最近はテレビの時代劇が激減してい るようですが、これもテレビ局がコストを嫌って造らないのじゃないかと思ってます。それだけに滅多に無いのです がたまに放送される「鬼 平犯科帳」は結構見ています。
あの犯科帳を見ていると、江戸時代の江戸は結構事件があったように思えるのですが、実際はかなり少な かったようです。というか世界で一番平和な町だったようです。いつものねずさんに衝撃的な数字がありまし た。
ねずさんの ひとりごとよ り
女 殺油地獄 2013.08.07 Wed
・・・略
「女殺油地獄」が書かれた享 保年間というのは、八代将軍吉宗が享保の改革を行った時代です。
享保年間は20年続きますが、この時代 を象徴するのが、先日も書きましたが、犯罪者の少なさです。
とりわけ江戸では、伝馬町の牢屋に入っ た犯罪者が、20年間で0人です。
お役人がさぼっていたわけではありませ ん。
犯罪を犯す人がいなかったのです。
「女殺油地獄」も、実際にあった事件を 題材にしたとはいいますが、実際にあったのは、若旦那が郭(くるわ)通いにウツツをぬかして、店のカネに手をつ けて追い出されたというだけの話です。殺人事件そのものは、近松門左衛門の創作です。
なぜ犯罪が少なかったのかといえば、 人々がひとりひとり、みんなでちょっとずつの我慢をして、条理を保とうとしたからです。
そしてそんな「条理を保つ」ことが、日 常化されたあたりまえの社会だったからこそ、「女殺油地獄」のような「不条理」だけを題材にしたような作品は、 たとえどのように舞台を美しく飾ったとしても、たとえそれが大御所の呼び声高い近松門左衛門の作品であったとし ても、人々は眉をひそめ、敬遠したといえるのではないでしょうか。
そしてこの傾向は、幕末から明治期ま で、ずっと続きました。
明治初期に来日した英国人の紀行家イザ ベラ・バードは、日本で盛大なお祭りを視察したときのことを、次のように書いています。
警察の話では、港に2万2千人も他所か ら来ているという。
しかも祭りに浮かれている3万2千の 人々に対し、25人の警官で充分であった。
私はそこを午後3時に去ったが、そのと きまでに一人も酒に酔ってるものを見なかったし、またひとつも乱暴な態度や失礼な振舞いを見なかった。
私が群集に乱暴に押されることは少しも なかった。
どんなに人が混雑しているところでも、 彼らは輪を作って、私が息をつける空間を残してくれた。
たった25人の警察官で、3万2千人の 人に対応し、しかも事件も事故もまったく起こらなかった。
日本はそういう社会だったのです。
明治時代に東京市長(昔は東京は“市” でした)を勤めた後藤新平は「江戸の自治制」という研究書を書いていますが、そのなかで、「なぜ江戸社会が犯罪 のない社会であったか」ということについて、江戸時代の人々が「きわめて人々の徳性(とくせい)が高かったか ら」と述べています。
「人々の徳性が高い」というのは、「民 度が高い」というより、もっと上の状態にあることを示します。
それだけ徳性の高い住民たちだったから こそ、たとえ舞台などの芸事でも、あまりにも不条理なものは、かえって敬遠されたわけです。
これからの日本を考えるとき、世界中の 人々がこれからもっともっとたくさん日本にやってくるようになろうかと思います。
世界中の人々がある程度の豊かさを得る ことができるようになったこと、人々の交流が盛んに行われるようになったこと、そして世界中の人々から、日本が 魅力的な国になればなるほど、日本にやってくる外国の人は増えるものと思います。
思うにそのとき日本人は、日本人として の徳性を放棄し、民度を下げるという選択をするのが正しい道なのでしょうか。
それとも日本人らしい高い徳性を維持 し、ますます民度をあげることで、世界中の人々に良い影響を与える国となっていくことが、これからの日本にとっ て、あるいは世界にとっての正しい選択なのでしょうか。
選ぶのは、私たち国民です。
そして日本の未来は、とっても厳しい言 い方をするようだけど、いまを生きるいまの日本の大人たちの双肩にかかっていると思うのです。
伝馬町の牢屋に20年間ゼロという のはさすがに驚きました。サーチしてみましたが、さすがにこの数字は見つけることができませんでしたが、江戸時 代の治安の良さは多くのブログが取り上げています。
きのせみかの大 和撫子な生活より
百 万都市「江戸」の警察官はたったの12人だった 2012/04/19 15:23
・・・略
江戸は当時の世界最大の都市だった といわれていますが、人口の増減はあったにせよ、常に武士とその家族50 万人と、70万あまりの町人が住んでいたとされています。
(行政的にいえば、南北二 つの奉行所が町民を治めていました。)
その奉行所には、町方と いわれる役人が、合わせて332人働いていましたが、役人は月番制でしたので、いつも奉行所に詰めていたのは半 数の166人ということになります。つまり、70万人の町人に対して166人の役人ですから、町人約4200人 につき1人の役人で足りていたということになります。
しかも332人の役人の うち、64人が司法と警察業務を担当し、その中でも今の警察官に相当する奉行所同心定廻りは12人しかいません でした。実際には、定廻りが自分の収入で5人ほどの岡引を雇い、岡引もまた自分の収入で助手として下引を5人ほ ど雇っていましたが、それでも150人ほどの警官によって70万人以上の治安が維持されていたことが分かりま す。(つまり町人約4700人に対して警察官1人。)
現在の東京都では、警察 官は46000人で、つまり都民約290人に対して1人の警察官ということと比べても、江戸の人々の道徳性は高 く、礼節を重んじる平安な世の中だったことがうかがわれ、当然人々の幸福度も高かったことと思われます。
こうやって見ると、驚 くべき数字ですね。これは世界でも例が無いでしょうね。ということはあの憎まれっ子の家康さんは本当に偉かった と言えそうです。あの山 岡荘八さんの長編「徳川家康」で、ひたすら平和を追求した家康の姿に感動したのを思い出します。こ れだけの国を作り上げたのですからやはり凄い人だったんでしょうね。何てったって世界の歴史上にも多分無かった だろう平和な日本を作り上げたのですから。
それにしても、ねずさんもどこからこんなこと調べてくるんでしょうね。簡単に読ませてもらって申し訳ないで すね。
他に刑が厳しかったからだとか相互監視のシステムとか後ろ向きの説も沢山ありましたが、私はやはりこのねず さんの日本人の素晴らしさを取りたいですね。
そして、ここまでは無理としてもできるだけ近づける日本を取り戻したいものです。何度も言いますがこのねず さんのブログを教科書に採用して欲しいものです。そうすれば意外と日本を取り戻すのも早いかも。
尤も、それには絶対に中国、とりわけ朝鮮との国交断絶が必須になりますね。
何とも嫌な隣国を持ったものです!