現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

日々修行

2010-05-21 11:58:12 | 虚無僧日記
時間もお金もマネージャーに管理されている私一路。

中国に行かせてもらう条件は、「旅費は自分で稼ぐこと」
そして「母親と父の墓参りに行くこと」の2つ。いや、
もひとつ大事なのが、「絶対に腹を立ててはいけない」
でござった。

なにせ、怒りやすく、すぐキレル性格を治すための日々の
虚無僧修行。今朝の「朝起き会」の学びも「何がなんでも、
いついかなる場合でも絶対に人の悪は口にしてはならず、
腹を立ててはいけない」と、厳しいご指導でありました。

昨日の真如苑でも「修行は自分のためではなく、他の
ためにするもの、他を喜ばせるためにするもの」と聴か
され、“なるほど”と得心した次第。

マネージャーの鈴花は、私と母の“より”を戻すべく、
いろいろ画策していてくれているようだ。昨日メールで母に
「どうぞ、会って、どんどん厳しく言ってやってください。
それでキレたら、すぐメールください。即刻 中国行きは
取りやめ。そのお金で二人で、豪遊しましよう」と送った
そうな。これで母も、少しは怒りが融けてきたような気配。

彼女の前向きで明るい発想には、いつも感心させられる。

桶狭間 450年

2010-05-21 10:02:22 | 虚無僧日記
今年は、桶狭間の合戦から450年。記念のイベントが
桶狭間の合戦ゆかりの各地で行われました。

鳴海町の「中島砦」跡地では、碑を管理する伊藤氏や
隣地の近藤氏が中心となって、琵琶の『桶狭間』を
聴く会が開催されました。ここは「信長が兵を終結させ、
桶狭間への号令を下した“出世成功の足懸かりの地”」
というわけです。

従来の定説では、「信長は激しい雷雨の中、迂回して、
太子が根の山頂から、窪地で休息していた義元を襲った」
というのですが、近年、この「奇襲説」は否定されつつ
あります。
「信長は敵中深く、中島砦まで兵を進め、雨が上がって
から、桶狭間に向かって正面攻撃で突き進んだ」という
のです。

その異説を唱えたのは藤本正行氏。なんと慶応の史学科で
私と同期でした。彼は「長篠の合戦の鉄砲三千丁」も否定し、
今や“知る人ぞ知る”の歴史学者となっています。

彼は「女武者」のイラストも上手で、私も「武者絵」をよく
描いていましたので、意気投合し、家に遊びに行ったこと
など、昨日のように思い出されます。彼は覚えてないかな?

私も「尺八と虚無僧の歴史」の定説に異論を唱えているの
ですが、どうもマイナーで、“まぁいいなぁ”でござりまするか。
ザンネン。