☆サード・パーソン(2013年 イギリス、アメリカ、ドイツ、ベルギー 138分)
原題 Third Person
監督 ポール・ハギス
☆作家の頭を覗いてみれば
凄い処女作を出して大ヒットをかっとばした作家が、次回作を期待されるあまり極度のストレスに見舞われ、スランプに陥り、人生そのものを台無しにしていくことは決して珍しいことじゃないんだろう。
このリーアム・ニーソンもそうで、結局、離婚弁護士の妻キム・ベイシンガーが仕事に出ているとき、仕事もうまく往かず、子供の面倒を見るようになってる。つまり主夫になってて、で、不倫もしたりしてる。不倫相手は小説家志望のオリヴィア・ワイルドという、まったく、リーアムさん、色気のある女性が好きなんだからってな印象だが、彼女と電話で話しているほんの30秒の間に息子がプールに落ちて死んじゃうことで、もう、人生の歯車は完全に狂う。リーアムはパリで酒と女に溺れ、キムはプールに飛び込めない。
そうしたリーアムの書こうとしている物語が、ほかのふたつの恋物語になってる。
そのひとつニューヨーク編にはキムもマリア・ベロに姿を変えて離婚弁護士として登場して、ジェームズ・フランコとミラ・クニスの離婚裁判を担当してる。ふたりの間には息子がいて、この親権を争ってるんだが、どうやらミラがしつけをするためにゴミ袋をかぶせたことで窒息しかけたことが虐待したとされてるらしい。で、ジェームズは不倫相手のローン・シャバノルと同棲して息子をひきとってるわけだ。つまりは、リーアムのいびつな投影なんだよね。
それはローマ編にしても同じで、自分の不注意から娘を死なせてしまったエイドリアン・ブロディが登場する。もちろん、リーアムの投影だ。酒場で知り合うロマ族のモラン・アティアスは娘を誘拐されている。キムの投影だ。で、この身代金を立て替えてごろつきと交渉していく過程で、ふたりは恋に落ちていくわけだけど、誘拐された娘を救うことがすなわち自分の娘の供養だという気持ちがあって、それは当然リーアムの心情なんだよね。
だから、ラストの一連のカット、すなわちキム、ミラ、モランが同じ人物となってリーアムの追いかける相手になり、つぎつぎに登場人物が消えていくさまは、リーアムの頭の中で事物が整理されていくという経過の表現になってるんだろうけど、このあたりの目まぐるしいカット割りは好きだわ~。
ただまあ、3つ描いていくリーアムの私小説部分については、愛人のオリヴィアに対して「自分の物語を書け」というのが味噌で、彼女が表層的な文章はかけても物語の本質を書けないのは、自分が父親と近親相姦をしているからで、これは書けないよね。ところがこれをスランプのリーアムは書いてしまうんだな。追い込まれた作家が作品を創り上げていくときに愛人のスキャンダルを書いてしまうわけで、傑作は書けても、愛人を失うだけでなく社会的な名声はやがて失ってしまうっていう自己崩壊へと進んでしまう憐れさがある。
いや~、こういう複雑な構成は好きだわ~。