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Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
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ガメラ対宇宙怪獣バイラス

2014年08月16日 02時11分17秒 | 邦画1961~1970年

 △ガメラ対宇宙怪獣バイラス(1968年 日本 72分)

 英題 Gamera vs.Viras

 staff 監督・特撮監督/湯浅憲明 脚本/高橋二三 撮影/喜多崎晃

    美術/矢野友久 音楽:広瀬健次郎 デザイン/間野重雄

    バイラス造形/八木正夫  バイラス声・ナレーション/若山弦蔵

 cast 本郷功次郎 八重垣路子 渥美マリ 八代順子 北原義郎 橋本力 篠田三郎

 

 △特撮とボク、その28

 1967年に特撮の絶頂期を迎えた日本映画界は、

 早くも翌年には凋落した。

 もっともこれはぼくの個人的な感想だから、山ほど異論はあるだろう。

 でもさ、1968年以降の怪獣映画やSF映画はほんとに観てると涙がにじむ。

 予算のせいもあるだろう、映画界が斜陽に突入したせいもあるだろう。

 だけど、ガメラのシリーズはアメリカにも輸出されたし、

 海外で評価の高かった大映の特撮が評判を落としてしまいかねないとは、

 当時の大映の誰もおもわなかったんだろうか?

 バイラス星人の実際の登場は佳境に入ってからで、

 それまではボス(司令官とか呼べばいいのに)の声しかわからないんだけど、

 これが橋本力たちと合体して巨大化してようやく烏賊のおばけが登場する。

 それまでは、ガメラの行動を探るという名目で、過去のフィルムが延々流されるんだ。

 しかも、リモコン操作されて黒部ダムや東京を襲うくだりまで、ありものだ。

 ちょっと悲しい。

 ちなみに、大魔神こと橋本力たちは拉致されてきた日本人らしく、

 これをボスは一刀(一足)のもとに首をはねる。

 いくら、バイラス星人が人間の体内に巣食っていたとはいえ、

 人間の首を8個いっぺんに刎ねるわけで、子供向けの映画でそれってありか?

 くわえて、バイラスの頭にガメラは何度も串刺しにされるんだけど、

 いくらなんでも、あれじゃ内臓はずたずたになってんじゃないのか?

 とかいった疑問はいくつか浮かんでくるものの、

 それでも当時小学生だったぼくたちは見続けてた。

 当時、ぼくはバイラスという名前は、バイ菌つまりビールスから採られたとおもってた。

 なんでか知らないけど、そう信じてた。

 ところが、

 手下どもと合体していくとき、倍々になっていくからバイラスだなんて、

 そげなあほな、とおもわず叫んだ。

 でもまあ、そのあたりはいい。がまんしよう。

 だって、これは喜多崎晃さんがカメラで一本立ちした記念すべき作品だし、

 八重垣路子、渥美マリ、八代順子が新人女優でデビューした記念作品だし、

 がまんもご祝儀だ。

 でも、本郷功次郎のボーイスカウト姿はまるきり似合わないんだよな~。

 それに反して、なんとまあ、篠田三郎はよく似合ってることったらない。

 おもしろいもんだね。

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大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス

2014年08月15日 19時57分45秒 | 邦画1961~1970年

 ◎大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス(1967年 日本 87分)

 英題 Giant Monster Mid-Air Battle Gamera vs. Gaos

 staff 監督・特撮監督/湯浅憲明 脚本/高橋二三 撮影/上原明

    助監督/小林正夫 音楽/山内正 美術・ギャオスデザイン/井上章

    ギャオス造形/八木正夫、白熊栄次、鈴木昶、村瀬継蔵

 cast 本郷功次郎 笠原玲子 上田吉二郎 北原義郎 村上不二夫 西尋子(賀川ゆき絵)

 

 ◎特撮とボク、その27

 1966・67年は、たぶん、日本の特撮の絶頂期だったんじゃないだろか。

 東宝のゴジラ、松竹のギララ、日活のガッパ、そして大映のガメラがいっせいに作られ、

 百花繚乱といえば聞こえはいいけど、玉石混淆ともいえるようなありさまで、

 ともかく次から次へと怪獣映画やSF映画が作られて、

 当時のぼくのようながきんちょが何度も劇場へ足を運んでた。

 ただ、東宝の『サンダ対ガイラ』とこの『ガメラ対ギャオス』をピークにして、

 あとは観客動員数だけでなく、特撮それ自体も下降線をたどったようにおもえてならない。

 大映の製作者たちはガメラを子供の味方と定義して、

 この作品中でも阿部尚之がガメラの背中に乗ったときに子供たちが大喝采したというけど、

 当時、観客のひとりだったぼくは、そうじゃなかった。

 ぼくの憧れは、本郷功次郎だった。

 だって、すげえカッコよかったんだもん。

 ぼくの入れ込みようはかなりなもので、

 近所の作業着を売ってる衣料品店へ母親を連れて行き、

 本郷功次郎が劇中で来てた労働着のジャンパーを買ってくれとせがんだ。

 男の服ってやつだ。

 さすがに母親も衣料品店のおばさんも「似合わないからやめてくれ」といった。

 でも、そうはいかなかった。

 ぼくは茶色いボアのついたベージュ色の作業ジャンパーを手に入れ、

 小学校に着ていった。

 当時、ぼくは周りのがきんちょよりも成長が早く、体が大きかった。

 だから十歳前なのに、小さな大人くらいの体格はあったから、

 作業ジャンパーもちゃんと着られた。

 三つ子の魂とはよくいったもので、今でもときおり工務店の作業服を着てたりする。

 ぼくの当時の服装の趣味は恐ろしく変わっていて、

 帽子はレシプロ機の飛行帽を探して、似たようなのを買ってもらった。

 ボアの耳あてがついてるやつだ。

 まったくもって子供とはおもえないような異様な恰好だったろう。

 で、そんなぼくが憧れた怪獣がギャオスだった。

 とんでもない造形と設定で、なによりあのひらぺったい頭が素敵だった。

 朝日が当たると赤くなってくるんだぜ、誰がそんなこと考えたんだ?

 ギャオーと鳴くからギャオスだなんて、とんでもない命名だけど、

 そんなことはギャオスのかっこよさからすれば、どうでもいいことだった。

 内容に関していえば、

 高速道路の土地買収についてなんだかんだとあるんだけど、

 どうしてそういうつまらない人情話をもってくるのかがわからない。

 観客としてのぼくは、もっとガメラやギャオスの怖さをどんどん見せてほしかったし、

 ギャオスの首は音叉のような骨格をしているから後ろを向けないと説明されたときには、

 おお、なるほどっと感心した。

 徹底してそのあたりを追及してほしかったし、自衛隊にももっと頑張ってもらいたかった。

 ただ、

 ギャオスが人を食うのは、子供心にかなり怖かった。

 この時代の怪獣は、ガイラやバラゴンもそうだけど、よく人間を食らう。

 怪獣なんだからそれでいいし、怪獣ってやつは恐ろしくないとつまらない。

 だから、この作品以降、どんどんガメラは子供の味方になっていくんだけど、

 ぼくみたいにひねくれた子供は、そういうガメラに幻滅していったんだよね。

 そういうことからすれば、

 ぼくの特撮への憧れは、この1967年春が絶頂期だったのかもしれないなあ。

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大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン

2014年08月14日 22時59分25秒 | 邦画1961~1970年

 ◇大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン(1966年 日本 100分)

 英題 Gamera vs. Barugon

 staff 企画/斉藤米二郎 監督/田中重雄 特撮監督/湯浅憲明

    脚本/高橋二三 撮影/高橋通夫 バルゴン造形/高山良策

    美術/柴田篤二 音楽/木下忠司 ナレーター/若山弦蔵

 cast 本郷功次郎 江波杏子 藤岡琢也 早川雄三 菅井一郎 紺野ユカ 西尋子(現:賀川ゆき絵)

 

 ◇特撮とボク、その26

『大魔神』のところでも書いたとおもうんだけど、

 この封切り時、ぼくは近所の友達と一緒に観た。

 親に郷里の国鉄駅の裏にある映画館まで連れられていって、

 2階の桟敷で体育座りをしながら観た。

 けど『大魔神』にしてもこの作品にしても、

 小学生になったばかりのがきんちょにはちょっとばかり難しく、

 最初の40~50分くらいはよくわからなかった。

 でも、藤山浩二演じるサングラスの男が悪い奴だってことはよくわかったし、

 バルゴンに食べられちゃうところなんか、やっぱりな~とおもったもんだ。

 ただ、この藤山浩二はどこから見ても悪役で、

 この男のせいでみんなが困ってるんだとおもったし、

 そいつをぶん殴る本郷功次郎は子供心にもかっこいいな~とおもった。

 あ、ちなみに、藤山浩二は日本人で初めて怪獣に食べられる役を演じたわけだよね。

 忘れられないのが、赤外線をあてられる駝鳥の卵のような大きさのバルゴンの卵だ。

 オパールっていう宝石があるってことはこのとき初めて知ったし、

 そいつが大人たちを狂わせてしまうくらいの価値があるんだとおもうと、

 そこから生まれてくる怪獣なんだから虹を出すんだてなちょっとした勘違いもしたりした。

 けど、赤外線ってのはなんとなく魅惑的で、

 美顔術なんかに使われてるのはませがきのぼくは実は知っていたりしたんだけど、

 ともかくおとなの使うもので、なんとなく妖しい光だった。

 もっとも藤山浩二は水虫の治療に照射してたわけだから、なんとなくがっかりもする。

 当時、美術助手をしていた高橋章さんの話によれば、

 高橋さんはバルゴンが卵の中から生まれてくるとき、

 その幼体のギニョール人形を操っていたのが高橋さんだったそうだ。

「それが大変でさあ、下からもう勘でこんなふうにのけぞってやったんだ」

 みたいなことだったらしいんだけど、かなりの出来栄えで、

 特撮監督の湯浅憲明も大喜びで、けっこう鼻高々だったらしい。

 それはともかく、

 大映のセットはやっぱりたいしたもんで、

 雪の大坂城はやけにリアルで、

 凍らされたガメラが左手の爪をバルゴンの頬に突き刺すところは凄かった。

 ぼくはこの場面が忘れられず、怪獣の根性をまざまざと見せつけられた気になった。

 ただまあ、

 後々になって考えると、

 熱帯雨林に千年に一度生まれてくる伝説の怪獣が、なんで冷凍怪獣なんだとおもうし、

 雨がじゃんじゃん降ってくるところに生まれるんなら水に弱いのは変だろともおもうし、

 土人の娘を演じてる江波杏子がどうしても日本人にしか見えないし、

 いくら赤外線を浴びて巨大化したんだとかいわれても、

 人間のてのひらに乗っちゃうくらいの赤ん坊怪獣が、

 いきなり80メートルにはならんだろうともおもえたりする。

 とはいえ、

 琵琶湖に沈んだバルゴンの断末魔で虹が湖から立ち上るのは、

 なんとも絵的で、ぼくとしては名場面のひとつだともおもったりしてるんだな。

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大怪獣ガメラ

2014年08月13日 01時36分54秒 | 邦画1961~1970年

 ◇大怪獣ガメラ(1965年 日本 79分)

 英題 Gammera the Invincible

 staff 企画/斉藤米二郎 監督/湯浅憲明 特撮監督/築地米三郎

    脚本/高橋二三 撮影/宗川信夫 美術・ガメラデザイン/井上章

    ガメラ制作・操演/八木正夫、村瀬継蔵、三上陸男、鈴木昶 音楽/山内正

 cast 船越英二 霧立はるみ 山下洵一郎 浜村純 左卜全 内田喜郎 姿美千子 北原義郎

 

 ◇特撮とボク、その25

 大映特撮怪獣映画ではただ1本のモノクローム。

 ま、そういうこととかに価値を求めれば、良かもしれない。

 それと、ネズラからガメラにいたる企画の成立過程や、

 特撮にまったく経験のないような制作の際に、

 氷で埋まったセットをはじめとする大変さや、火の使い方の苦労をおもえば、

 当時の撮影所の気迫のものすごさは推して知るべしだろう。

 でもまあ、

 なんでアトランティス伝説の火を噴く巨大な亀が8000年もの氷に閉じ込められていたのか、

 ていう素朴な疑問は浮かぶもののまあ納得するとして、

 子供好きっていう発想はそれだけでもはや子供に迎合していることになり、

 ぼくからするとあんまり好きな発想じゃない。

 とかいって、当時のぼくは物心がついて間もない子供の真っただ中で、

 実をいえば、ゴジラよりもガメラの方が身近な気もしてたりする。

 けど、

 海に石油の火の帯を引いて誘き寄せたり、

 体長60mのガメラを先端部分に乗せる巨大ロケットZ作戦という展開は、

「ちょっと、どうよ」

 とも感じるけどね。

 ただまあ、ゴジラがいなければガメラは生まれてこなかっただろうし、

 ハリウッドに原子怪獣が現れなければゴジラもまた現れなかったろう。

 そういうことをおもえば、

 いろんな物語ってのは、

 その前になんらかの物語がどうしても必要なのかもしれないね。

コメント

大魔神逆襲

2014年08月12日 11時13分02秒 | 邦画1961~1970年

 ◇大魔神逆襲(1966年 日本 87分)

 英題 Majin Strikes Again

 staff 企画/奥田久司 監督/森一生 特撮監督/黒田義之

    脚本/吉田哲郎 撮影/今井ひろし、森田富士郎

    美術/西岡善信、加藤茂 音楽/伊福部昭

 cast 二宮秀樹 山下洵一郎 安部徹 名和宏 北林谷栄 早川雄三 大魔神/橋本力

 

 ◇特撮とボク、その24

 時は戦国、瓜生の里。

 魔神は、いつも異なった消え方をするんだけど、

 このときは雪の結晶になって散っていく。

 が、しかし、映像を見るかぎり、ちょっと雪の結晶には見えなくて、

 プリズムが強すぎるのか、炎と化したようにも見える。

 このあたりがちょっとだけ特撮の甘さを感じるものの、

 ほかの特撮は当時をおもえばたいしたもんだ。

 けど、森一生なのに、なんでこんな甘っちょろい話になってんだろともおもった。

 地獄谷で強制労働に従事させられてる父や兄を探して旅立つ少年3人の冒険譚なんだけど、

 魔神の山を必死に踏み越えてきた兄の死がきっかけで旅立つのはまだいいとして、

 北林谷栄が唐突に登場して、後で重要な役回りで出てくるかとおもえばぷっつり途絶えるし、

 地獄谷にいたるまでの冒険が飽きちゃうくらいにだらだらと長く、

 魔神像はちょこっと道しるべみたいに出てくるだけだ。

 大鷹はなるほど最後の悪領主への急降下攻撃のためにあったんだなとはおもうものの、

 全体的にだるい。

 やっぱり、魔神のシリーズに子供を主役に持ってくるのが失策だったんじゃないかと。

 ただ、

 鶴吉役の二宮秀樹だが、やけに達者で日本的な子だな~とおもってる内に、

 この子、どこかで見たな~となんとなくおもってたら、

「おお!ガムだ!」

 懐かしい旧友に出くわしたような気分になった。

 この映画の封切り当時、ぼくは楽しみにしていたテレビ特撮番組があった。

 手塚治虫原作の『マグマ大使』で、マグマの息子ガムを演じてた。

 いや~感激したわ。

 まあ、それはともかく、

 特撮映画がつまらなくなっていった原因のひとつは、作り手の勘違いだ。

 子供が観るから子供を主役にという発想が、よくなかった。

 結局、大人からは見向きもされなくなり、

 大切なファン層だった高校生から若手社会人からも相手にされなくなるからだ。

 もちろん、映画の斜陽というどうしようもない時代を迎えてはいるんだけど、

 前2作と比べると、どうしてもこの3作目は見劣りがする。

 すべては子供の視点に立ってしまったからだ。

 てなことを断言すると文句をいわれそうだけど、そうおもえた。

 ただ、

 魔神ってのはいったいなんだったんだろう。

 埴輪の武人像がおおもとだってことはわかる。

 阿羅羯磨っていう正式な名前があるってことも知ってる。

 けど、その阿羅羯磨という神がなにものであるかってことは説明されていない。

 そんな説明なんていらないよっていわれるかもしれないけど、

 ぼくにとってはかなり大切なことで、

 魔神がどのようにして生まれ、その後どうなっていくのかってことに興味がある。

 ただ、そういう定義めいたことが長いシリーズになったら解明されたかといえば、

 おそらくそうじゃないんだろね。

 ちなみに、魔神が剣をぬきはなつのはこの作品だけで、

 悪領主を最後に突き刺すところなんだけど、

 飾りだとおもってた剣は、実際に使用されるっていう設定だったんだね。

 石像じゃなかったんだね。

 あ、そうそう。

 その昔、この魔神像は京都太秦の大映撮影所のセットの片隅に置かれてた。

 1980年代のことだ。

 大映通から入っていった撮影所は、その頃、とっても静かで、

 ふらりと入っていって魔神像を眺めてたとき、

 なんだか時が止まってしまってるような印象を受けた。

 今、魔神像は大阪にあって、レプリカは東京の調布に置かれてる。

 もう一度、動いてくれないかな~とおもうんだけど、

 調布のお祭りあたりで動いてくれないかな。

 民が願えば動き出すんだろか?

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大魔神怒る

2014年08月11日 22時14分13秒 | 邦画1961~1970年

 ◎大魔神怒る(1966年 日本 79分)

 英題 The Return of Majin

 staff 企画/奥田久司 監督/三隅研次 特撮監督/黒田義之

    脚本/吉田哲郎 撮影/森田富士郎 美術/内藤昭 音楽/伊福部昭

 cast 本郷功次郎 藤村志保 内田朝雄 平泉征 丸井太郎 上野山功一 大魔神/橋本力

 

 ◎特撮とボク、その23

 時は戦国、八雲国。

 山中の御子柴、湖西の名越、湖東の千草、湖の中には神ノ島。

 前作は滝の上だったのが、今回、魔神像が鎮座しているのは神ノ島だ。

 下剋上によって主家を滅ぼされた遺臣たちが主家最高をめざして戦う前作に対し、

 今回は隣国の侵略と占領によって滅ぼされた本家と分家がちからを合わせて奪還するという設定に加え、

 前作は兄妹の潜伏10年という血のつながりによって男女を分けたが、

 今回は本家と分家の嫡子と姫の婚姻前夜といういかにも緊張した情況にしているし、

 さらには、

 土くれとなって姿を消す魔神に対して、水となって流れ去る魔神という設定もあり、

 いやまったく流石は三隅研次。

 それといいのが本郷功次郎だ。

 この人のふしぎな色気が、大魔神という幻想時代劇に花を添えてる。

 ところで、

 幼い頃の記憶というのはまったくあてにならないもので、

 ていうか、がきんちょのおもいこみというのはまったく好い加減なもので、

 ぼくはこの第2作は『大魔神海を渡る』だと半世紀近くもおもいこんできた。

 いつからそうおもったのかといえば、封切りを観て帰ったその日にそうおもいこんだらしい。

 以来、ぼくは他人と話をするとき常に『大魔神海を渡る』といいつづけてきた。

 けど、ぼくのいうとおりに相手もそういってたんだから、人間ってやつはほんと適当だ。

 なんでそんな勘違いな題名だとおもいこんでいたかといえば、

 大魔神がモーゼよろしく波を割り、湖底を歩いて渡ってくるからだ。

 この特撮はけっこう見事なもので、

 大魔神のシリーズはどれも当時としては破格の予算と丁寧な合成と渾身のミニチュアで、

 ぼくとしては日本の特撮においては白眉のひとつだとおもってるんだけど、

 その凄い特撮の印象があまりにも強かったために『海を渡る』って題名だと信じてきた。

 ところが、そうじゃなくて、実は併映作品のせいだった。

 封切り時の併映が『座頭市海を渡る』だったんだよね~。

 いやもう、勘違いとおもいこみほど恐ろしいものはない。

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大魔神

2014年08月10日 13時57分10秒 | 邦画1961~1970年

 ◎大魔神(1966年 日本 86分)

 英題 Majin

 staff 企画/奥田久司 監督/安田公義 特撮監督/黒田義之

    脚本/吉田哲郎 撮影/森田富士郎 美術/内藤昭

    魔神造形/高山良策 音楽/伊福部昭

 cast 高田美和 藤巻潤 遠藤辰雄 伊達三郎 青山良彦 月宮於登女 大魔神/橋本力

 

 ◎特撮とボク、その22

 時は戦国、丹波の山里…。

 幼い頃の記憶というのは鮮烈なものがある。当時、親たちはなにを考えてたのかよくわからないんだけど、子供が映画を観たいというと、映画館まで子供たちをつれていき、入場券を買い与え、映画が終わった頃に迎えに来て家へ連れて帰った。小学校の低学年のときは、そんな感じだった。

 ぼくの田舎は、映画館が7つあって、東宝、松竹、大映、東映、日活の封切館があって、後のふたつは芝居小屋で、ときどき映画も上映してたから2番館だったんだろう。で、東宝と松竹の劇場はときどき洋画の封切りもやったりしていた。画面はどこもでかくかったけど、椅子はポンコツだったけど、大映の封切館だけは、どういうわけか椅子の背に弁当台がつけられてて、ちょうど新幹線の座席みたいで、そこに弁当をおいて映画が観られた。

 どこの劇場も2階席があったんだけど、大映は2階の前部が桟敷になってた。だから、寝っ転がって映画が観られた。たぶんその昔は芝居小屋も兼ねていたんだろうけど、ぼくが高校生になったときはピンク映画の封切館になって2階は閉鎖されてた。玄関ロビーはあまり広くはなかったけど、横の廊下部分がやけに広く、待合所みたいになってて、ポンコツの長椅子がいくつか置かれてて、たぶん、昔は食べ物類の販売所があったんだろう。

 ぼくが高校生になった頃にはもう販売所はなくて、なんでか知らないけど白黒テレビが端っこの壁に置かれてて、誰もいない待合所でテレビだけが小さな音でつけられてた。三和土の床のかたすみには、エロ雑誌のちょーぽんこつな販売機があった。

 小学生だったぼくがこの小屋に行くのはガメラと大魔神の封切りか、夏休みの怪談くらいなもので、年に数回だけで、そのときはがきんちょどもでそれなりに座席も埋まってたけど、あとの封切り時、どれだけの入場者があったのかよくわからない。

 そんな田舎の稀有な小屋で、ぼくは近所の子供にまじってこの作品を観た。もちろん、2階の桟敷で体育座りをしながら観た。併映は『ガメラ対バルゴン』だった。いやまあ『大魔神』はかなり衝撃的で、がきんちょどもは大魔神が現れないときは寝っ転がったりして、なんにもわからないって感じだったんだけど、いったん魔神が暴れ出すとみんな固唾をのんで銀幕を見つめてた。

 たしかに今観直してもこの作品はきちんとしている。時代劇としても、下剋上とその復讐劇として成立しているし、なにより高田美和がかわいい。魔神は記憶しているより小さかったんだけど、どうにも滝の上で鎮座しているときの方が小さく感じる。

 この映画の迫力はもちろん京都大映の総力を結集した特撮の冴えにあるし、それについて最大の貢献はやっぱり森田富士郎だろう。深みのある撮影は、色調が変わるからと特撮まで引き受けたのが功を奏している。セットもさすがに大映で、魔神の大きさに見合ったミニチュアがしっかり作り込まれ、よくもこれだけ丹念に作ったもんだっていうくらいの凄さだ。

 伊福部昭の音楽はあいかわらずの旋律ながらなんとも重厚で、しっかり堪能できる。

 いやまったく見事な1本でした。

 

(以下、2022年12月28日)

 感想は今回もまるで変わらない。藤巻潤もがんばってるし、遠藤太津男もなんとなくまだ若い。それにしても特撮の丁寧さにはやっぱり目を瞠る。大魔神をいれこんだカットもそうだけど、手の動きにあわせてミニチュアが壊されてゆくところの合成はたいしたものだ。東宝の特撮よりも凄いんじゃないかって気がするわ。しかし、空を飛ぶのは大魔神の魂だけなんだね。ラストカットの土くれの空虚さがいいね。

コメント

ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘

2014年08月09日 12時56分45秒 | 邦画1961~1970年

 ◇ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘(1966年 日本 86分)

 英題 Ebirah~Horror of the Deep~

 米題 Godzilla vs. the Sea Monster

 staff 監督/福田純 脚本/関沢新一

     撮影/山田一夫 美術/北猛夫

     特技監督/円谷英二 助監督/中野昭慶

     特殊撮影/富岡素敬 真野田陽一 特撮美術/井上泰幸 

     光学撮影/徳政義行 川北紘一 音楽/佐藤勝

 cast 宝田明 渡辺徹 水野久美 田崎潤 平田昭彦 天本英世 本間文子

 

 ◇特撮とボク、その21

 米国への怨念映画みたいな印象だ。

 米国ザリガニのお化けに原爆で報復するという、

 隠れ主題の物凄さといったらない、

 というのは穿ち過ぎかしら?

 音楽といい監督といい東宝怪獣路線では新機軸で、

 なんでこういう展開になってるのか、

 当時の事情はちょっとめんどくさい。

 でもまあ、裏話を知ったところでどうなるものでもないし、

 ぼくたちは現実にフィルムとして残されてるこの作品を観て、

 ゴジラの異様な朗らかさにさまざまな反応をすることくらいしかできない。

 ちなみに、

 この映画が封切られたとき、ぼくは小学生の仲間たちと劇場に出かけた。

 東宝チャンピオンまつりではなくて、封切りを観た。

 とはいえ、東宝チャンピオンまつりだろうが封切りだろうが、

 そんなことは田舎の小学生にはどうでもいいことで、

 東宝チャンピオンまつりは、毎年、愉しみで仕方なかったんだけど、

 さすがにこの作品の再上映のときは、ゴジラへの興味はちょっと薄れてた。

 ぼくの田舎には東宝の封切館が1館だけあって、

 まわりの町からも子供たちがやってきて、それなりに盛況だった。

 中学生になった頃から徐々に閑古鳥が鳴き始めて、

 ぼくが映画に目覚めた頃には、もうほとんど借り切り状態だった。

 でも、この作品の封切りのときはそうじゃなかった。

 満員御礼だった。

 もちろん、園田光慶の作画による「ぼくら」の別冊付録も読んだ。

 ぼくたちは学校の運動場の境になってるドブに古タイヤを沈め、

「エビラ、とった!」

 とかいって、アメリカザリガニを捕まえては運動場の砂地に這わせたもんだ。

 とはいえ、エビラとゴジラの草野球は、さすがにまいった。

 いくらなんでもそれはないだろうと。

 小学生だったぼくにも、それくらいの感想は持った。

 けど、それについてはさておき、

 モスラに祈りを捧げるところと、ゴジラの心臓音が聞こえてくるところは、

 当時のぼくにはちょうどいい感じのどきどき感だった。

 ただ、小美人がピーナッツからペア・バンビへ替わってたことについては、

 まったく意識してなかったっていうか、あまり興味はなかった。

 ただ、

 高校生になってからにわかに東宝SFファンになってしまったぼくには、

 実をいうと、この作品については、まあ、いろいろとある。

 けど、そんなことは書かずにおこう。

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フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ

2014年08月08日 22時00分47秒 | 邦画1961~1970年

 ◎フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ(1966年 日本 88分)

 英題 The War of the Gargantuas

 staff 監督/本多猪四郎 特技監督/円谷英二 脚本/馬淵薫(木村武)、本多猪四郎

    撮影/小泉一 美術/北猛夫 怪獣デザイン/成田亨 音楽/伊福部昭

    劇中歌/作曲:伊福部昭、歌:キップ・ハミルトン『The Words Get Stuck in My Throat』

 cast 佐原健二 水野久美 ラス・タンブリン 田崎潤 田島義文 中村伸郎 森今日子(森啓子)

 

 ◎特撮とボク、その20

 現代版『海彦山彦』なんだけど、

 なんか違和感があるのは『フランケンシュタイン対地底怪獣』の続編ではなくて、

 あくまでも姉妹編っていう設定からだろう。

 これはでも観客からすると、やっぱりとまどう。

 姉妹編というなら、役者は総入れ替えするだったかもしれないね。

 なによりの違和感は、

 フランケンシュタインがもはやフランケンシュタインではなくて、

 いってみればフランケンシュタインから派生した怪物になってることだ。

 それと、サンダとガイラがどのような過程でできてしまったのか、

 細胞が一致している以上、

 サンダがかつて研究所から脱走したフランケンシュタインならば、

 ガイラはその分身つまりクローンであると考えられるんだけど、

 過去に行方不明になっていた右手が発見された際にどうかなかったのか、

 ともかく、ガイラの出自がよくわからない。

 いちばん肝心なところがあいまいなまま物語が進んじゃうのはかなりつらい。

 途中で、サンダが琵琶湖の湖底で足を怪我し、

 その肉片が海に流れてガイラになったとかいう推論がなされるけど、

 これはかなりつらいでしょ。

 だって、ふたりがメーサーや61式戦車とかで攻撃された際には、

 おびただしい肉片が散らばっているはずで、

 それがみんな細胞分裂して次々に分身が生まれてくる可能性もあるわけだから、

 やっぱりガイラの誕生については研究所が何らかの形で絡んでる方がよくないかしら?

 ま、そんな物語上の疑問はさておき、

 なかなかどうして、おもしろかった。

 ガイラがすごいんだ。

 女の人、食べちゃうんだから。

 このリアルさ、まいったな~。

 リアルさといえば、成田亨の造形もいい。

 前作とあえていうけど、前作はフランケンシュタインそのものだったけど、

 こちらは見事にフランケンシュタインの怪獣になってる。

 ただ、なんでこうした造形の巧みさが継承されなかったんだろ?

 やっぱり映画の斜陽の波はもうすぐそこまで来てたってことなのかしらね。

コメント

怪獣大戦争

2014年08月07日 20時19分16秒 | 邦画1961~1970年

 ◇怪獣大戦争(1965年 日本 94分)

 英題 Invasion of Astro-Monster(Monster Zero)

 staff 監督/本多猪四郎 特技監督/円谷英二 原案/金城哲夫

    脚本/関沢新一 撮影/小泉一 美術/北猛夫

    特殊美術/渡辺明 デザイン/小松崎茂 音楽/伊福部昭

 cast 宝田明 沢井桂子 水野久美 田崎潤 土屋嘉男 久保明 田島義文 千石規子

 

 ◇特撮とボク、その19

 ゴジラが宇宙へ行った最初で最後の映画だと、あらためて気がついた。

 所詮、ぼくの東宝特撮好きはたかが知れている。

 ただな~、なんていうのか、たとえば、ラドンだ。

 この頃になると怪獣映画もライブフィルムがけっこう溜まってきたとみえて、

 ありもののフィルムをデュープして使いまわすようになってくる。

 なんだか、怪獣映画の行く末が見えてくるような映像ではあるよね。

 1965年といえば、邦画の動員数が最多になった時期じゃなかったかな?

 つまりはこれから映画の斜陽が始まるわけで、

 そういう時流にやっぱり怪獣映画も影響を受けたんだろうね。

 ただ、X星ってのがどこにあるのかはわからないんだけど、

 わざわざゴジラとラドンを連れ去っていく必要があったのかどうか、

 いまだによくわからない。

 あ、それと、明神湖と鷲ヶ沢っていう地名なんだけど、

 これはもちろん、架空の場所だ。

 岐阜県樽井町岩手にある明神湖は、

 昭和48年から建設が始まり、14年後に完成したダム湖で、総工費28億5000万円。

 当然、この作品が制作されたときには存在していない。

 鷲ヶ沢は、実際にある。

 神奈川県愛甲郡の高取山の近くの小さな沢で、これもまた偶然の一致だ。

 ゴジラもラドンもそこにはいったことがないだろう。

 ただまあ、そんなことより、

 ぼくがなによりも残念だったのは、シェーだ。

 いくら日本中でシェーが流行っていたとしても、

 ゴジラがシェーをしたとき、

 客席にいた小学生のぼくはなんだかものすごく恥ずかしかった。

 ゴジラおまえもかっていうような感じだった。

 ちなみに、

 ニック・アダムスはこの時期、東宝特撮作品によく出てる。

 なんでキャスティングされたのかは知らないことながら、

 劇中でも撮影外でも水野久美にいいよってたとかいうのは、

 水野さん自身の告白によるらしい。

 ま、そのあたりはハリウッド・スターのご愛嬌とおもった方がいいかもね。

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フランケンシュタイン対地底怪獣

2014年08月06日 12時24分46秒 | 邦画1961~1970年

 ◎フランケンシュタイン対地底怪獣(1965年 日本 90分)

 英題 Frankenstein vs. Baragon(Frankenstein vs.Giant Devil Fish)

 staff 監督/本多猪四郎 特撮監督/円谷英二

    原作/ジェリー・ソウル 脚本/馬淵薫(木村武) 撮影/小泉一

    美術/北猛夫 特技美術・バラゴンデザイン/渡辺明 音楽/伊福部昭

 cast 高島忠夫 ニック・アダムス 水野久美 土屋嘉男 佐原健二 田崎潤 森今日子(森啓子)

 

 ◎特撮とボク、その18

 この作品のタイトルは、

 実をいうと、

「フランケンシュタインたいちていかいじゅう」ではなく「フランケンシュタインたいバラゴン」だ。

「地底怪獣」と書いて「バラゴン」と読む。

 なんでそうなったのかは知らない。

 知らないことはたくさんあって、

 これって怪獣映画初の日米合作なんだよといわれれば、ああそういえばそうなのかな~とおもった。

 なるほど『キングコング対ゴジラ』は東宝が権利金を支払ったんだから合作じゃなかった。

 そういう意味でいえば、たしかに記念すべき作品なんだろう。

 それと、原題がふたつになってる理由は、

 ラストに大蛸との戦いがあるかどうかによるもので、

 オリジナルではバラゴンを倒しながらも地割れによって地底へ引きずり込まれいくんだけど、

 大蛸が追加された版では湖からいきなり大蛸が現れて湖底へ引きずり込まれる。

 だから、フィギュアとかでも大蛸との戦い版があったりするわけで、

 なんでそんな場面が追加されたのかたしかな理由はわからないけど、

 どうも東宝特撮と大蛸とは縁が深い。

 キングコングも大蛸と戦ってるし、本作の続編にも登場するし、テレビにも登場してる。

 ありものがあったからってこともあるだろうし、

 蛸そのものが絵的に不気味さと気持ち悪さを醸し出すからなのかもしれない。

 そもそも大蛸は外国ではクラーケンっていう海魔になったりするわけだから、

 蛸と怪物っていう印象は強いのかもしれないね。

 ところで、ぼくはどうやら「バ」のつく怪獣が好きらしい。

 本作のバラゴン然り、婆羅陀魏山神こと東洋の怪物バラン、南洋の冷凍怪獣バルゴン。

 どれも好みで、

 この3体が登場する作品の出来栄えもあんがい悪くなかったとおもったりもしてる。

 ことに本作と『大怪獣バラン』の音楽は伊福部昭の傑作で、

 さらにいえば、

 バランのテーマ「婆羅陀魏交響曲合唱付」なんて身悶えするくらい好きだったりする。

 で、本作なんだけど、ぼくの場合、どうしてか手塚治虫の『ビッグX』と重なってくる。

 ちなみに『ビッグX』が少年ブックに連載されたのは1963~1969年で、

 本作の製作は1965年だから、どうやらこの時代はナチスの亡霊がまだ漂っていたんだろう。

 どちらの作品も、ナチスが秘密裏に研究していた人体兵器であることには変わりない。

 それが、死体をもとにしたフランケンシュタインという人造巨大人間なのか、

 あるいは正常な人間に投薬して鋼鉄の肌をもつ巨大人間としてしまうのか、

 という違いがあるくらいなもので、

 ともかく、

 ドイツから日本へと心臓あるいは製造方法が伝えられっていう根本的な設定はよく似てる。

 人間の発想ってのは、その時代が生み出すことがままある。

 もともとフランケンシュタインは、1818年に英国のメアリ・シェリーが著した小説の題名で、

 そこに登場するヴィクター・フランケンシュタインなる青年の創り出した怪物の名前じゃない。

 この怪物は名前はなく、単なる死体を繋ぎ合わせて意識をもたされた怪物でしかない。

 ところが1931年に映画になって、それが伝説的な映画になっちゃったりしたもんだから、

 後世、死体を繋ぎ合わせた人造人間をフランケンシュタインっていうようになっちゃった。

 でまあ、この怪物は『鉄人28号』でも登場したりして、

 当時子供だったぼくらにとってとっても身近な存在になってた。

 そんなこんなで、ぼくにとってはかなり印象的な映画なわけだけど、

 実はかなりよくできてる。

 設定が設定だけになかなか劇場では掛からないけど、

 知性を持たされてしまっただけでなく、理性もまた芽生えてゆく中で、

 母性を求める哀れさと自分でも理解できない性衝動とが漂い、

 ある意味、異色の怪獣映画になってるんだよね。

 なかなか、こういう映画はないぜ。

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三大怪獣 地球最大の決戦

2014年08月05日 18時18分59秒 | 邦画1961~1970年

 ◇三大怪獣 地球最大の決戦(1964年 日本 93分)

 英題 Ghidorah, the Three-Headed Monster(Monster of Monsters-Ghidorah)

 staff 監督/本多猪四郎 特技監督/円谷英二 脚本/関沢新一

    撮影/小泉一 美術/北猛夫 特技美術・キングギドラデザイン/渡辺明

    造形/利光貞三、八木康栄、八木勘寿 操演/中代文雄、小川昭二、松本光司

    音楽/伊福部昭 挿入歌/ザ・ピーナッツ『幸せを呼ぼう』作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰

 cast 夏木陽介 星由里子 小泉博 志村喬 若林映子 平田昭彦 佐原健二 天本英世

 

 ◇特撮とボク、その17

 1971年の東宝チャンピオンまつりで再上映されたときは、再編集された短縮版だった。

 でも、そんなことはまるで知らずにいたぼくは、

 実際、知っていたところでどうなるものでもないんだけど、

 ともかく、胸をわくわくさせながら、劇場に行った。

 ところが、妙な違和感があった。

 ゴジラがちっとも怖くないんだよね。

 それまでのような破壊的な怖さは鳴りをひそめて、なんだかおとなしくなり、

 なんでゴジラやラドンがモスラの説得を聞き入れるのかわからなかったし、

 なんでまた小美人が怪獣のことばを知ってるんだろうっておもった。

 なんだか変な映画だったな~とおもいながら、家に帰った。

 自分の中でよく分析ができなかったから、

 なんとなくもやもやした感覚のまま、時が過ぎ、

 やがて、ゴジラがゴジラでなくなりつつある最初の作品だったってことがわかった。

 でも、それはずいぶんと後になってからのことだ。

 それというのも、ゴジラに代わる悪役が登場したからだ。

 もちろん、キングギドラのことで、こいつは凄かった。

 三船敏郎の『日本誕生』に出てくる八岐大蛇と、

 田崎潤の『海底軍艦』に出てくるマンダを足して狂暴化させ、

 さらに金色の衣をまとわせたような凶悪きわまりない宇宙怪獣だなんて、

 よくもまあ考え出したもんだってくらいの鮮烈な登場だった。

 このキングギドラのせいでっていうかお蔭で、

 ぼくの東宝チャンピオンまつりはもうちょっとだけ通う羽目になったんだよな~。

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モスラ対ゴジラ

2014年08月04日 02時48分32秒 | 邦画1961~1970年

 ◎モスラ対ゴジラ(1964年 日本 89分)

 英題  Mothra vs. Godzilla

 独題 Godzilla and the Prehistoric Caterpillars

 伊題 Watang in Fabulous Empire of Monsters

 西題 Godzilla Against Monsters

 staff 監督/本多猪四郎 特技監督/円谷英二 脚本/関沢新一

    撮影/小泉一 美術/北猛夫 音楽/伊福部昭

 cast 宝田明 星由里子 小泉博 藤木悠 佐原健二 ザ・ピーナッツ 田崎潤 藤田進

 

 ◎特撮とボク、その16

 ゴジラが負けた!

 倉田浜干拓地ってのがどこかわからないんだけど、

 たぶん、熱海と名古屋の間にあるんだろう。

 インファント島もいまだにどこにあるのかわからないけど、

 たぶん、台風で卵が流れ着くくらいだからそれほど南洋遥かではないんだろう。

 ま、そんなことはどうでもいい。

 ぼくが小学生の頃、といっても1969年から1971年のたった3年間だけだけど、

 冬、春、夏といった長い休みの楽しみのひとつが東宝チャンピオンまつりだった。

 もちろん、おめあてはゴジラの映画で、

 それが中には再編集されて短くされていることも露知らず、

 せっせとぼくは劇場に通った。

 この作品をはじめて観たのもチャンピオンまつりの再編集版だ。

 だから短くされたもののはずなんだけど、今となってはまるでおぼえていない。

 ただ、異様に綺麗だったっていう印象がある。

 総じてモスラの登場する初期の映画はどういうわけか色が綺麗で、

 ゴジラもまた迫力充分で、ぼくとしてはお気に入りだった。

 悪辣な怪獣であることの矜持のようなものがあり、

「大人たちの金儲けにからんだ争いなんかどうでもいいじゃん」

 と子供心におもった記憶がある。

 でもまあ、実をいえば、東宝の怪獣映画は10本くらいお気に入りがあるんだけど、

 ゴジラのシリーズについていえば、この作品までがかろうじて楽しめた。

 小学生だった僕がそう感じてたんだから、

 怪獣映画から客が離れていってしまったのも宜なるかなって感じなんだろね。

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海底軍艦

2014年08月03日 02時02分56秒 | 邦画1961~1970年

 ◎海底軍艦(1962年 日本 94分)

 英題 Atoragon(Atoragon-Flying Supersub)

 staff 監督/本多猪四郎 特技監督/円谷英二

    原作/押川春浪『海底軍艦』 脚本/関沢新一

    撮影/小泉一 美術監督/北猛夫

    コンセプト・デザイン/小松崎茂 音楽/伊福部昭

 cast 高島忠夫 藤山陽子 藤木悠 佐原健二 上原謙 小泉博 藤田進 平田昭彦 天本英世

 

 ◎特撮とボク、その15

 神宮司八郎登場!

 なんといっても田崎潤演ずるところの神宮司の迫力は見事だ。

 伊四〇三で帝国海軍を離脱して南洋の某所で轟天を建造していたという設定もまたいい。

 もうひとり、ムウ帝国の皇帝を演じた小林哲子の美しさはどうだろう。

 いや、まじ、美しい。

 実は、この作品は僕の大のお気に入りで、小学校のときに初めて観て以来、虜だ。

 まあ、東宝特撮作品の中でも白眉といっていいこの作品について、

 いまさらどうとかいうことはないし、

 のちの『惑星大戦争』で『轟天』が出てきたときの落胆についても、ここでは書かない。

 子供心にも興奮した海底軍艦の試運転の場面は、実に興奮する。

 もちろん、伊福部昭のおかげであることはいうまでもない。

 この作品の音楽は数ある伊福部作品でも上位中の上位に属するんじゃないかってくらいだ。

 つまりは、手放しの褒めようなんだけど、

 ひとつだけ残念なのは海上と海中、さらには帝国への進撃についてだ。

 海上の石棺型潜水艦がいとも簡単に冷線砲で叩かれる。

 やっぱり潜水艦との戦いは主砲をぶっ放してほしかった。

 海中の戦いもそうで、マンダが弱すぎるんだよね。

 せっかくしめつけてきたのに電流で引き離すのはいいとしても、

 ここでも冷線砲で、いとも簡単に決着がつけられる。

 たしかに、ムウ帝国は寒さに弱いっていう設定ではあるけど、

 やっぱ、深海は寒いで。

 それと、帝国内に突入した際、

 腰蓑に槍で迎え撃ってくる帝国人たちに対して、重装備での冷線砲はあかんでしょ。

 なんだか、ムウ帝国の方が侵略されてるみたいで、

 白い防火耐熱服っていうか、戦闘服はちょいとカサンドラクロスばりに怖い。

 ま、そんなことはさておき、やっぱ、おもしろかったです。

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キングコング対ゴジラ

2014年08月02日 02時08分09秒 | 邦画1961~1970年

 ◎キングコング対ゴジラ(1962年 日本 97分)

 英題 King Kong vs.Godzilla

 staff 監督/本多猪四郎 特技監督/円谷英二 脚本/関沢新一

    撮影/小泉一 美術/北猛夫、安倍輝明 音楽/伊福部昭

 cast 高島忠夫 浜美枝 佐原健二 藤木悠 平田昭彦 若林映子 根岸明美 有島一郎

 

 ◎特撮とボク、その14

 7年ぶりの新作だったとは初めて知った。

『ゴジラの逆襲』のヒットですぐに企画されたものかとおもってたんだけど、

 実に7年の歳月が経ってるとは知らなかった。

 ぼくはこの作品を劇場で見ている。

 ただし、1970年の東宝チャンピオンまつりで、

『巨人の星』や『アタック№1』とかが同時上映だったらしいんだけど、そっちの記憶はない。

 ただまあ、北海道沖の氷山の中に埋もれてしまったまま7年間、

 ゴジラは北極海で凍結してたんだろうか?

 ま、それはいいとして、キングコングのいた島だ。

 ぼくはニューギニアの沖合だと固く信じてたんだけど、

 ソロモン諸島だったんだね。

 その中のファロ島っていう島らしいんだけど、日米の戦闘には巻き込まれてないんだろか?

 いやまったく、

 この頃の話は知らないことばかりで、浜美枝と若林映子がボンドガールになったのは、

 この作品が海外で封切られたことで、ふたりの顔が知れたためだったんだね。

 いや~知らなかった。

 知らないといえば、熱海城もそうだ。

 ぼくはゴジラとコングが壊す城は小学校のときから和歌山城だとおもってきた。

 ま、実際、和歌山城は崖の上に建ってないし、

 ゴジラとコングが海へ落ちるはずもないんだけど、

 なんでかわからないんだけど、そうおもってきた。

 ふしぎな話もあったもんだけど、

 このとき、ゴジラは熱海の海の中に身をひそめたまま、

 モスラの卵が漂着するまで沈黙するわけだけど、

 そういうときの食糧とかはどうしてたんだろね?

 それにしても、

 トカゲのようになったゴジラもよかったけど、

 キングコングの造形がぼくは意外と好きで、

 大きな猿ってのはこんなふうに動くんだろかと幼心におもったもので、

 このあたりの怪獣の造形や動作はなんだか妙にリアルだ。

 コングに雷が落ちて帯電体質になり、それがゴジラにも影響を与えるってくだりは、

 なんだかほんとにそんなこともあるんだろな~っていう不思議な説得力もあった。

 大蛸もそうで、妙なリアルさがあった。

 まあ、ファロ島の原住民の歌と踊りは日劇ダンシングチームかって感じはあるけど、

 でも、さすがに伊福部昭の魔神の歌は強烈だった。

 海外版ではこの伊福部昭の曲が全部いれかえられたっていう話だけど、

 それは映画から魂を抜き取ったようなもので、

 だから、海外で作られるゴジラはいつも魂が入ってない気がするのかな?

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