上司に反抗ばかりしていたサラリーマン失格の私ですが、弱い者虐めや卑怯な事だけはやらない気概はありました。かと言って、全くやらなかったかと言われれば自信はありません。やはり、情けないですね。
そんな、情けない私に今回のねずさんの話は堪えました。何と、ねずさんのお父さんが、「喧嘩をするなら、自分より強いやつとやれ」と言っていたのだそうです。
所謂、暴力を伴う喧嘩は殆どやったことはありませんが、こんな覚悟は持って無かったですね。やはり、育ちは大切ですね。
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大和心を語る ねずさんのひとりごとよ り 2018年04月29日
日本人はなぜ自分よりも強い相手と戦ったのか
男が武を用いるときというのは、ものごとを正して正義を実現するときです。
だから正義は絶対に負けない。
やられても、殺されても、それでも負けない、退かない。
常に日を背負う。
私が子供の頃に死んだ親父がよく言っていたことに、
「喧嘩をするなら、自分より強いやつとやれ」
というのがありました。
子供だって腹の立つことはあるわけです。
男の子だから当然喧嘩になります。
とっくみあいや殴り合いで生傷が絶えないのが男の子です。
けれども自分よりも強い者としか喧嘩しちゃいけないというのですから、困ったものです。
やればたいてい負けました。
負けて鼻血を流して半べそをかきながら、
「今日はこのへんで勘弁しといてやらあ!」
と言って、また殴られました(笑)
いま思えば、親父の言葉は、喧嘩に勝つとか負けるということなど問題にしていなかったことがわかります。
それは、
たとえ負けても卑怯な真似をせずに正々堂々と挑むとか、
強きを挫き弱きを助けるのだとか、
軍国少年教育とも、
まったく異なるものでした。
やはり、先人と現代人は同じ日本人とは到底思えません。これも、教育の差でしょう。どんなに民度の高い日本人も、今のような教育を受けていれば、消滅は間違いないでしょう。
一日も早い、教育改革が望まれます。それにしても、こんな教育をしている文科省を頂点とする教育界の人達は本当に日本人でしょうか。
やはり、ねずさん曰くの「日本に住んで日本国籍を持ち、日本語を話すけれど日本人でない者」でしょうか。
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