△カリフォルニア・ダウン(2015年 アメリカ 114分)
原題 San Andreas
監督 ブラッド・ペイトン
△自分勝手な家族救出劇
東日本大震災があってから、どうしても地震や津波についてそれをあつかった映画は自主規制する風潮ができてた。けど、時が過ぎればそれが禊になったと解釈され、徐々にそうした作品ができてくる。まあ、いろいろと意見はあるだろうけど、地震も津波も自然現象として存在するものである以上、これをあつかった映画や物語を永遠に作らないわけにはいかないし、実際、文章でも「津波が襲ったように」とかいう表現が無くなることはないし、あってはならない。
そういうことからいうと、この作品は、よくがんばったかもしれない。地震や津波のリアルかつ圧倒的な映像をふんだんに盛り込み、その恐ろしさを実感させてはくれる。いったいどうやってこのCGを作ったんだっておもわせるし、よくもまあたった3か月で撮り上げたもんだなと、ハリウッドの映像制作の物凄さには感嘆するしかない。いや、それと、こうした自然現象に対して人間は小さな存在ながらも決して負けてはならないし、家族の絆というものはなによりも強いのだというハリウッドの大得意の主題もよくわかる。
ただ、だ。
ちょっとばかり主人公たちが勝手に動き回り過ぎるのは、どうしようもない欠点としかいいようがない。
ドウェイン・ジョンソンは、災害時の救出ヘリ部隊のチーフらしい。それは冒頭、よくわかる。人望にも篤いし、離婚届けをつきつけられても、奥さんの愛人におめでとうをちゃんといえるだけの度量もあって、さらに娘命のタフガイだ。この設定はこれでいい。
ところが、だ。
フーバー・ダム決壊の地震(その後ときどき登場して電波ジャックして「カリフォルニアに地震が起こるぞ」とだけ報せるだけの役割しかないのになんだかとても偉いことをなしえたようにあつかわれているカリフォルニア工科大学の地震学教授が巻き込まれた地震のことね)が起きたと知らされ、災害救助のための緊急出動したはずが、いきなり、別れた奥さんから「助けて!」と携帯で連絡が入るや、仕事をそっちのけでビルの屋上へ助けに行ったかとおもうや、今度は奥さんの愛人と一緒にいたのに車の中に置き去りにされてしまった娘から連絡が入るや奥さんともどもそっちへ急行しちゃう。
災害救助はどうなるんだ!チームのみんなは待ってるんじゃないのか!
とおもったところで、もうドウェイン・ジョンソンの暴走は止まらない。いくらプロレスでヒールだとしても、これはないだろう。しかも、途中でヘリが故障してスーパーマーケットに突っ込むや、なんの疑問もなく着替えを拝借する。略奪だろ、それ!それだけじゃない。駐車場へ出るや、つぎつぎに車のドアを開けようとする。勝手に乗っていくつもりなのか!盗難だろ、それ!幸い、略奪している奴を見つけ、そいつから車をもぎとるんだけど、これも実は盗難車で、ジョンソンとその妻は盗難車を盗難して走り出し、やがて途中で出会った老夫婦にその車をあげるかわりに自家用飛行機を貸してもらうんだが、この飛行機を太平洋に墜落させちゃうんだから凄い。ちなみに、この老夫婦は津波に呑み込まれ、娘を見捨てた愛人はゴールデンブリッジの上で津波に押し流された船積みコンテナの下敷きになっちゃうんだが、ドウェイン・ジョンソンと妻はそんなことは知らない。サンフランシスコ港に辿り着くや、津波が来ると察知するや、すぐさまモーターボートを勝手に動かして津波を交わし、娘の捜索に入る。まじか!それも盗んだんじゃないのか!しかし、ドウェイン・ジョンソンには家族しか見えていないらしく、かれらはほぼ無人の海と化したサンフランシスコを遊弋し、まったく被災者に遭遇しない内に娘にだけ遭遇するという都合の好さだ。
いやまあ、この利己主義の骨頂のような暴走とご都合主義の展開には、まじ、びっくりこいた。