あいよっこの旅ログ:::Part2:::

「女性のひとり旅は冒険の始まり!」

みやぎ被害者支援センター、東北大震災で活躍

2012-02-09 21:41:17 | 日記

 

  先日の雨と暖かさで、ホッと一息ついた感じですが、このところ日本列島を厳しい寒さが襲い、雪国での雪との格闘が報道されています。昨年の夏の猛暑の時に「地球温暖化」を身近な危機と感じたのがまるで嘘のようです。でも北極や南極の氷が少なくなっている現実を見ると、温暖化は進んでいるのでしょうね。今日は日記です。

 

 

 

 

 

 

 写真:夜明け前 あけぼの?       

              写真:朝焼けが始まる

 

  1/31-2/3に東京に行き、全国被害者支援ネットワークの研修を受けました。カリキュラムの一環で、みやぎ被害者支援センター・事務局長の大場精子氏が「東北大震災の直後にどのような支援を行ったか」を話されました。もともとは犯罪被害者を支援する団体ですが、広域的緊急災害でもあり定款の解釈を広げて、被災者支援を実践されました。その一部を紹介します。

 

写真:ネオンの向こうはお台場あたり

 

 平成23/3/11()1446に震度7、マグニチュード9の震災が襲いました。まず、みやぎ同センター(以下センターと呼びます)では職員や相談員等の安否確認作業を行い、全員の無事と全員の被災が確認されました。事務室の片付け作業も並行して行わなければなりません。

 

 

 

同時にかかわっている被害者等の安否確認を行いましたが、なかなか手間取り最終的に石巻在住の人が確認されたのは1週間後でした。

 

 

 

そのなかで316日に宮城県警本部から支援要請が来ました。「ご遺体安置所での支援」という大変難しい支援です。主に「ご遺体の写真掲示場所での対応」「遺体安置所への付き添い同行とサポートカウンセリング」「ご遺族からの要望や悲嘆の傾聴」などが含まれます。

   

写真:いよいよ太陽様が・・・

      これは次の日撮影。

 

 

センターではコーディネーターによる打ち合わせを行い、対応可能な人数を1(7001800)男1、女2による1チームとし、男性は主として車の運転を、女性は支援をという形で行いました。緊急車両の運転をする男性は連続支援(毎日)になることを避けられず、「いざというときの男性の強さや頼りがいを実感しました」と言われます。

 

 

 

県警からの要望は「もっと欲しい」ということでしたが、これが限度で、「支援はとにかく臭いと寒さとの戦いでした」と大場さんは振り返ります。相談支援員のケアのために「ローテーションを調整し、連続支援を避け、どんなに忙しくてもお昼休みの1時間は確保して話し合いや音楽を聴くこと」などを配慮しました。

 

 

支援の実践は3/175/5までの40日間、延べ120人となり、センター支援員が対応したご遺族等は述べ285組、約1000人に上りました。この間の支援は可能なかぎり記録を行い、連携する各機関との「ほうれんそう(報告・連絡・相談)」を励行しました。

 

写真:東京タワーとお月様

 

全国ネットワークの山上理事長から「心配している。なにか支援することはないか?」という電話に「ホッカイロが欲しい」と答え、「あの冷静沈着な大場さんでさえ、ホッカイロとしか返事ができない状況」というのがエピソードになっているそうです。

 

 

 

 犯罪被害者支援も、このような緊急大災害時には被災者支援も視野に入れることが、今後必要になってくるのでしょう。そして今回のように食事の入手はもちろん、泊まることも、地域に入ることさえ困難な状況では、外部から交替要員を増やす、というよりバックアップ的な「現地に入らなくてもできる支援」を考えることが重要となるのですね。

 

 

 

              写真:講義する大場氏

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 写真は撮影するつもりはなかったのですが、宿泊した高層ホテルからの朝焼けが、あまりにも美しかったので、コンパクトカメラで撮影したものです。そして会場(機械振興会館)から出たとき、ライトアップされた東京タワーが目に飛び込んできました。ウオォ~こんなに近くで見るのは初めてです。

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