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四方源太郎日記(京都府議会議員・綾部市選挙区)

これからの綾部のために、さらなる「挑戦」を!

何鹿郡衙と綾中廃寺

2023年12月24日 | 歴史の探求

 24日㈰クリスマスイヴの日。さすがに誰からのプレゼントかはもう分かっている年頃だが、子ども達はいろいろなプレゼントをもらって楽しんでいた。

 午前中松本幸子市議と中筋地区の鳥ヶ坪、延町、岡町の挨拶回り。

 今日は他にも綾部地区を回った。井倉町、青野町、綾中町、味方町、紫水ヶ丘など。

 綾中町を回っていると「何鹿郡衙と綾中廃寺」という観光案内板があった。

 綾中町には奈良時代に何鹿郡衙(郡役所)が置かれ、綾中廃寺と言われている五重塔を持つ大きなお寺があったそうだ。参考:【ふるさと探訪】綾中廃寺(移住立国あやべHP)

 国鉄時代、舞鶴線拡張工事の際に「真如院」と書かれた自然石が発見され、綾中廃寺に関係があると言われている。今はアスパがあるあたりにお寺や郡役所が建てられていたのだろうか?

 綾中町は江戸時代から戦前までは「中村」と呼ばれていた。何鹿郡が合併して綾部市になった際、綾部、梅迫、小畑に3つの「中村」があったため、それぞれ「綾中町」「梅迫中町」「小畑中」と地名を変えた。

 戦国時代に綾部地区を支配した豪族梅原氏は江戸初期に綾部藩主として九鬼氏が来られた際に、川糸町の綾部高校由良川キャンパスのあたりにあった自らの屋敷を九鬼氏に譲り、自分たちは「中村」に移ったと伝わっており、それが今の綾中町のことである。

 綾部の地名を辿って「ブラタモリ」してみると面白いと思っている。

 夕方には散髪に行った。blogの写真を見ると髪の毛がボサボサだなと感じたので。

 ここのところ、昼は挨拶回り、夜は忘年会という日々だったが、今夜は予定がないので家でゆっくりします。


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