ハリーポッターシリーズ第七話(最終話)「死の秘宝Part1」Harry Potter and the Deathly Hallows(Part1)の映画(DVD)を見ました。
第七話は、Part1,2に区分して映画化したため、原作を丁寧に反映していると感じましたが、原作(英語)と映画を比べて異なるところを、第六話に引き続き、少し紹介します。
■Voldemort ヴォルデモートの純血主義
冒頭に、Hogwartsホグワーツ魔法・魔術学校の Burbage教授がヴォルデモートに殺されるシーンがある。映画では、「魔族が人類と交わることを、教授が望んでいる。」とヴォルデモートがその理由を説明している。また、ベラトリックスは「ハリーを殺したい。」と発言し、殺人鬼のように描かれている。
原作では、Tonksトンクス(NarcissaナルシッサやBellatrixベラトリックスの姪)と狼男のLupinルーピンが結婚したことを挙げ、魔族の旧家でも純血が失われている状況を厳しく指摘し、身内を含め純血を保つための行動、すなわち粛清・殺人が必要だということをヴォルデモートが説いている。ベラトリックスは直ちに同意する(純血ではないハリーを殺したいとは言っていない)が、Draco Malfoyドラコ・マルフォイはこうした考えに即答できないでいる。
■ルーピンとトンクスの結婚
保護力が消える7月31日の17歳誕生日前に、ハリーを安全な場所に移動させるため、不死鳥の騎士団のメンバーがDursleyダーズリー家にやってくる。
映画では、トンクスが「いいニュースがある。」とハリーに話しかけるがMad-Eyeマッド・アイに遮られてしまう。原作では、トンクスが左手の指輪を見せ、ルーピン達の結婚を知ったハリーがお祝いを言いかけたところで、マッドアイに遮られる。
■Seven Potters 7人のポッター
ハリーを襲うDeath Eaterデス・イーター達の目を欺くため、Fred(Arthur),George(Lupin),Mundungus(Mad-Eye),Fleur(Bill),Ron(Tonks),Hermione(Kingsley)の6人がポリジュースでそれぞれハリーに変身し、()内の護衛役とともにハリーの家を脱出する。この作戦は仲間に危険をもたらすのでハリーは反対する。
ポリジュースを作るために必要な髪の毛は、映画ではハーマイオニーがハリーの髪の毛をちぎるが、原作では皆に説得されたハリーが自分で髪の毛をちぎってフラスコに入れる。
■Sirius's bike シリウスのバイクのサイドカー
ハリーは、Hagridハグリッドが運転するオートバイのサイドカーで脱出する。映画では、「小さいお前をこれで連れてきた。連れ出すのも俺の役目。」として、護衛の説明をしている。
原作では、「シリウス・ブラック(ハリーのgodfather後見人)のバイクなのか。」とハリーが尋ねている。さらに、ロンの父のアーサーがこのバイクを改造し緊急装置(dragon‐fire)を備えており、デス・イーター達との戦いで活躍することになるが、映画では説明がない。
なお、映画の翻訳では、godfatherを名付け親と訳していますが、Shell Cottage貝殻の家(海辺の家)で、ルーピンからトンクスの子供のTeddyのgodfatherになってくれ "You'll be godfather?"と、ハリーは頼まれます。既に名前はついているので、godfatherは「名付け親」と訳すより、「後見人」(両親に何かあった時に、財産管理や面倒を見る人)と訳した方が分かりやすいと思います。
■Green jet of light 緑の光線とRed bolt of light 赤の光線
原作では、空を移動中にKnight Busナイト・バスの車掌だったStanley Shunpikeスタンレー・シャンパイクに襲われるが、 Avada Kedavraのkilling Curses殺人呪文に対し、ハリーはExpelliarmus武装解除の呪文で対抗し、本物だとわかってしまう。お人良しだと言うルーピンに対し、「邪魔だから殺すのではヴォルデモートと一緒。」とハリーが反論する。
このやりとりは映画では出てこないが、デス・イーターたちの緑色の殺人光線に対し、ハリーはStupefyなど赤色のStunning Spellで対抗している。映画では魔法の光線の色が明確なので、ハリーたちが戦いの場面でも殺人光線を使っていないことがよくわかる。
■オールナイト・カフェでの格闘
映画では、ハリー、ロン、ハーマイオニーの3人がカプチーノを3つ注文した後、入店してきた労働者風の2人(デス・イーター)が突然攻撃してくる。彼らが杖を構える姿にハリーが気付き奇襲を避けることができた。ウエイトレスにはハーマイオニーが危険だからと帰している。
原作では、ハリーがInvisibility Cloak透明マントを着ていたため、カプチーノの注文は2つで、敵の奇襲に対し透明マントを着たままハリーが応戦する。一人目のデスイーターをStupefyで気絶させたが、二人目は呪文が窓に反射してウエイトレスに当たってしまう。
■Umbridgeアンブリッジのlocketロケット
Horcrux分霊箱の一つであるロケットは、シリウスの弟のレギュラス(R.A.B=Regulus Arcturus Black)から処分を命じられたhouse-elf屋敷しもべのKreacherクリーチャーが処分できずにいたところ、マンダンガスに盗まれ、さらに行商中にアンブリッジに略奪される。魔法省の役人家族で純血以外の者を見つけ糾弾する裁判(いわゆる"魔女狩り"の逆)中に、アンブリッジが「自分が着用しているロケットは、自分の純血を証明するものだ。」と嘘をついたことにハリーは怒る。
原作では、透明マントの下からStupefyで倒すが、映画では、変身した姿のままで、「You must not tell a lie!」と叫んでアンブリッジを倒す。このセリフは、ホグワーツ校でアンブリッジ教授からハリーが何度も虐待されたセリフであり、映画の方が見どころがある。
■Wormtail ワームテイル(Pettigrew ペティグリュー)
マルフォイ家の地下に幽閉されたハリーたちの様子を見に来たワームテイルにハリーたちは奇襲をかけて取っ組み合いになる。ワームテイルの”銀の指”に首を絞められそうになったとき、”You're going to kill me? After I saved your life? You owe me.” というハリーの言葉にひるんだワームテイル。ヴォルデモートが与えた”銀の指”は、今度はワームテイルの首を締め始め、ハリーも止めることもできなかった。 映画ではこのシーンは出てこない。
*********ハリーポッターの記事一覧***********
第7話ハリーポッター原作と映画の違い「死の秘宝 PART2」
通しで読まないとわからないところがあるので、ようやく、あ、そうだった!といろいろつながりました
映画は結構、はしょっちゃっている部分があるので(特に謎のプリンスは)、細かいところに”しかけ”があるローリングの文章は謎解きみたいでした。
でも、結局は普通の愛(親子の愛、子弟の愛、信頼関係)、友情、日常生活、こういうものがとても大切であることをまたしみじみ感じました。それを知らなかったヴォルデモート卿はかわいそうでしたね。
マルフォイ君がこっちの世界に戻って来たのもよかったですね♪
透明マントに実は一番価値があった。=目に見えないものに大切なものが隠されている。。。
ということなのかもしれないですね
なるほどなるほど、奥深い作品ですね。
母親が書いた作品だなと思っておりましたが、asian treeさんの着眼点までたどり着かなかったです。読解力の問題ですが。
最後の方は分霊箱と死の秘宝の両方を探すという、大変な状態でした。
改めていい作品だとわかりました。ありがとうございます。
(forever greenさんを見習って英語で読まなきゃですね。実は一度不死鳥騎士団を読もうとして脱落しました)
そうそう、途中できづいたんですけど、ヴォルデモート卿とハリーって実は遠い親戚になるんでしょうか?
3つの秘宝のうちの蘇りの石は、例のあの人の家系のもので、ひとつはハリーの家系のものでしたよね。
3つはもともと3人の兄弟が持っていた物だから、実は遠縁???
なんてことを思っていました
Harry James Potterは、Ignotus Peverellの末裔、
Tom Riddleは、Cadmus Peverellの末裔。
HermioneがDumbledoreから受け取った本「The Tales of Beedle the Bard」に出てくるPeverell三兄弟の3番目と2番目ですね。
Peverell coat of arms(ぺベル家の家紋)がその証拠で、ゴドリック谷のIgnotusの墓の家紋と、Tom Riddleの祖父のMarvolo Gauntが中指にはめていた指輪Ringの家紋がそれを表していますね。
教えていただいてありがとうございました。
(そのうち今度は原文で読んでみます。←いつになるかな~)
ちなみにさっき気づいたのですが、Cadmusはギリシャ神話の龍を退治した勇者の名前で、Ignotus は無名の者っていう意味なんですね。
勇者よりも無名の者の方がずっと人生充実しているんだよっていうのが、ローリングさんのこどもたちへのメッセージだったのかな?
お返事が遅くなりました。
無名の者という意味なんですか。ありがとうございます。
ローリングのメッセージ、いろいろあるんですね。
「死について」と「母親が子供を思う気持ち」について、次に書きますね。