「一緒に探す方法」を探す


人間の不合理な強欲 非難してきた私と言う個人は 当てはまらないのか?
 もし 人間のど真ん中にいる私が 当てはまらないとするなら それは不合理や強欲の自覚がないだけ。
 パンデミックからの真の脱却をみんなと一緒に探そう。
 相変わらず 答えの分からない自分が他人に正解を求めてきたかもしれない。
     「一緒に探す方法」を探そう。
 パンデミックの中心はアメリカに そのうち日本も入りそう
 物事は成るべくして成っている。 残る時間を一緒に探せると良い。
 次を考えると コロナの感染対策や経済対策だけでは済まない。




 
 
 
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待っている


  人のやっていることが大き過ぎる 全体のバランスを見ずに

  この辺で一休みしてもらわないと 身が持たん

    心をちょと入れ替かえてくれるまで静かに待とう
    
     私たちは そんなことを言われているようだ
     「誰か返事をしてくれなくちゃ 引くにも引けぬだろ!」

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買いだめの意味すること


今 世界のあちこちで食料の買いだめが見られるが 車や爆弾を買いだめ している話は聞かない。
     経済活動で何が大事かを如実に見せてくれている。
  色々と経済対策が伝えられるが 最優先されるのは 前記の事実に対してではないか。
  この危機が1年でも2年でも続けば 自国で賄えるかどうかにかかってくる。
  そんな心配が政治やマスコミに全く登場しない。庶民が 今発せれれる行動は
食料や日用品の買いだめかもしれない。買いだめを安易に愚か者扱いは出来ない。
 愚か者扱いは 結局 誰のため? 
   
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敢えて対立軸を設定するなら


 今、世界は大自然をバックにしたコロナとお金をバックにした人間の戦いのようだ。
  バックの違いから人間が押し込められている。
 世界最強のアメリカが 感染者数が世界一になった。
  この戦いで世界の国々の相対的国力は大きく変化するだろう。
 世界はどんな形で収まるか楽しみではあるが複雑だ。日本は他人事のように本気になれず空騒ぎ。

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緊急事態宣言を出す時期の適否


 緊急事態宣言は何時出すのが良いのか。
  既に時期を逸しており、とっくに出すべきではなかったのかと思われる。
 パンデミックの世界的推移を見るなら 日本を特別な例外とする理由はない。
 事態から遅れた宣言は意味がない。
 数字を根拠にしているようだが 日本には数字的な特殊事情があることを勘案していない。 自分の科学的常識からすると 今の日本の対応は常識に反してる。
 時代のせいかもしれないが ここまで来ると 生物的な感覚や判断力 社会的な価値観の如何が問われることになる。オリンピックの話題など問題外。



 
  
  
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本気度を感じない


 パンデミックで 日本もにわかに騒がしくなってきた。
 ただ 本気度が伝わって来ない。
 対応の非科学性もさることながら、本気度の無さはテレビでビジュアル化されている。
 タレントの出番か?          医療専門家のタレント振り お上の政策のアピールや勢力争いに加担した人的配置や主張 生命への危機感を感じさせない言動
  話題性を優先した番組編成  相変わらず行動規制と逆行したコマーシャルの垂れ流し・・・
  実態不明で対応策持たないコロナに対しては全ての人は仮説実験的な立場であり、仮説の論理をすり合わせ 磨き上げる立場にいる。厳密には10人が10人
論拠を異にしている筈だしその方がすり合わせの意味は増す。
論理より権威や権力がチラつくのを目にすると 本気度を感じることは出来ない。
本気度を感じた人が何時の間にかテレビから姿を消しているのも見る。
マスコミと市民の厚い壁もワンチームを阻害しているが マスコミと市民の両方に
本気度を感じないから 自分の問題でもあり自分に問いかけ続けたい。







 

 


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「闘い」か?


 国連が人類的見地に立った 貧困国への援助を世界に呼びかけた。
 パンデミックの肯定的側面である。
 総長の呼びかけで気になったのは人類的な「闘い」意味づけた事である。
 人類にとってのパンデミックへの人類的「闘い」だろうか?
  人類に反省することは無いのだろうか?反省する良いチャンスと言えないか。

 
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合理性を欠いた専門家の対応策


 医療の専門家の言説が心配。

  勿論 医療における職業的な常識はあるだろうが 感染の社会的な関係の
   専門家はいないはずである。なぜなら初めての経験であり それでも専門家の特別な立場を与えるなら これまで何をして来たかの社会的責任が問われることになる。
  そう言う論理的な不合理もさることながら、専門家会議やマスコミに登場する「専門家」の言説の違いや一貫性の無さ 多少とも経験してきた社会的側面かるすると
 社会との不合理や乖離を感じることが少なからずある。
 医療崩壊をPCR検査に先んじた対応は医療の専門的な見地とは言えない。
  何故なら海外の多くの国家は 検査を優先している。
  専門家は同業者として言説を合わせるのではなく 仮説検証を立場として
  議論を深め市民も参加すべきだろう。日本の権力的に抑え込んだ悪い面が出ている。
  期待はしているが 今のところ 不合理な対応が外国より良い結果を生むとは考え難い。


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急ぐ前に考える


 
横柄なトランプさん にんまり顔の習さん 良いかっこうしの安倍さんも浮かぬ顔 それでいい  

    ここに至っても のりのりにファイティングポーズの専門家や芸人 何時撮ったかカラ元気なコマーシャルは もう結構 

 時は春 新しい風が吹くといい

 せっかちな 五輪の延期 経済対策のメニュー

 皆でゆっくり「ここは何所?私は誰?」って問い直してみたっていいじゃないかのか   

      先ずは落ち着いて やるべきことからやる

 

  

  

  

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事実と向き合う

感染源の第一を海外からの帰国者にするなどの言説がリーダーや専門家からも聞え、経過に沿わない言説が罷り通ている。東京に見られるように検査押さえて感染者数を抑え 感染者は巷に溢れたのが実態だろう。

今尚続く この事実から目を逸らす対策が 効を奏するとは考えられない。

先ずは 事実と向き合うことが出来るかどうかが問われてる。

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