この部屋でこれからはクルマから公共交通主体 に変えるべきだと何度も書いてきましたが、そんな私も考えもしなかった驚くべき社会実験が行われているそうです。何と、 公共交通を無料にしたらという試みだそうです。
極貧生活の身としては有難い考えですが、流石に無料という図々しい考えはありませんでした。しかし、考えようによっ ては面白そうです。
WIRED.jpよ り 2015.03.15 SUN
「移動」は健康や教育と同じように、ひとつの権利ではないのか。なぜ公的資金で公 共交通を無料にして利用者を増やし、環境汚染と交通事故を減らさないのか。これは、世界のさまざまな場所ですでに起 きていることだ。
なぜ、公共交通は無料ではないのか? 「Atlantic」 誌に寄せられたその質問は、非常に興味深い問題意識を提示してくれている。
自動車やバイクを乗り回すことが環境汚染の原因となりうることは、よく知られてい る。そして環境汚染は──そして交通事故も──、とりわけそれに伴う医療コストと関連付けて考えると、無視できない 社会的出費となっている。
したがって、もし通行する自動車を大きく減らすことができるのであれば、経済的観 点からも、公共交通を無料にす る措置は適切なはずだ。そもそも公共交通に費やされる巨額なコストは、すでにかなりの部分において、公的資金によっ て支えられている。それならなぜ、さら なる努力をして、路線を解放しないのだろうか?
このアイデアは新しいものではなく、1970年 代から実験されている。当時、イタリア・ローマではテストとしてバスの無料化が実施された。しかしバスが無料になっ ても、6カ月の間、遊びで乗車した子どもたちの大群を別 にすれば、利用者は同じままだった。
同様の実験がその後アメリカの3つの都市 で行われ、同様の結果に終わっている。それぞれ米コロラド州デンヴァー、米ニュージャージー州トレントンが70年 代に、米テキサス州オースティンが1990年に。そして、2013年 には、エストニアの首都タリンでも実施された。ここでも、自動車で通勤する人々はそのスタイルを変えず、利用者はわ ずかに増えたもののその大半は、すでに徒歩や自転車で通っていた人や、何もすることがない子どもたちだった。
“Rush hour” by Julien Belli (CC:BY 2.0 Generic)
2002年のある研究(PDF) は、「無料」という言葉が引き寄せるのは、車に乗る人がより多い裕福な人々ではなく、野蛮で疎外された若者たちの大 群であると説明した。
ローマの人々は、上記の実験のわずか1年 後の1973年、大挙してバスに乗ることになったのだ が、それは経済的原因、つまり、ガソリン価格の急上昇によるものだった。
しかし、2012年、米国のもうひ とつの分析(PDF)が、全米40の 小都市や世界の他の数多くの都市の活動を評価した。こうした都市は、公共交通の無料システムを研究して維持し、成功 を収めていた。利用者は大きく増え、ある小都市や大学都市においては、数カ月で20% から60%となった。一定の季節に人でいっぱいになる 観光地においても同様だった。
米国以外のいくつかの例を研究から取り上げると、人口14,000人 のドイツのテンプリンは、無料交通を導入して、2年でその利用客を年41,000人 から512,000人に増加させた。人口70,000人 のベルギーのハッセルトは、4年で1日 の利用客を1,000人から3,000人 に増加させた。人口53,000人の中国のチャンニンは、2年 で利用客を11,000人から60,000人 に増加させた。
他の実験は、ラッシュアワーなどの特定の条件にあわせて考え出された無料の切符の 有効性を証明した。2013年に、シンガポールは8時15分 と9時15分 の間に車両の混雑を緩和しようと試みて、7時45分 より前に無料の電車を提供した。これは大きな成功を収め、ラッシュアワーにおける乗客は、他の時間と比べて、3倍 から2倍になった。
いま、自由に移動するという万人の権利のために、世界各国の都市において、電車賃 を支払わないように呼びかける運動が広まりつつある。最も有名なもののひとつが「Planka」 だ。ストックホルムを拠点とするこのグループは、公共交通において無賃乗車の結果支払うことになる罰金をすべて支払 うと宣言している(その値段は、わずか月10ユーロなのだが)。
Plankaは現在、ヨーテボリ、エステル イェートランド、ヘルシンキでも活動している。一方、同様のイニシアティヴがパリや、「Movimento Passe Livre」(無賃乗車運動)の行われているブラジルに存在して いる。
Plankaは次のように述べている。「わた したちはドライヴァーとして生まれてきたのではなく、そうなっただけだ!」
欧米の人達はこういうところで意外な発想をしますね。1970年代から実験されてい たとは驚きです。日本人はここまで図々しいことは考えないような気がするのは私だけでしょうか。
しかし、環境や交通事故などのコストを考えると意外と面白そうですね。無料まで行かずとも大幅な値下げを行えば一気 に公共交通への移行も進むかもしれません。
この発想ならば今や新幹線の開通で第三セクターとして生き残りに苦労している従来線の経営にも明るい未来がありそう です。
新幹線と従来線と市電で大抵の移動が可能となればクルマから公共交通へ乗り換える人も増えそうです。何と言っても、 交通事故に気を使いながら自分で運転するより、寝ていても目的地に付ける公共交通は精神衛生上ずっと有利というもので す。特に、私のような横着者には。