☆インターステラー(2014年 アメリカ、イギリス 169分)
原題 Interstellar
監督 クリストファー・ノーラン
☆5次元の部屋は星々の狭間にある
凄くおもしろかった。
ほんとにクリストファー・ノーランという人は、縦の構図が好きで、奥の深さと時の深さが常に主題になってる。それは多次元の世界であり、そこに普遍的な愛を求めるという意識はまったく変わらない。
もちろん、この作品はがちがちのハードSFで、相対性理論だの5次元だのワームホールだのスペースコロニーだのブラックホールだのと、SFにまるで興味のない人にはちんぷんかんぷんの言葉や設定や映像が出てきたりして、そういうものが好きな連中は、底流にあるドラマに感動している観客よりもちょっとだけ上から目線になってりするのかもしれないんだけど、実をいえばそんなことはない。小難しい説明なんて必要ないんだとばかりに、クリストファー・ノーランはSF的な考証をいっさいせずに物語を展開していく。
これは正しい姿勢であって、もしもこの作品が日本で作られていたら、わけがわからんから説明しろとかいう上からの意見に圧されてSF解説映画になっちゃって、なんにもおもしろくないものになったかもしれない。ノーランはそういうところをわかってる。だから圧倒的な映像で見せて感覚的に納得できればいいという姿勢を崩さない。
それでいいのだ。
まあ、物語の構成的にはいちばん最初にマッケンジー・フォイの部屋に幽霊が出るというところから、なんとなく本棚の向こう側の世界を感じるようになるし、そこに父親マシュー・マコノヒーの存在をなんとなく感じる。だから最初から観客には5次元の空間による時のひずみを匂わせてくれるんだけれど、まあそれはハリウッド映画の常道みたいなもので、そのあたり、ノーランは基本に忠実な監督といえる。
ちなみに、ノーランのお得意のパラレルワールドは互いに影響しあっているから一方で爆発が起こればもう一方でも火がつくのだ的展開によって、どうしても地球で炎が立ち、ある意味におけるカタルシスを迎えないといけないわけだけれども、それはもちろん、かれらにとってなによりも大切な家族の絆、父と娘の約束や信頼が破綻して粉々に砕けていくものの象徴として危機的な出来事が勃発することにほかならない。で、ジェシカ・チャスティンがトウモロコシ畑に火をつける。もうこんなところに拘り続けているから幸せになれないんだ、こんなところは棄てて他の土地へ移住すれば、長男の肺だって良くなるかもしれないじゃないかってな展開は、つまり、トウモロコシ畑は地球で、子供は地球人の見立てってわけだよね。このあたり、ノーランはきっちり自分の世界設定をつらぬいてる。
そういうことからいえば、きわめてわかりやすく好感の持てる作品だった。