政府・外務省・農水省などのニセ慰安婦問題などと同じような腰の引けた対応によって、殆ど口に入ることが無くなってしまったクジラですが、その捕鯨問題の信実を映画で作ってくれた八木監督に続く2人目の女性監督佐々木さんを、8月30日 、第1168回の「おクジラさま」で取り上げました。
その映画と監督を産経新聞が詳しく取り上げてくれています。
産経ニュースより 2017.9.4
【映画深層】反 捕鯨の欧米に日本の考えの説明が大事では…それがきっかけ「おクジラさま ふたつの正義の物語」
捕鯨やイルカ漁の問題を扱ってはいるものの、決してその是非を問う作品ではない。9月9日公開のドキュメンタリー「おクジラさ ま ふたつの正義の物語」は、対立する意見の着地点を探るのがどれだけ困難かを浮き彫りにしている。米ニューヨーク在住の佐々木 芽生(めぐみ)監督は「みんな違う人間なのだから、意見が違って当たり前。違いではなく、どこに共通点を見いだすのかというとこ ろに焦点を当てるべきじゃないかと思った」と語る。
反捕鯨側の情報しか流れてこない
映画の舞台は和歌山県太地(たいじ)町。古式捕鯨発祥の地といわれ、古来、人々はクジラとともに生きてきた。現在もゴンドウク ジラやイルカなどの小型鯨類を入り江に追い込んで捕獲する「追い込み漁」という漁法が続けられている。
この町が世界に知られるようになったのは、米国のドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」(2009年)の影響が大きい。イルカの 追い込み漁の実態や、それを阻止しようとする海外の活動家と地元漁師たちとの抗争を、隠しカメラなどを使って撮影し、米アカデ ミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞するなど大いに反響を呼んだ。
ニューヨークに暮らす佐々木監督は、この「ザ・コーヴ」が火をつけた太地町のイルカ漁問題を、複雑な思いで眺めていた。「海外 にいると、どれだけ怒りと嫌悪感が日本に向けられているのか、肌感覚として分かるんです。ちらほらですが、東京五輪ボイコットま でつなげるような話もありますからね」
特に欧米では、反捕鯨側の意見や情報しか流れてこない。もっと日本側の考えや状況を説明することが大事なのではないか。そんな 思いで太地町を訪れて取材を始めたのが、2010年4月のことだった。
「感じたのは、どれだけ地元の漁師さんたちが活動家に嫌がらせを受けていたかということですね。例えば夜明け前、出漁しようと 港に集まっていると、いきなり活動家がやってきてカーッと電気を照らし、何をするんだと怒ったところを映像に撮られて、この野蛮 な人たち、として発信される。ただ私は当初から、両方の言い分を見せたいという思いでいました」
お互いが見ている前で堂々と取材
過激な活動で知られる環境保護団体、シー・シェパードのメンバーにもインタビューしたが、必ず漁師の目の前でマイクとカメラを 向けるように心がけた。逆に漁師に取材するときもシー・シェパードが見ていることを意識していた。「隠れてシー・シェパードに取 材をして、漁師さんには、私たちは味方ですよ、などと話せば不信感が募る。そんな噂が広まると、信頼をなくしますからね」
こうして取材を続けていたさなか、2011年3月に東日本大震災が発生。イルカ漁問題どころではなくなり、資金集めの面でも行 き詰まる。監督自身も、ニューヨークに住む現代アートのコレクター夫妻を取り上げたドキュメンタリー映画の第2弾「ハーブ&ドロ シー2 ふたりからの贈りもの」(2013年)の制作に取りかかっており、中断せざるをえなくなった。
「その後、太地町に戻ろうとして、以前に撮った素材を見直してみたんです。映画にできるのかなと心配だったが、見直して思った のは、これは捕鯨問題だけじゃないということ。太地町で起きた衝突からはものすごく普遍的なテーマが見えてきて、まだ十分に作れ るなと感じました」
こうして2014年に撮影を再開。漁師たちの組織である「太地いさな組合」は騒動に懲りて、あらゆる取材を拒否する姿勢になっ ていたが、粘り強く交渉して何とか扉をこじ開けた。スロベニアで開かれた国際捕鯨委員会にも行ったが、「むしろ太地町という小宇 宙を定点観測することで、大きな世界が映し出せる」と太地町に絞ることにし、編集に約2年をかけて作品を完成させた。
戦争というのはこうして始まる
もともとリアルな人間のストーリーには興味があったという佐々木監督は札幌で生まれ育ち、青山学院大学を卒業した後、東北新社 に入社したが、主に映画の買い付けをする仕事で、映像表現とは無縁だった。
2年ほどで退職してインドに一人旅に出かけ、4カ月を過ごして日本への帰途にニューヨークに立ち寄ったことが、その後の運命を 決める。そのままとどまることになり、「もう30年、帰国しようとしてまだたどり着けない」と苦笑する。
最初は貿易事務所で電話番のような仕事をしていたが、パーティーなどで出会ったアメリカ人が必ず聞いてくる質問があった。
「What do you do? あなたは何をする人ですか、と聞かれるんです。例えば生活費を稼ぐためにウエートレスをし ていても、働きながらダンサーを目指していたら、私はダンサーですと答える。ニューヨークで生活しているうちに、自分は何をする 人なのか、ということを意識するようになりました」
興味を持ったのは写真だった。インド旅行で撮った写真が、最初の観光客気分だったころと最後のお金がなくなってきたころと全く 違っているのが面白く、教室に通うようになる。その後、ベルリンの壁崩壊後、東欧7カ国を訪ねた旅行記を邦字紙に写真付きで載せ る機会に恵まれ、さらにNHKのニュース番組「おはよう日本」の経済キャスターにリポーターと、仕事の幅が広がっていった。
「特にリポーターは、自分でネタを見つけて、自分で取材して、自分で原稿を書くという仕事で、ネタを探すだけでも眠れない日々 が続いたほどです。とにかく視点は何なのか、何が言いたいんだ、ということを常に言われた。2分半のリポートであっても視点を意 識する、ということを徹底的に学んだ気がします」
その後はNHKスペシャルなどのリサーチコーディネーターとして、ドキュメンタリー番組の現場をつぶさに経験。こうした蓄積を 重ねて2008年、ドキュメンタリー映画「ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人」で監督デビューを飾った。
今回は初めての書籍にも挑戦し、映画と同名のノンフィクション「おクジラさま ふたつの正義の物語」が、8月25日に集英社か ら発売された。一人でこつこつと書き続ける集中力が必要だったというが、映画は映画で、自分が先頭に立ってスタッフを動かしてい く苦労がある。途中で頓挫してしまったら、多くの人に迷惑をかけてしまう。
「太地町で起きていることを見て、戦争というのはこうして始まるんだなと感じた。お互いにコミュニケーションがなくて、両サイ ドとも自分だけが正しいと主張し、相手が悪だと決めつける。でも分かり合えなくてもいいから違いを認めて、嫌いだけど共存しなけ ればいけないんだと認識するだけでも変わってくる。衝突とか対立は和らげられるんじゃないか、という気がします」(文化部 藤井 克郎)
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「おクジラさま ふたつの正義の物語」は、9月9日に東京・渋谷のユーロスペース、23日に横浜のシネマ・ジャック&ベティ、 30日に大阪・十三の第七藝術劇場、名古屋の名演小劇場など全国順次公開。
何度も書いてきましたが、八木監督の「ビハインドザコーブ」と両方を、政府・外務省・農水省などが、バックアップして世界に広報すべきでしょう。
これ程、素晴らしい武器は無いでしょう。政府・外務省・農水省などが、無駄な予算のほんの一部を廻すだけで、世界に日本のクジラ文化の素晴らしさを広めることが出来るのです。
何故やらないのか。と言うより、そんな発想も、国の名誉を挽回するという気持ちも無いのでしょう。
本当に、日本を愛せない議員や官僚ばかりです。