写真上:「北沢浮遊選鉱場跡」ここが完成後、鉱石処理量は最高5万t~/月に達し「東洋一」とされた。
写真上:北沢50mシックナーも大型で、水と不純物などを分離する施設だった。
写真上:江戸時代の「宗太夫間歩(そうだゆうまぶ)」※間歩は「採鉱坑」
佐渡金銀山は江戸時代初期1601年に開山と伝わり、1989年の操業休止までおよそ390年間採鉱されました。当初はもちろん手掘りの露頭掘りで、山を掘り尽くして割れてしまった「道遊の割戸(どうゆうのわりと)」からは、古来より金銀が人々にとってどれほど魅力的であったか、そのためにどれほどの労力を費やしたかを実感します。
全体の産出量は金78t、銀2330tで、銀に比べ金量の少なさは意外ですが、やはり金の貴重性が高いってことですね。
伝統ある手工業や歴史的な工法などが保存され、人々の汗や喜びが伝わってくる「佐渡金銀山」は、世界遺産登録を目指しています。
写真上:坑内は比較的涼しいが、狭い空間、不自由な態勢で重労働作業を行った
写真上:背後の壁面にある縞々模様は立合と呼ぶ鉱脈。黒い筋(富鉱帯)がくっきりとした大発見を祝う祭礼が始まった。「やわらぎ」などが演じられ、納される。
写真上:実際の「金銀鉱石」黒いんだね。
写真下:魚たちもみんな金銀白金色だよ
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