16日㈫、午前中は来客。
午後は宮津市へ。天橋立ワインが20周年を迎えられ、そのお祝いの会に出席させていただいた。
山崎浩孝社長とは20年来の関係で、いつも格好良く、情報や人脈が広く、時々出会って刺激を受ける「良きアニキ」のような存在の方だ。
どうしても日頃は、足元を固めて、足元に落ちている小銭ばかりを探してしまうが、山崎さんと会うと先を見ていかに人を招き寄せるか、その人がお金や情報やさらなる人脈を引っ張ってくるということに改めて気が付かされる。
天橋立ワインも20年以上前に山崎さんが描いた夢を宮津商工会議所の今井一雄会頭や飯尾醸造の飯尾毅会長が支援され、これからようやく本格的に売り出していく時期に来たというお披露目パーティだった。
宮津市の城崎雅文市長、中島武文府議、星野和彦市議会副議長、中野孝男丹後広域振興局長や京都北都信金の森屋松吉理事長など、地元の代表者の方々もたくさん来られていた。
この日も様々な方々を紹介していただいた。
お名前はかねがね伺っていた飯尾醸造の四代目・飯尾会長から無農薬米で酢を作るに至った考え方を聞いたり、河原シンスケさんという世界的アーティストは「野生の勘だけで生きてきたから…面白そうだと思えば、どこにでも行く」と近々、宮津にアトリエを持たれるそうだ。世界を回ってきて、日本の歴史に興味が湧き、それなら日本海側かな?と思っておられたそうだ。
シンスケさんは、エルメスの一点物のオブジェなどの制作もしておられるそうで「エルメスには好きなものを何を作ってもいいと言われているから…」とおっしゃっており、そんなセリフ言ってみたいなあと思った。
フランス国立音楽院で五本の指に入るというパトリック教授のピアノと世界的チューバ奏者のダヴィッド・サンボンさんも山崎さんの親友で、演奏を披露された。
小源太が綾部中学校の吹奏楽部でチューバを吹いていることを話したら、僕を迎えに来た時に、ダヴィッドさんと話をさせてもらった。フランス語をシンスケさんが通訳してくださった。
今週末に宮津でコンサートがあるので小源太も連れて来てやろうと思う。「教えてあげるからチューバを持って来なさい」と言われていたが、学校の楽器は持ち出せないので、それもシンスケさんが通訳してくださった。学校のクラブ活動で吹いているだけだが、音楽学校を目指していると勘違いされたのかもしれない。