沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

斜里町と知床100平方メートル運動

2024-08-21 | 国内旅行
充実してた斜里町知床博物館の次は、いよいよ知床半島へ。
【オシンコシンの滝】
落差70メートル。アイヌ語で川下にエゾマツが群生するとことを意味する「オ・シュンク・ウㇱ」から転じた。
【知床五湖】
知床連山やオホーツク海、森林を見渡すことができる湖と湿地帯です。
見晴らしのよい高架木道があるので、安心して歩けます。
ウグイスが声高らかにさえずっています。
小さな池もあります。ここは知床五湖の入り口部分で、観光客用に整備されています。
【知床100平方メートル運動】
エゾジカがこちらを見ています。
そのに広がる森林は、日本のナショナル・トラスト運動として約50年の歳月をかけて復元されたものです。
「しれとこ100平方メートル運動」は、不動産業者による乱開発の危機にあった開拓跡地を、全国からの募金活動で買い戻し、原生の森を復元するもの。
1977年に斜里町の藤谷豊町長が始めた。
 
【土地取得の変遷】
現在の地点(赤丸)から見た西側(左側)の開拓地(黄色)が、募金活動によって取得され(赤色)、森林に変わっています。
【航空写真】

【47年前の記憶】
岩尾別開拓跡地の中央に、岩尾別ユースホステルと書かれている。現在は休業しているが、47年前にお世話になりました。
1977年9月28日(水)
旭川1:00→石北線(大雪5号)→遠軽4:32→名寄本線→中湧別5:14→湧網線→網走7:49→斜里9:10→カムイワッカの滝11:45→乙女の涙・ウトロ灯台→岩尾別YH
夕日がオホーツク海に沈むから、皆で見に行こうとスタッフ(ヘルパー)さんが海岸まで行き、沈む夕陽に合わせギター演奏し、皆で歌ったなあ。
翌日は、羅臼岳に登ろうと思ったら、今日の宿泊者がヒグマを見かけたとの情報で、中止に。
大学2年だった私は知床100平方メートル運動のことは知っていた。しかし、47年を経て、多くの人々の努力で現在の姿になるとは想像できなかった。
 
【しれとこ100平方メートル運動の経緯】
1914年、岩尾別地区に開拓者が入植し国の開拓計画で開墾が進み、ピーク時には60戸の集落ができました。
しかし、水や電気、道路、住宅など生活基盤が未整備のうえ、厳しい自然条件の中で農業はうまくいかず入植者を苦しめました。
1973年、最後の入植者がこの地を去り、開拓跡地として放置されました。
1964年、知床半島が国立公園に指定され、不動産業者による開拓跡地の買い取りが100ヘクタールになりました。
乱開発を恐れた斜里町は、開拓跡地を国や北海道に買い取り要請をしましたが、制度の対象とならず、断られました
藤谷豊(フジヤ ユタカ)町長は、「全国に呼びかけ100平方メートルずつ買い上げてもらう運動」の構想を密かに東京の友人とあたためていました。
1977年1月、朝日新聞の天声人語に、英国のナショナルトラスト運動が紹介されており、これを読んだ藤谷町長は行動を決断
1977年2月、新年度予算発表の場で「しれとこ100平方メートル運動」のスタートを発表。資料もなく、職員も知らされていなかった。
総面積は約470ヘクタールの土地の買い取り。そこに、約42万本の木を植える
【運動の特徴】
「知床で夢を買いませんか」というキャッチコピー。
寄付金額は、100平方メートルで8,000円。
知床の地主になれるロマンを求め、5万人が参加。
土地の分筆や登記は行わず、斜里町が責任を持って森林に復元する。
 
【藤谷豊町長】
1963年から1979年まで、4期16年間も斜里町長を務めた。
1977年の知床100平方メートル運動、1978年の知床博物館の開館など、後世に残る歴史を作った。
本業は、鮭の漁業経営。
【しれとこ自然センター】
こちらの建物の内部には、運動に寄付した4万9千人の氏名が都道府県別に掲げられている。

シラカンバ、アカエゾマツの植林。
植林した樹木の樹皮を食べるエゾジカとの戦い

ヒグマとの戦い
【フレペの滝(乙女の涙)】
高さ100メートルの断崖から、地下水がしみ出して海へ落ちていく。フレペはアイヌ語で赤い水。
47年前はアイヌ語ではなく、ホロホロと流れ落ちる様子から「乙女の涙」と呼ばれていた。
【知床あっぺメシ】
鮭の漁獲高が日本一の知床の漁師メシ。
鮭と昆布の混ぜご飯に、鮭の漬け丼、それに薬味と出汁をかけていただく。3回も楽しめる。
おいしかった。


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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (フーミン)
2024-08-21 18:56:03
こんばんは。
今回初めて知床に行くので、予習になりました。ありがとうございます。不勉強で何も知らないので恥じてます😆
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Unknown (forever-green)
2024-08-21 21:52:06
フーミンさん。こんばんは。
ありがとうございます。知床へ行かれるのですね。楽しみですね。いいなあ。
参考になれば良いのですが…
北海道はいいですね!開発した後に元に戻すこともちゃんとやっていることがすごいなと、自然に向き合っているんだと思います。
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Unknown (ユウ)
2024-08-23 15:37:15
こんにちは〜😃

「しれとこ100平方メートル運動」知りませんでした。当時の町長、藤谷さんは、素晴らしい仕事をされましたね!

岩尾別ユースホステル懷かしいです。同じユースに泊まってたんですね。羅臼岳は熊除けの鈴を持って、一人で登りました。なんて無謀だったんでしょうね!

カムイワッカの滝つぼの湯に入られたんですね!私は足だけ浸かるだけで諦めました。

とても詳しく紹介されていているので、勉強になります。ありがとうございます。

「熱源」を読む前に、野南アサ著「オベリベリ」を読んでいます。こちらの方が史実にそっているらしいです。
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Unknown (ユウ)
2024-08-23 16:25:55
ごめんなさいね…「チームオベリベリ」でした😅 ユウ
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Unknown (forever-green)
2024-08-24 00:49:47
ユウさん こんばんは。
ありがとうございます。
寄付活動はうまくいくのか、運動の中心地にあるYHの方も半信半疑でした。
羅臼岳を一人で登られたのですか!さすがユウさん、すごいですね。私も登りたかったです。当時は旅行者のヒグマ被害はなかった気がします。大雪山のテント襲撃はその後ですし。
次の旅先をどこにするか、ユースでは貴重な情報が得られましたね。カムイワッカの滝は脱衣所もなく、危険すぎますし。

乃南アサさんの小説は面白そうですね。ありがとうございます。
「台湾統治50年」を読んで、知らなかった台湾のことが詳しく理解できました。資料を読み込んで本を仕上げていくすごい方だと思いました。北海道開拓の物語も読み応えがありそうですね。
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