24日㈪、朝8時に綾部市役所の市長応接室へ。山崎市長から漫才師シャンプーハットのてつじさんへ「綾部市地域交流大使」の任命式があり、同席した。
てつじさんには昨年8月、綾部市西方町の古民家を購入していただき、「サードプレイス」として整備が進められている。古民家は「アヤベ・ダ・ファミリア」と名付けられ、これから先もずっと進化を続けていくそうだ。
綾部市が「地域交流大使」を任命するのは初めてのことだ。てつじさんからは以前に「綾部の地域づくりに貢献したい。そういう役割をさせてもらえないか」と相談され、市長に検討をお願いしていたこともあり、今日の任命式にも同席させていただいた。
てつじさんには「綾部の人は綾部には観光地がないとみんなおっしゃるけど、綾部は人が良い」と言っていただき、すでにテレビやラジオで「綾部、綾部」と綾部のことをずっとPRしていただいており、今後も綾部のために様々な協力をしていただけるとのことだった。「綾部に貢献して、綾部の人に認めてもらえたら、芸名を綾部てつじにします!」とも宣言しておられた。
今日もてつじさんと一緒に来られていたが、てつじさんと綾部の空家を繋いでくれた空き家活用株式会社(港区)の和田貴充社長にも今後、綾部の空き家活用に関して知恵や人脈を貸してもらいたいと期待している。
午後は東八田地区の酒井裕史市議の案内で八代町に入った。
黒谷和紙の里である黒谷町からさらに奥に入った集落で、綾部市に合併される前までは奥黒谷と呼ばれていた集落だ。その頃は30世帯以上あった集落だったが、今では8世帯になってしまったと自治会長の北野慶一さんから教えていただいた。
北野さんからお手紙をいただいたのは、三面張り水路のコンクリートが剥がれて黒谷川を塞ぐようになってしまっているというお話だったので、京都府中丹東土木事務所に連絡し、綾部市と一緒にすでに現地を見てもらっているが、自分の目でもどういう状況なのか確かめようと現地へ足を運んだ。
自治会長の北野さん宅を訪ねてお話を伺った。
八代町の皆さんは、西八田地区の七百石町大谷に田んぼを持っておられるそうだ。昔を山を越えて耕作に行っておられたらしい。また志賀郷地区の内久井町に抜ける山道もあるそうで、炭焼きや紙漉きをしながら、あちこちの地域と交流して暮らしておられたようだ。
「八代」の地名の由来となった八代神社には安倍宗任が祀られているそうだ。平安時代に前九年の役や後三年の役で朝廷軍と戦った東北の豪族がなぜ、ここに?と思ったが、八代には安倍宗任がここで討たれて命を落としたという伝説がある。
八代のことを紹介するページがあるのでご参考までに。https://tangonotimei.com/ikrg/yasiro.html
酒井市議が「近くに安倍宗任が隠れていたところがある」とおっしゃるので案内してもらった。綾部市と舞鶴市の境を少し舞鶴に入ったところにある「紫竹山稚児ヶ滝不動明王参道」と看板が立っている山道に歩いて入った。
竹が大倒しに倒れているような林道を5分ほど歩くと鳥居が見えた。
安倍宗任はここに潜んでいるところを追手に見つかり、敵の手に渡すには忍びないと、ここで息子の命を絶ち、自らは山奥へ分け入って、八代まで逃げ、そこで討たれたらしい。
酒井市議も歴史に詳しいので、東八田の歴史をまとめたものを作ったらどうですか?と勧めた。
ネットで検索すると以前にあやべ市民新聞で連載された「ふるさと探訪」でも「八代神社」のことが紹介された記事があった。
夕方は梅原哲史市議が来られて、府内産木材の利用促進のことについて意見交換。