週末から最低気温が16℃前後、最高気温も20℃前後で一気に冬が来たみたいになり、年寄りにはこの急激な気温の変化に直ぐには順応できません。
その寒さのせいではないのでしょうが、数日前の朝起きると腰痛といいますか、背骨痛といいますか、とにかく背中と腰のつなぎ目付近が痛いんです。 上半身を前後に傾けても痛くないんですが、左右か回転してねじると痛いんですわ。 筋肉が痛いのか骨が痛いのか、両方痛い感じでした。 単に寝違えた位の痛さではありませんでした。 ということで、今日病院に行ってきました。
私めの背骨は約7度(これは非常に大きい湾曲なんだそうです)左側に曲がっておりまして、レントゲン写真を見た医者は必ず 背骨に痛みはないか? と聞くのが今までの常でした。
昔、会社の診療所で入社時のレントゲン写真を見せてもらったことがあるのですが、自分でも驚くほど曲がっておりましたです、はい。 若い時から背骨が曲がっているので、おそらく勉強のし過ぎでしょう?? と医者は笑っておりましたが…。
今日医者が言うには、歳を取って背骨と骨盤のジョイント部の軟骨が磨り減って痛みが来ているので、完治はもうありません、対症療法の痛み止めを飲む位しか手はありませんと、いとも簡単に言ってくれました。 齢60年、もう身体の保証期間は過ぎており、交換部品も無く、あとは自費で応急修理するしかないようなポンコツということですわな。
それにしても、神経が損傷しないことを祈るだけとは、全く困ったことになってしまいました。
↓は、「開かれた本」という題が付いておりました。 お皿はヘレンドのアポニー・ピンクです。
↓は、「王冠」という題でした。 お皿はピュイフォルカです。
Young Woman with a Water Pitcher 「水差しを持つ女」
1664-65, oil on canvas, 45.7 x 40.6 cm,
The Metropolitan Museum of Art, New York, USA
物思いにふけっているこの婦人は、窓枠に右手を、水差しに左手を掛けている。 テーブル上の銀製の水差しと皿、巾広の白いリンネルのカラーと宝石箱は、彼女がトイレに居ることを示唆している。 17世紀の地方の地図が壁に掛かっている。
フェルメールはこの絵を注意深く構成した。 つまり、絵のエッセンスから注意をそらすような物を一切描いていない。 その為に、彼は精妙な構図上の修正を行なっている。
例えば、最初は左前に椅子を描いていたが、それを消し、壁の地図を右へ移動させている。その結果、婦人のシルエットが明るい壁に対して、よリー層浮き出たものになっている。
現実世界の本質を探求する詩人のように、フェルメールは現実世界の視覚的な印象を抽出することで彼のイメージを創り出した。 新プラトン派哲学風に言えば、芸術家は自然界の偶然性の下に調和と秩序をもたらす世界が存在することを発見した。 視覚的なフォルムをその世界に与え、人間の存在する時の流れを示す時に、その才能は安らぎを覚えるのである。
フェルメールは、日常生活、特に私室の中での、精神的な調和を追及し、そして見い出した。 彼の世界の中では、椅子、テーブル、壁、地図、窓枠といった個々の対象物は、自然界の基礎となる秩序感を創造する手段となっている。 彼が注意深く選んだ対象物は、決してでたらめに置かれているのではなく、その位置、形状、色、素材は描かれている人物と一緒になって働いている。 光が対象物を結びつけ、イメージを伝える役目を演じている。 彼がイメージを創り出す為に使った多様な方法は、構図上の相互関係に対する彼の特別な認識を反映したものであるが、彼の絵のムードとテーマをどれほど魅力あるものにしているかは、余り理解されていない。
フェルメールの構想力の詩情がこの絵以上に見られる作品は無い。 あたかも時の流れを止めたかのように、若い婦人がぼんやりと窓の方を見つめ、右手を窓枠にかけ、左手で水差しを持っている。 彼女の姿は開けた窓の鉛ガラスを通過した冷ややかな光を受けているが、彼女の表情は安息感と精神的な平穏感を伝えている。 フェルメールはこのムードを、彼女を取り巻く幾何学的な形状の、静寂で控えめな構成によって補強している。
この絵の晴朗さは、それと分かる物語を見いだすことが難しい位に全てを包含している。 水差しが中心的になっていることを説明するのは容易ではない。 婦人が朝の洗面をしている所と仮定すれば、なぜ真珠が入っている宝石箱があるのか? なぜ鏡や櫛や化粧ブラシといった物が無いのか? なぜ肩まで覆うような幅広の白いリンネルのカラーを付けた彼女を描いたのか? それが洗面に関係する付属物ならば、彼の他の絵には一切描かれていないのは何故なのか? 更に、婦人の後方の壁に目立つように掛けられた地図「17世紀のプロバンス」は、彼が言わんとする物語と関係があるのか? (特に、南部プロバンスの部分だけを描いているのだから?)
こうした質問は、フェルメールの幾つかの作品と、同時代の画家の風俗画を比較する時に尋ねるならばまだしも、この絵の前では不適切なものであろう。 フェルメールはこの絵を図像学的な構図の中で産み出したが、意味を伝える方法としての物語性を示さなかったという点で他の画家とは違っていた。 オランダでは、洗浄は純粋さと潔白さを象徴するものである。 清浄さと純粋さはフェルメールのイメージの核となるものであるが、彼は他の画家と全く違った方法で表現している。 婦人は窓と水差しの間で釣り合うように立って、時間を止めているように見える。彼女の行動は過ぎ行くというよりも永続的な瞬間であり、フェルメールの光と色と形状の調和によって、更なる重要性を与えられている。
フェルメールの構図の巧緻な修正は、イメージを創り出す為の彼の苦心を示している。 その例が、裸眼でもはっきりと見える、左前景に置かれていた獅子頭の頂飾を持つ椅子である。 赤外線写真は、壁の地図が元々は婦人のすぐ後方に掛けられていたことを示している。 フェルメールはこれらの構図をグレーのベイントで消している。 これらの修正で、フェルメールは絵の中にダイナミックな緊張感を創り出している。 婦人の身体と凝視によって包含されたエネルギーが、右側にだけ置いた物体とうまく平衡している。 更に、椅子を消し、地図の位置を変更したことで、視覚的な妨害物が無くなって、光が婦人の上に直接降り注ぐようになり、婦人と窓の間の白壁に清浄さを与えている。
射し込む光が婦人の腕の優しいアークを滑り、頭部を覆う白いリンネル頭巾のスムースな面や黄色のジャケットの輝きを創り出している。 光は単に婦人を照らしているだけではなく、精神的な輝きを与えている。 フェルメールはこの輝きを、彼女の青いスカートを鮮やかに、だが光とフオルムの相互作用を示唆してややほかした境界を持たせて描くことで実現している。
婦人の姿を映している窓の鉛ガラスの黄土色と青のニュアンスから、水差しと洗面器の光輝く部分まで、フェルメールの光と色の相互作用に対する感性は際立っている。 洗面器の光輝く反射表面を創り出す為に、フェルメールは下地に赤みがかった色を使っている。 この下地層は洗面器の左上側の縁に可視でき、婦人の青い(本来の冷たい色を温かくしている)スカートにまで使われている。 この青色は、骨炭Bone Black と混ぜた紺青Ultra-marineの小さい粒子で出来ている。 自然の紺青は地層の紹曲部の尾根にのみ存在する高価なもの。 影になった黄色のジャケットの部分を黄土色の薄い下地層で描き、明るい部分にはLead-tin-yellow を多用していることを含めて、フェルメールは明るい顔料の使用を控えている。
私めは30年程前にベルギーのブリュッセルに住んでおりました。 ベルギーは北部のフレミッシュというオランダ語の派生(?)語と、南部のフランス語を話すワロン地方に分かれており、首都のブリュッセルはフレミッシュ地方の中に飛び地のようにあるフランス語を話す地区でした。 フランス人に言わせるとベルギーのフランス語は独自の言葉が多く(?)本当のフランス語ではないと言っておりましたが…。
フランス語の数の数え方 は10進法と20進法が混在しており、更に昔は60進法だったことから60以上の数の数え方も難しいです。
1~16までは固有の数字があります。 1はアン、10はディス、16はセーズですが、17はディ(ス)・セットで(10+7)という言い方になります。 20はヴァンで、21はヴァンテ・アンで(20+1)です。 30、40、50、60は固有の単位がありますが、70はソワサント・ディスで(60+10)と言い、昔の60進法の名残です。 80はカトル・ヴァンで(4X20)という言い方になり、20進法になります。 90はカトル・ヴァン・ディスで(4X20+10)です。
私めのブリュッセルでの住所が97番地で、カトル・ヴァン・ディ(ス)・セット、つまり(4X20+10+7)でした。 が、ベルギーのフランス語には90にノノンティーという単位がありまして、ノノンティー・セット(90+7)でした。
こんな数え方では足し算も引き算もうまくできるはずがありません。 ましてや掛け算、日本でいう「九x九」(くく)なんてのものは全く論外です。 昨年でしたか、石原 東京都知事がフランス語の数の数え方に文句を言ったことがありましたよね。
例えば、店屋で釣銭を渡す時、引き算をしてお釣りは幾らと直ぐには出てきませんから、例えば86円の品物を100円で払うと、87、88と1円硬貨を100円になるまで1枚ずつ置いていく、足し算方式が普通です。
先日フランス人のオーナー・シェフが開いているフレンチ・レストランでフランス語で話した時に、数の数え方が話題になりましたので、思いついて書いてみました。
9月1日突然職を投げ出した福田前総裁(前首相)の後継者を選ぶ総裁選挙が昨日9月22日に行われ、麻生太郎氏が527票中351票を獲得して第23代総裁に選ばれました。 明日24日召集の臨時国会で第92代、59人目の首相に指名され、総選挙を睨んだ新内閣が発足する予定です。
総選挙の日程は、10月3日衆院解散、14日公示、26日投開票と自公で合意されておりましたが、麻生さんが補正予算を成立させてから総選挙と言っているようで、11月中旬の投票にずれ込むかも知れません。
私めは「今回は民主党に入れる」と過去何度も言ってきておりますが、麻生新総裁(新首相)になったからといって、その意思に何ら変わりはありませんです、はい。 10月(か11月)の総選挙が楽しみですぞ。 小沢民主党か麻生自民党か、政治=総選挙の面白い秋になりそうですな、今年は。
皆さんは、最近、新聞の折込広告の中でパチンコやパチスロの広告が多いと感じておりませんか?
何時の頃からパチンコ屋の折込広告が始まったのか(→許されるようになったのか)記憶にありませんが、今はスーパーとほぼ同じ位の枚数では? との印象を持っております。 ちなみに、昨日土曜日の折込広告は、スーパーが3枚、パチンコ屋が5枚でした。
私めはもう30年以上もパチンコ屋に行ったことがありませんので、現在のパチンコやパチスロがどういうものなのか、本当の所は何も分かっておりません。 折込広告を見ると、有名タレントやコミックのキャラクターを使ったものが多いようですが、それが一体何なのか、パチンコ台のどこにどのように使われているのか、それが人を引きつけるものなのか、全く分かりませんです。
私めが若かった頃のパチンコ台は指で玉を押入れレバーで弾く全手動式(?)でしたが、その後、回転式のノブを回すだけで自動的に玉を弾く全自動式になりました。 そこまでは知っておりますが、正直な所、今はどうやって操作するのかも分からず足を向けるのが億劫な状態の、全く模範的で健全な(?)パチンコ無知人です。(笑)
会社の若い者に聞いた所では、1回に最低でも1万円、普通は2万円位は使うのだそうです。 私めにとっては全く恐ろしい額です。 1日分の稼ぎをパチンコに投資できる感覚が分かりません、私めには。 しかし、パチンコ屋の折込広告が多いということは……
狭い路地のため一番怖いのが火災だったらしく、自衛のために各家でバケツやカメに水を溜めていたらしいです。 勿論今では使われていないのでしょうが、防火意識をそのまま現している住民の変わらぬ心情を感じましたです、はい。
動く将棋盤で棋譜をご覧頂けます。
棋譜 #306 は、 63手の勝ち。 先手番4間飛車。 相手の4手目の5五角出には驚いたが、乱戦は読み勝負なので、面白い。
棋譜 #307 は、 69手の勝ち。 先手番居飛車穴熊 対 4間飛車。 相手の34手目6五歩突きから桂馬跳びで金気が手に入ると思ったのが相手の間違いで、そのまま悪くなって私めの勝ち。
棋譜 #308 は、 96手の負け。 先手番4間飛車穴熊。 相手の角を使った端攻めにうまくやられた。
棋譜 #309 は、 73手の勝ち。 先手番3間飛車穴熊。 十二分に穴熊に囲えては負ける気がしない。 最後は大差で、投了も止む無しか。
棋譜 #310 は、127手の勝ち。 先手番居飛車穴熊。 6九底歩打ちは飛車を切る準備。 その後は大駒交換の派手な乱戦。
まぁ~ ヘボ将棋を見てやってください。(将棋へのコメント歓迎です)
今宵はこれにて。 では、また‥
数日前に おっ家内の年金特別便 が届きました。
それが(↓)です。(本紙はA4ですが、空白部分をカットして縮めてあります)
No.1の厚生年金は、結婚前に地元大学の事務員としてパート勤務した時のものとのことです。 実はこの期間が本当は抜け落ちていたんですが、私めの年金請求申請書を社会保険事務所に提出した時に、おっ家内の年金記録も同時に調べてくれて、旧姓のまま宙に浮いていたことが判明したものです(←2月19日参照)。 但し、約1年間の期間が、この特別便では3ヶ月間になっておりますので、記録にミスがあると申告する予定です。 今年2月に記録を修正してもらって、そのコピーまでもらっているのに、そこでまたミスが発生しているのが、社会保険庁の職員とコンピューターの現状です。 何を信用すればいいのやら…。 皆さんも、念には念を入れて、よぉ~くチェックしてくださいよ!
No.3の国民年金は、専業主婦の3号被保険者として、実際には保険金を支払っていないものです。
No.2の国民年金ですが、自分で保険金を支払ったものです。 我々の世代は一時期専業主婦でも任意で保険金を支払うことが出来ました。 支払えば、当然年金額は多くなります。 この支払い開始時期が、実ははっきりしません。 おっ家内の年金手帳は或る銀行の貸し金庫の中に入れてあるので、その銀行に行って年金手帳を見てみないといけません。 おっ家内にそう言うと、長いこと行ってないので、貸し金庫に入る暗証番号を忘れてしまったので、私めに行けという始末ですわ。 有給休暇をたくさん取らんといかんと言っていたではないか、丁度いいから有休の時に行ってきて、と…。 まったく「??!!」ですわ!
昨日9/8、角界の北の湖理事長が辞任、大麻反応が陽性と出た露鵬と白露山は解雇。 当然です。
オリンピックではドーピング検査で陽性になると、自分はやってないと選手が言っても、誰も相手にしません。 スポーツ界の常識です。 が、日本の国技、相撲界では、力士がやってないと言うと、それを信じてかばう親方がいるんですから、如何に角界が世間の常識とかけ離れているかを如実に示しています。 世間で言う、バカな子をバカな親がかばうのとは訳が違います。
北の湖前理事長は、理事長を辞任しても依然理事として残るんだそうです。 他人(の世界=自分とは無関係)には厳しいが、自分(と身内の世界=自分に関係)には甘いのは我々凡人の常ですが、組織の長たる者としての出処進退の感覚が、これまた世間とはかけ離れています。 それを認め許した理事会、角界の先行きは はてさてどうなることやら……。
確かにありました。 それも2本です。 ↓の写真でお分かり頂けるでしょうか?
頭部に鉄製の継ぎ足しをしてありました。 ↓が頭部の拡大写真です。
地上2m位の所にあった、何と言うのでしょうか、電柱に登る時に足を掛ける鉄の足掛けです。
その町の公民館のホームページに地域の歴史が書いてあり、木製の電柱のことも書いてありました。 2本とも昭和15年製らしいのですが、それが分かるものはありませんでした。
↓がもう1本の木製電柱です。 この頭部には木製の継ぎ足しがしてありました。
木製の継ぎ足しの拡大が ↓の写真です。
この町のこの辺りは空襲の被害を受けなかったので、狭い道のままで、古い町並みの風情が残っているようでした。
動く将棋盤で棋譜をご覧頂けます。
棋譜 #301 は、102手の負け。 先手番相振り飛車。 作戦負け。
棋譜 #302 は、188手の負け。 先手番相矢倉。 互いに入王の激戦だったが、負けは負け。
棋譜 #303 は、 89手の勝ち。 先手番居飛車 対 中飛車。 乱戦気味を物に出来た。
棋譜 #304 は、 53手の勝ち。 先手番居飛車。 攻め合い勝ち。
棋譜 #305 は、 57手の勝ち。 先手番4間飛車。 乱戦を制する。
まぁ~ ヘボ将棋を見てやってください。(将棋へのコメント歓迎です)
今日はこれにて。 では、また‥
定年後再雇用された嘱託の給料は時給2,200円のパートタイマーみたいなもんですと6月3日に書きましたが、その時給は契約期間満了までの4年間、普通の社員のような定期昇給も春闘によるベースアップもありませんので、給料が上がることはありません。
一方、原油のような基礎原材料や小麦のような輸入食物原材料の値上がりで、昨今色々な物価が上昇中です。 おっ家内と話しまして、将来の年金生活を想定した倹約生活を身に付ける為に、今から少しずつでも倹約を始めようということになりました。
我が家の倹約の手始めは、バターをマーガリンに変えたことです。
ドイツ生活中に本物のバターの味を覚え、帰国後も今までずっと本物のバターを使っておりました。 今月9月から朝食の食パンに塗るこのバターをマーガリンに変えました。
これだけでの倹約額は大したものではありませんが、倹約しようという心意気(?)を具体化したもので、塵も積もれば山となるのごとく、他にも色々と倹約をはじめておりますが、詳しくはおいおい報告するつもりでおります。