現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

久々に虚無僧に

2010-05-02 10:02:34 | 虚無僧日記
4/29 ゴールデンウィークのスタート。名古屋駅前は、
帰省客やら、近郊近在からの若者ですごい人。10代の
女の子が圧倒的に多い。

「あのォ、いかほど差し上げたらよろしいのでしょうか」
と若い女性。「お心差しで結構です」との答えに、安堵の
顔で、「今日は これで。はいお小遣い」と100円。

高校生くらいの女の子が無言で差し出したのはレモン味
の飴。これが結構、喉の渇きを潤してくれた。

8歳くらいの可愛い女の子が立ち止まった。若い母親も
振り返って、近づいてきた。「ほら○○にも出てくるで
しょう」と、どうやらゲームソフトに虚無僧が登場するらしい。
「どうして こんな格好してるの?」との女の子の質問に
「こういう、スタイルなの」とお母さん。
(なるほど、理屈をこねるより、これでいいのか)と納得。
「私も吹いてみたい」と女の子。スペアの尺八を貸して
あげる。「この子は音楽が好きなんです。バイオリンと
ピアノを習ってます」と、お母さんが100円を入れてくれた。

この日は、10人ほどの若者が入れてくれた。10円、5円、
1円玉だが、若い人が関心をもってくれたことが喜び。


「よしッ今日も」と、5/1も 名古屋駅に立つ。“柳の下に
2匹目のどじょう”は居なかった。若い子ばかり、ものすごい
人だが、今日はみな足早に通り過ぎて行く。人通りが多く、
流れが早いと、虚無僧には無関心。無心で吹くが、5時間
立って全くゼロ。

夜7時を過ぎ、あきらめて帰りの地下鉄に乗ったら、30
前後の茶髪の兄さんが、ジャラジャラと、ジーパンの
ポケットから小銭を取り出して、偈箱に入れてくれた。

本物のお坊さんが電車に乗っていても、誰も布施なんか
しないだろうに、虚無僧の格好をしていると、歩いていても、
地下鉄に乗っていても布施してくださる方がいるのだ。

最後の最後で“み仏”に会えたと思った。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

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水上勉 『一休』

2010-05-02 07:49:44 | 虚無僧日記
水上勉の『一休』は実に難解だ。何回読んでも“はてな?”である。
ただでさえ難解な「一休の禅」を分かりやすく解き明かしてくれる
のが小説家の役割だと思うのだが、水上勉は、余計難しくしてくれ
ている。

一休の行実を記すものは、一休歿後弟子たちによって編纂された
『一休和尚年譜』しかないはずだが、水上勉は「『一休和尚行実譜』
なる珍本を持っている」として、その内容に基づいて「一休」を
描いている。

この『行実譜』は、元禄2年の刊行物で、著者は「風狂子磯上清太夫」
だという。この『行実譜』が実在するのか、水上のフィクションなのか
は不明。この手口は『虚竹の笛』ども同じだ。有りようもない『和漢
竹管往来』なる書を手に入れたとして、虚竹について、いかにも真実が
明らかになったかのように書いている。私は『和漢竹管往来』も水上の
フィクション(創作)だと思うのだが、これを読んだ尺八家の中には、
すっかり信じている方もおられる。

一休にしても清太夫の『行実譜』は めちやくちゃだ。一休は 81 歳で
大徳寺の住持になるが、その就任式を欠席する。これは一休に始まった
ことではない。奇怪千万な禅僧のことだ。先例もあり「“居なり”として
認められている」と水上勉は認めながらも、「『行実譜』は意外なことを
告げる」として、盲目の森女が孕んで、大徳寺住寺就任式の当日、森女が
流産しかけたために、一休はオロオロするばかりで、就任式どころでは
なかった」ということを、微に入り細に入り露骨に描いている。

とても江戸時代の戯作者の作とは思えない。この描写は、21歳の時、同じ
アパートに住む女性を孕ませて、堕胎に立ち会った時の水上勉自身の告白
そのものだ。
そして、読者には、一休が就任式をスッポかした真実は、そうだったのかと
納得させるに十分な迫力だ。

そして、この水上勉の『一休』に基づいて、少年少女向けの漫画本『一休』も
森女の流産のシーンが生々しく描かれている。一休も あの世で、びっくり
苦笑していることだろう。