あいよっこの旅ログ:::Part2:::

「女性のひとり旅は冒険の始まり!」

天才と博士と数式と ⑩

2019-12-03 20:15:11 | 天才と博士と数式と

写真は2019/5/29~6/1

「レブンアツモリソウ咲く礼文島とゆったり楽しむ利尻島4日間」

写真上:オロロン街道沿いにある「おびらニシン番屋」

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  前回「講師の彼はもしかして工作員だった?」と書きました。「韓国天才児の授業をしただけなのに、なんてとっぴな妄想なの」と思った人は多いでしょう。

 

  北朝鮮が起こした「拉致事件」は1970~1980年代を中心に、工作員、土台人(どだいじん・トデイン)が対日工作活動を行ったとされています。土台人は在日朝鮮人が中心だったものの、中には在日韓国人が動いた事件もあったらしいです。

 

  南北両国はもちろん今なお「戦争中」なので互いに激しく非難しあっていますが、一方基底部分というのか、どこかつながっていて「暗黙の了解」とか「公然の秘密」といった側面を持ち合わせているように感じることも。素人ながらですが…。最近の韓国文大統領の考え方や行動からもなぜか見え隠れしますね~。

 

  ところで日本人を北朝鮮に連れ去った「拉致事件」は、ある意味明らかに認識できますが、日本国内での「隠れた拉致」はわかりにくく、問題にもなりにくいです。つまり「日本女性をターゲットにして結婚などさせ、日本人のDNAを含む子どもを産ませ、組織・団体構成員を増やす」といった目的があれば、時代的にも一致するし、なぜ「女子短大」だったのか、も合点・納得できます。

 

  当時県立短大は比較的真面目で優秀な女子学生が多かったです。あいよっこはというと、はやりのフォークソングのグループ活動にはまり、遅刻・代返(※すでに死語?出席確認で名前を呼ばれた時、代わりに返事してもらう)、授業中は五目並べや手紙回しで過ごす毎日で、当然ながら「狙われる」ことはなかったよ~。

 

  そして気になるのはキム・ウンヨン君に関する「…おばあさんに育てられ、貧しく、野菜やじゃこなどの川魚が中心の食事だった。かえって肉や牛乳といった西欧食でないほうが脳は発達し、天才児が育つ…」という記憶とフジTVに出演したときの家族構成などがビミョーに違っていることです。記憶違いの可能性はありますが、当時の栄養学の基本と講師の話が食い違うので「どっちが正しいの?」と思ったのは確かな印象ですが・・・。

 

  「韓国天才少年の数奇な半生」によると、父キム・スーソンはソウル大学を首席で卒業した、漢陽大学物理学副教授で、母ユウ・ミンコウも同大学で保健学を教えていました。ウンヨンが育った時代、韓国全体が貧しかったかもしれないですが、両親が大学教師であれば、貧しくて肉や牛乳が飲食できなかった、とは考えにくいです。

 

  後に著者はTVに出演時のウンヨンについて「ポーカーフェイスで感情を表さない子どもだった」と書いています。私には理想的に恵まれた家庭であり、弟や妹もいる家族なのになぜ?とも感じます。

 

  こうした疑問を持ち合わせた視線で本を読み返すと、これはちょっと不思議だなあ、と感じる部分も出てきました。以前も書きましたが、決して著者に反論するつもりはなく、個人的に「これはヘンだね、どうしてだろう?」という気持ちなのです。

 

 *** 続く ***

 

オロロン街道にある「サロベツ原生花園」 の花たち

ハクサンチドリ 

ミツガシワ

カラマツソウ

稚内港から利尻島鴛泊(おしどまり)港へ ハートランドフェリー

利尻島のマスコット「りっぷくん」と「りっぷちゃん」はじめ

多くのお出迎え!

※ツアーの詳細は後述します。



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