喫茶 輪

コーヒーカップの耳

七沖さんのFBより

2022-05-09 08:02:53 | 『恒子抄』
サンマーク出版の元編集長で、現在「株式会社なないち 代表取締役」の鈴木七沖さんのFBからです。
自らを「編集師」と呼んでおられます。

作家のドリアン助川さんのご縁から
詩人・今村欣史さんとご縁がつながったのは
2015年の12月29日。
欣史さんが兵庫県神戸市(ママ)で営まれている
「喫茶 輪」を訪ねたのが最初でした。
笑顔で迎えてくれた欣史さんは、
ご自身が書かれた詩集を開きながら、
喫茶店のカウンター越しに味わった
様々な人間模様を聴かせてくれました。
もう7年半前の出会いです。
先日、久しぶりに欣史さんから封書が届きました。
他の郵便物に紛れていて開封が遅れたのですが、
小さな詩集が同封されていました。
『詩集 恒子抄』
な、なんと! 結婚50周年を記念して、
欣史さんが奥様のために制作した詩集だったのです。
50年も寄り添うなんて、
どんな気持ちなんだろう(お互いに)。
僕なんて、たった6年で死別しちゃったから、
まったく想像もつきません。
全39編(サンキュー?)の詩の中で
思わず胸キュンになった作品がありました。
紹介させてください。

「二人きり」
二人きりの生活になって
もうどれほどになるのだろう
家の中に一ヶ所
きわめて狭い通路がある
恒子がときにそこで用事をしている
通り抜けるには
どうしてもからだがふれあってしまう
そしてわたしは
 (一行省略)
わたし七十八歳
恒子七十四歳
だれだ 笑っているのは。

欣史兄さん、とっても素敵です

2011年、自作のドキュメンタリー映画を広めるために始めたFacebook。ちょうど11年間続けてきて、いちばん感謝しているのは、たくさんの感性豊かな方々とご縁がつながったことです。
有名無名なんて、どーでもいい。「自分の言葉」をお持ちの方々との交流は、ものすごい刺激を僕にプレゼントしてくれました。
欣史兄さんも、その1人。普段、お会いすることはないけれど、存在していてくださるだけで触発されるアーティストです。
『恒子抄』もし読みたい人がいたら、どうすればいいんだろうか? できれば僕と同世代か、もしくは先輩たちの世代にこそ読んでいただきたい!



鈴木さんはこう書いて下さっていますが、『恒子抄』は少部数発行でしたので残念ながらご要望には応えられません。
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『七年の後に』

2022-05-07 14:23:56 | 
芦屋の詩人、山下徹氏の詩集『七年の後に』(芦屋芸術)です。



「フォト詩集」とサブタイトルがついています。
右ページに詩があり、左に連想させる写真が掲載されています。
まず「あとがき」を紹介しましょう。
←二段階クリック。
ここに書かれているように、山下氏は七年余前に夫人を亡くしておられます。
その夫人を偲んでの詩集というわけです。
ほとんどが数行以内の短詩ですけれど、切々たる思いがあふれています。
いくつか紹介しましょう。
44篇のうちの「その12」です。

寂寥感漂う詩です。

これは「その27」。


「その37」

辛さがひしひしと伝わります。

「その38」

諦観でしょうか。しかし辞書には「諦観」を「入念に見ること」ともあります。

最後の詩「終曲」はこうです。
  
  孤独になるということは
  自分のすべてと向きあうことだった

  心に 雲が浮かんでいた
  すべての過去が そのままで 浮んでいた


山下さんは、この詩集をまとめたことによって、きっと再起されるのでしょう。
今後を期待します。
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「用海将棋会」再開

2022-05-06 09:36:38 | 将棋
昨夜、久し振りに「用海将棋会」を再開させました。
いつまでも自粛していてもラチがあきません。
なにもしないうちに残りの人生がどんどん減っていきます。
ワクチン接種も進んでいることですし、来れる人だけでもと会員の皆さんに再開通知を発送していたのです。
そして昨夜が再開第一回目の例会。
今回から開催時間を短くしました。
以前は10時まででしたが、8時半までとしました。
会員数の減少もあり、会費の収入が減り、会場費の負担もバカにならなくなったこともその理由の一つ。
一単位(一時間半)減らしたのです。
これまで、時間いっぱい使うことはほぼなく、たいてい9時ごろまでには終わっていました。
昔、若い会員が多かった時には遅くまでやってましたがね。
また、以前はみんながやってくるのはだいたい6時を過ぎてからでした。
なので今後はなるべく5時半に始めることにしました。時間をフルに活用するように。
早く始めて早く終わるという風に。
で、昨夜ですが、6人でした。
そのうち中学生が一人。
わたしが6年ほどもまえから指導してきたI君です。
見違えるほど大きくなってました。
ここ二年ほどは指導できなかったのですが、その間彼は勉学にいそしみ、
見事に難関のN中学に合格したのでした。
そして今、N中の将棋部に所属しているのだと。
久しぶりに昨夜対局しましたが、前より弱くなっている感じ。
二年間勉強ばかりしていたのでしょう。
でもすぐに上達してわたしを負かすようになるでしょうね。
それが楽しみでもあります。


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八月十五日の神話

2022-05-04 15:27:13 | 

昨日、大阪の孫kohから借りてきた本を読み始めた。
kohはおもしろかったというのだ。
『八月十五日の神話』(佐藤卓巳著・ちくま学芸文庫)。
この文庫本は2014年発行だが、初出は2005年だという。
それに「加筆訂正し、補論を加えた」とある。
古い本なのだ。
想像していたのとは違って、硬い内容。
裏表紙の紹介文の一部。

《「戦没者を追悼し平和を祈念する日」制定が閣議決定されたのは、敗戦から三十七年が過ぎた1982年4月13日である。ポツダム宣言を受諾した八月十四日でも、降伏文書に調印した九月二日でもなく、なぜ「忠良なる爾臣民」に向けた玉音放送の八月十五日が終戦記念日なのか。》

今まで疑問に思わなかった「八月十五日」の終戦記念日だが、言われてみればなるほど!だった。
まだ読み始めたばっかりだが、興味は増す。
しかし、この硬い本をなぜkohは読むことになったのか?その経緯を知りたいと思う。次会った時に聞いてみよう。
少し前までは、星新一に夢中だったkohがこんなに硬派な本を。
少し前と思っていたのはわたしばかりで、実はもう随分時が経ったということか。
考えてみればいつのまにかkohは高校二年生。
わたしも年が行くはずだ。
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足が

2022-05-04 08:35:01 | 
昨日は大阪の孫のところの焼き肉パーティーに招待されました。
三階屋上でのパーティー。いいお天気で幸せでした。
丁度、目の前すぐをJRが走っています。
大げさではなく、手を伸ばせば届く距離。
乗客からは焼き肉パーティーの様子がすぐそばに見えています。
うらやましいかな?
でも今の電車は窓がしまったままなので匂いまでは届かないですね。
残念!

食事がすんだあとのことです。
小学三年生になったfumiが「ジーチ、野球しよう」と盛んに誘います。
表の道路でバッティングの相手をしました。
国道二号が近い大阪都心とはいってもちょっと裏通りです。
車に気をつけながらなんとかできます。
わたしが投げるボール(柔らかいボール)をfumiがプラスチックのバットで打つのです。
78歳のわたしにはこれは少々キツイ。
あっちへ走りこっちへ走り。
日ごろ軽い体操はしていますが、こんな動きはしません。
斜めに突っ込んだり、下がったり、止まったりの変則的な動き。
30分もしたころには、「もうやめ」と言いました。
でも「まだまだ」と言ってなかなか開放してくれません。
こんな機会は今後もうそんなにはないだろうと思い、なんとか要望に応えていましたが、
それから間もなく「もう限界」と無理やりやめました。
fumiも汗をかいていました。
で、今朝の寝床でのことです。
起きようと思って体を動かした拍子に右足のふくらはぎに痛みが。
つったのです。ああああっ、と思っているうちに激痛。
なんとか収まったころに今度は左足に。
こんなことは何年振りかです。
やはり昨日の運動がちょっと無理だったのでしょう。
これもいい思い出になるかもです。
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井上慶太さん文化賞

2022-05-03 08:59:46 | 将棋
今朝の神戸新聞、第一面に。



井上慶太さんが「文化賞」受賞と。
うれしいなあ。
第5面にも大きく。



慶太さんらしいいい笑顔。



自分のことのようにうれしいことです。
早速メールでお祝いの言葉をお送りしました。
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耄碌したか?

2022-05-02 13:42:52 | 原稿
神戸っ子出版の編集部から電話。
「六車さんの書と原稿の内容が合いません」と。
「KOBECCO」のわたしのページは、書家の六車氏にわたしの文章の中から言葉を選んでもらって「書」にしてもらい、それが誌面を飾るカットになっています。
だから早めに六車氏には草稿を送っているのです。
しかし今回、6月号の原稿とは合わない書になっているというのです。
「え?そんなことないでしょ。わたしの文章の最後にその言葉(六車氏が書にしたもの)は載っているはず」と返事したのですが、
編集員の稲垣さんは「ありません」とおっしゃる。
「調べてあとでもう一度」と電話を切って、わたしが神戸っ子出版さんに送ったメールを調べてみました。
すると、わたしがスカタンをしていました。
もう一つのエッセイの連載を書かせてもらっている短歌誌「六甲」へ送るためのものを「KOBECCO」用に送っていたのです。
念のため「六甲」の方も調べてみましたが、こちらは間違いなし。
同じ時に、相次いで送ったのですが、実は今回のものは、双方ともに田辺聖子さんネタのものでした。

それで勘違いをしてしまったというわけです。
話の内容は全く別のことなんですけどね。
あ~あ、それにしても耄碌したもんです。
今日はこのあと、先日取材をすませてある「宮っ子」7月号の原稿を書かねばなりません。
どうかドジをしませんように。
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潮崎孝代さんと宮崎翁

2022-05-02 10:29:37 | 宮崎修二朗翁
4月30日(土)の神戸新聞読書欄の記事です。
←二段階クリック。
潮崎孝代さんの本が紹介されていました。



この本、私すでに入手して今読んでいるところです。
著者の潮崎さんのことは前にも書いたかもしれませんが、「喫茶・輪」に宮崎翁に伴われて一二度ご来店頂いたことがあります。
その後何年か年賀状も交換しておりました。ユニークな筆字の人でした。
いわば、彼女とわたしは宮崎翁に教えを受けた兄妹弟子というわけです。
宮崎翁のことを丁寧に書かれたページがあります。
←二段階クリック。

宮崎翁が亡くなったことを「神戸新聞の訃報記事で知りました」と書いておられます。
その訃報記事、わたしの知らせにより大国正美さんの手配で載ったものでした。
『触媒のうた』宮崎修二朗翁による、文学史秘話満載。
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