The Geographer, 「地理学者」
1668-69, oil on canvas, 52 x 45.5 cm,
Inscribed on cup-board : Meer, and above map : I.Ver Meer MDCLXVIIII
(neither inscription original)
Staedelsches Kunstinstitut, Frankfurt am Main, Germany
前屈みでデバイダーを持ち、ガウンを着た若い学者が窓の外を見ている。 テーブル上に地図が広げられている。 キャビネットの上の地球儀は、1618年にアムステルダムのJodocus Hondius が製作したもので、男が地理学者であることを示している。
フェルメールは天球儀を調べている「
#27/天文学者」を1668年に描いており、この絵と同じモデルが使われている。 この絵には1669年作とのサインは無いが、両作品ともほぼ同時期に描かれたものである。 天地を研究する学者はフェルメールの作品群の中で特異な位置を占めている。
17世紀は発見の時代であった。 新世界や探査した世界を地図にする時、探検家や貿易業者のみならず、地理学者や天文学者にとっても、夢が実現するのである。 地図は探検家を導くものだが、陸地の広がりや海岸線に関する新情報は、測量技術の進歩と共に、オランダを地図作りの中心地にした。 フェルメールの「
#15/手紙を読む青衣の女」(1663-64)や「
#18/水差しを持つ若い女」(1664-65)のように、その時代の中流階級の室内を描写した多くの絵には地図が描かれている。 世界地図から町の眺望図まで、美しく装飾された地図帳や壁掛け地図を収集した人々の中には、哲学者や人文学者と共に、地球の物理特性や自然界の法則を思案する事に大きな知的満足感を見い出したアマチュアもいた。
この絵は知的な探求に興奮した人を描いている。 地図、海図、書物、そして地球儀に囲まれて、彼は片手を本に置き、もう一方の手にデバイダーを持って、思案の眼差しを窓に向けている。 フェルメールは彼が提起している質問や求めている解答が何かを示してはいないが、彼の積極的な姿勢は彼の注意深く鋭い洞察心を示唆している。 学者風の服装、赤い装飾の付いたブルーのローブ、耳の後まである長い髪といったものが、彼の努力の真剣さを表現している。
この絵のエネルギーは、フェルメールの室内にいる婦人の静かでコンテンポラリーなイメージとは大きく異なっている。 人物のポーズ、構図の左側にある一かたまりの物体、そして、右側にある一連の斜めの影を通してエネルギーが伝わって来ている。 この効果を助長するべく、フェルメールは構図を巧妙に修正している。 地理学者の額の曖味な形状が左側にあり、当初は違った角度の、恐らくテーブル上の地図を見ている下向きの頭部を描いていた事を示唆している。 また、元々は下向きだったデバイダーの位置も変更している。 更にフェルメールは右下の小さなストウールの上に置いてあった紙を、多分構図の右前景端部を暗くする為に、消している。
フェルメールが地理学者の積極的な性格を伝える為に取ったもう一つの方法は、ブルーのローブの波打つようなヒダである。 陽光の当たったブルーのローブを表現する為にほんやりとしたヒダを描いた。 一方、前景の花柄のテーブルカバーの幅広の巻いたようなヒダは、数年前に描いた「
#20/手紙を書く婦人」(c.1665)の黄色のジャケットの、細かく変化するヒダに近いものである。 即ち、フェルメールはこの絵で、彼の後期の作品、例えば「
#31/傍らにメイドを待たせたまま手紙を書く婦人」(c.1670)で重要な特徴となる、ダイナミックなイメージを強調する服地(のヒダ)を描くテクニックを使い分けている。
フェルメールは学者のエネルギーを表現しただけでなく、地理学者が研究に必要な器具類を正確に描いている。 後方の壁の装飾海図は、Willem Jansz Blaeu 作の「欧州の全海岸線」、地球儀はJodocus Hondius によって1618年にアムステルダムで製作されたものである。
フェルメールはインド洋が見える位置で地球儀を描いている。 その他には距離を測るデバイダー、前景のストウールの上に置いた直角定規、窓の中央の柱に掛かっている太陽や星の仰角を測る測量尺が描かれている。 テーブルの上にある地図は、その半透明さから小牛皮製であり、薄い線が幾本か引かれていることから航海図であろうと思われる。
フェルメールは器具や本に比較的高度な注意を払っていること、更にこの絵と対になっている「
#27/天文学者」(1668)があることから、地理学や航海術に詳しい学者から学んだはずである。 この絵と「#27/天文学者」では同じ若い男がモデルになっていることから、彼がフェルメールの科学知識源であった可能性がある。
この男性は恐らくAnthoy(Antonie) van Leeuwenhoek (アントニ・ファン・レーウェンフック) (1632-1723) であろうと考えられている。 彼は
「微生物学の父」とも称せられる デルフトの有名な顕微鏡発明者で(→ こちら) (← 赤字部を2016年10月追記) 、1676年にフェルメールの遺産管理執行人に指名されている。 生前のフェルメールと彼の関係を示す記録は無いが、二人は同じ年にデルフトで生まれ、両家とも織物業に従事しており、二人とも科学や光学に魅了されていたことから、互いに知らなかったとは考えにくい。 van Leeuwenhoek の死後6年後に或る人物が、彼の顕微鏡学者としての業績とは別に、「彼は航海術、天文学、数学、哲学、自然科学に造話が深く、且つ、芸術面でも最も傑出した人物である」との評価記録を残している。
1668-69年にvan Leeuwenhoek は36才位で、モデルの人物の年令とほほ同じである。
更に、 デルフトの画家 Jan Verkolje (1650-93)の1686年の絵”Portrait of Anthony van Leeuwenhoek”のイメージから判断して、その大きな顔と真っ直ぐで高い鼻は、この絵のモデルを思い起こさせる。
フェルメールが、得意とする室内の婦人というテーマから、1660年代後半に科学的な探求という天文学者や地理学者をテーマにした、その変化は驚きである。 この新しい課題を説明できるだけのフェルメールの人生の変化については不明である。 しかし、van Leeuwenhoek の人生が、こうした主題へのフェルメールの関心についての一つの説明を提示している。 つまり、van Leeuwenhoekは1669年2月4日に測量士の検定試験に合格したのだから、彼は1668-69年頃、積極的に科学の勉強をしていたはずである。
たとえvan Leeuwenhoekがこの絵と「#27/天文学者」を描くことをフェルメールに思い付かせた、あるいは注文したとしても、これらの絵は単なる学者の肖像画以上のものを持っている。 フェルメールはこれらの作品で学問的な探求や発見に対する興奮を伝えると共に、対になる両者の関係は、単に関連する科学分野の描写という以上の複雑さがある。 天と地の研究というのは、全く異なる神学的な意味を持つ二つの分野の思想を代表している。 「天」は神の領域であり、「地」は人の人生に対する神の意志である。 即ち、両方の絵にある地図や器具は科学的な道具であると共に、寓意的な意味を持っているのかも知れない。 寓意的には、天球儀を調べている天文学者は神の導きを求めており、地理学者はその人生を図化する道具を与えられているという確信を持って光を見つめているのである。
この絵と「♯27/天文学者」が依頼に応じて描かれたものである事は、その特定化された主題であることからも、確かな事であると考えられる。