企業の仲間が不慮の事故、事件に巻き込まれたケースは、大韓航空機爆破、南米子会社社長殺害などあるが、最大の悲劇は、32年前の日航機墜落事故で30名近い社員が亡くなったのが思い出される。かつての職場の長であったあの方もその中の一人。コンピュータ用語は勝手すぎる、背中の筋肉でバットを振る、など公私にわたる名言は事欠かない。その大先輩が日航機事故の犠牲となり、部下たちは遺族へのお世話や御巣鷹山へ何度も登って精一杯のことをやった。あれから32年、良きことや悪しきことを経験してきたが、果たして、我々人間として、幸福への道に向かって歩んでいるのであろうかと故人に問いかけている。
地域の活性化を図らねば、この町が衰退していくのは、必至だと感じたのは10年前。その町でただ暮らす住む人ではなく、市の民として活動し、その成果が市や市民にかえって来るには、郷土の魅力や価値を上げることが必要と思い、郷土の歴史や文化を調べ出したのは7年前。市民や関係部署に働きかけ、幾つかは進展したが、思うようにはなっていないと感じる。ふと、自分の近隣地区を考えてみても、その有益な候補はあるが、全てが中途半端である。継体天皇が存在し筒城宮があった場所が不明、鉄の製造物が発見されない多々羅、田辺城跡も調査後その形跡もない、・・・。本腰を入れて、調査研究を継続すれば、大きな財産となる文化財の発掘や観光事業にも繋がったであろうと期待は止まない。長年の地道な活動を通じて、地方創生の基軸になろうとしている伊賀甲賀、松阪の例を見ても、市民と業者、行政、大学が相協力し合うメリットとリーダーシップの重要性を痛感する。


