南山城の郷土史について、奥深くより体系的に研究されている方から、自己所有の郷土史料を手に持てないぐらい頂いた。継体天皇、地名由緒一覧、袋中上人絵巻、藤林普山関連、大住隼人、薪騒動、古文書・・。ざっと見てみると、半世紀前から10年前までに発刊された出版物のコピー。虫が食い、汚れがあるが、貴重なものであると思い、じっくり必要なその時に読んでみたく思っている。まずは、格好の太陽のもとで虫干しをした。

これ以上ないと思われる秋晴れに恵まれ、地元地域の秋祭りが新宮社で例年のようにあった。かつての普賢寺郷の多々羅は、百済のニリクム豪族が六世紀に渡来し、製鉄をもたらし、四世紀までにヌリノミ豪族が渡来し、蚕を産業として成り立たせたところである。新宮社は、ニリクムの祖、余障王をお祭りしたのであるが、現在は、土地の氏神様扱いになっている。本日の宮司さんの話も、朱智神社、天照大神の話であったが、もっと地元密着の話をして、多々羅を盛り上げていただきたいものである。