとき姉からお下がりを貰い受けた。

妻はいつもは「お姉さん」と言うのだが今は「お姉様」と言う。

桃の花

2007-02-27 09:50:51 | Weblog
教師と農業を兼ねている友人に桃の花をもらった。

傘立てに水を入れて玄関前に置き、そこに桃の枝を入れた。

桃色とはこの色なのだなと確認する。

背景に家ではなく、やはり青空のほうが美しく見えるなと感じる。

同じ物でも美しさが違って見える。

桃は知らぬ顔をして咲いているだけ。

結婚しました

2007-02-26 10:00:31 | Weblog
昨夜突然の客があった。

「僕たち結婚しました」と言う。

「実は一昨年の今日私たちは知り合ったのです」と奥さんが言った。

私も薄っすら思い出していたのだが、その日が今日だったのかは忘れていた。

2年前の今日私は彼を呑み会に誘った。

そこで呑んだ後二人でいつもの集合場所「スクーター屋兼飲み屋」になだれ込んだ。

そこに彼女が居あわせた。

複数集まっていた女性の中で、たまたま彼女だけが彼氏の居ない女性だったということなのであった。

偶然の上に偶然が重ならなければ、こういう出会いにはならない。

その偶然の中で「私が誘ったから」という事実をありがたく思ってくれていた。

そして出会った日を大切にしてくれて今日挨拶しに来てくれたのだった。

初心を忘れないことは夫婦生活をするうえで大切なことだと思う。

夫婦間に危機が生じたとき私の顔を思い浮かべて仲直りしてもらえたら私は事実上の仲人だなと思う。

ナガラミ

2007-02-23 10:54:24 | Weblog
ナガラミをつまみに一杯やっていました。

麿君がやってきてナガラミを掴み出そうとしました。

良い匂いがするのでしょう。

でもなかなか取り出せない。

私たちは、このような猫の行動を叱らない。

むしろ久しぶりに見られる行動として楽しく見守りました。

その後妻が一つ取り出して与えましたが、皿から取り出すことに興味があったらしく与えられたナガラミはそのまま。

で、私が食べました。


カメラを取りに行く時間はなかったのでケータイで撮りました。


植木鉢

2007-02-22 09:56:21 | Weblog
自宅近くの川べりを散歩していた。

ちょっと足を延ばすと古道具の店が在る。

そこまで行ってみた。

旦那さんと近所の人達が話をしていた。

「あけましておめでとうございます」と挨拶をした。

今年初めての顔合わせだったから。

妻が「この植木鉢おいくらですか?」と聞いた。

すると「いいよ。持っていきな」と言う。

「はぁ・・・・?  いや必要だったから買いますよ」と言うと

「いいよ、持ってって。主人の気の変わらないうちに」と奥さんも加わった。

お金を受け取ろうとしない。

「ぇえ~。いいんですか?」と驚きながら私が言うと

「笑って全部持っていきなよ」と旦那さんが言った。



笑ってもらってきた。植木鉢7個。

別荘地内の建物

2007-02-21 08:53:01 | Weblog
湖西市の別荘地にある知人の家を訪れた。

中古住宅を購入して自分で好いたように改造しているところだ。

山桜 藤 椿 などの自然林の中に家があり敷地内にも山桜の巨木がある。

今は落ち葉の季節だが夏にはいろいろな花が咲き乱れるという。

自然の中で暮らしていることを毎日実感できるそうだ。

電気 ガス 水道すべて整っている。

ここから眺望できる浜名湖は一層輝いて見えた。


鉢 500円

2007-02-20 09:22:20 | Weblog
先日カイロプラクティックに行き蘭の花がきれいな鉢に入っているのを見た。

近付いてよく見てみると植木鉢をそのままその鉢に入れてあるのだった。

「先生なかなかいいですね、この鉢。またよくもピッタリと入ったものですね」

と言うと

「お蔵の中に在ったから、そのまま使ってみたのよ」

という答が返ってきた。

その週の日曜日なじみの骨董屋に行ったら何と似たような鉢が有った。

500円だというので即買いして帰った。

帰宅して同じように蘭の花を入れてみた。

ピッタリだった。

欲しいと思った物がすぐ手に入ることは、まあある事だ。

しかし骨董品でとなると話はちょっと違ってくる。

運とか縁とか感じてしまう。

置き引き

2007-02-19 10:01:36 | Weblog
墓参りに行った。

水汲みの場所に「置き引き多発 厳重注意」と張り紙がしてあった。

墓に来ると故人に会えるような気がして嬉しくなる。

だが、そんな気の緩みを利用して窃盗をされてしまう世相になった。

敬虔な気持ちの時であっても、それは油断として被害にあう。

年がら年中気を張っていなくてはいけなくなった。

墓の中にいる人達が見ているという意識を持っているから「人に迷惑をかけない」とか「恥ずかしいことをしない」とかの行動規範になっていたのでは?

「草葉の陰で見ている」ということで他人が見ていなくても自制してきたのでは?

たくさんの故人の見ている目の前でどうどうと窃盗をする輩がいることに驚きを覚えた。

心を開ける場所が減ってしまうことは痛手だ。

足立典正個展

2007-02-18 11:18:11 | Weblog
足立典正氏の個展を見に行った。

家具屋さんを会場にしているので、まるで室内に飾るときと同じような感覚で眺めた。

足立さんの絵は暖かく静かで柔らかい。

今回のテーマが「ファミリー」ということなので足立さんの心がそのまま反映されている。

常々思っていることがある。

なにげないその風景をちゃんと心で捉えようということだ。

足立さんの絵の中にそれを感じるのだが、その原点のような話をうかがった。

「交通事故」であった。

それによって足立さんは、いっぺんに考え方が変わってしまったという。

またそれは足立さんの奥様の意識を変える引き金にもなった。

そして奥様の意識が足立さんに働きかける。

相乗効果の結果が絵に表れてくる。

いつ何がどのように自分に影響を与えるか誰も分からない。

「死んだつもりで」ということに本気で気付いた人は、やっぱりすごい。