現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

赤坂「プルデンシャルタワービル」

2012-04-09 20:45:46 | 虚無僧日記
先日、東京赤坂界隈に行った。ひときわ高くそびえるビルが
「プルデンシャルタワービル」だった。

千代田生命が破綻するきっかけとなったいわくつきのビルで、
千代田生命倒産後、プルデンシャルに買収され完成したものだ。

こにはかつて、1960年(昭和35年)に開業した「ホテル・ニュー
ジャパン」が存在していた。

1982年(昭和57年)に火災が発生し、死者33人を出したビルだ。、
長らくそのまま放置されていたビルなので、まだ記憶している
人もいることだろう。

「横井英樹」がオーナーだったホテルで、火災後、再建費用
として、千代田生命が横井英樹に1,500億円を融資した。

ところが横井はその金を「日産生命」の仕手戦に使って
しまったのだ。その後、横井は「重過失の罪」で逮捕され、
最高裁で「禁固3年」の刑に処せられたため、貸付金の
回収は不能となったのだ。

時あたかもバブルの崩壊で、「不良資産」が問題視され、
面白おかしくマスコミに取り上げられた。

世間知らずの「おぼっちゃん」会社が、よくも、あの
名うての悪玉「横井」に金を貸したものよ。「さて回収は
いかに」と連日週刊誌などに書きたてられた。

千代田としては、この物件を取得し、火災から14年後の
1996年になって建物を解体、跡地に高層ビルの建設を
進めた。赤坂の一等地である。ビルが建ち、テナントが
入れば、1,500億の回収は可能だった。

ところが、その建設中の2000年10月に、千代田生命自体が
経営破綻してしまい、プルデンシャル生命に売られた。
それで、プルデンシャルタワーとして、2002年12月16日に
完成したのだった。



大倉喜八郎と喜七郎父子

2012-04-09 16:32:13 | 尺八・一節切

大倉 喜七郎(1882年 - 1963年)は、大倉財閥の2代目総帥。
東京生まれ。父は大倉財閥創始者の大倉喜八郎。

まず、父の「喜八郎」は、
新潟県新発田市出身。安政元年(1854)江戸に出て、銃砲の
販売で名を馳せた。新政府の御用商人として軍需品の調達・
輸送、土木建設工事などに従事し、蓄財していった。
東京電灯(現・東電)、帝国ホテルその他数多くの企業の
設立に参画し役員に就任した。
大正6年(1917)、大倉商事、大倉土木(現・大成建設)、
大倉鉱業を直系3社とするコンツェルンを形成し、戦前の
5大財閥(三井・三菱・住友・安田・大倉)のひとつに
数えられた。


その御曹司で男爵になったのが「大倉喜七郎」。
慶應幼稚舎、慶應普通部を経て慶應義塾大学を卒業。
その後1900年、イギリス・ケンブリッジ大学に留学。

「喜七郎」は、父の跡を継ぎ実業家で趣味人であった。
戦後の公職追放、財閥解体で 帝国ホテルを手放すこととなり、
自らの邸宅後にホテルオークラを建てたほか、伊豆の「川奈
ホテル」など、高級ホテル業に専念する。

私も“ご幼少の頃”伊豆の「川奈ホテル」で遊んだ記憶が
ある。「フレッシュジュース」が一杯400円。今の 2,000円
ほどしたのを覚えている。普通の喫茶店だと、コーヒー50円
(昭和30年)~60円(昭和35年)の時代だった。

千代田生命の中島社長もダンディで「正月は毎年、川奈
ホテルに泊まり、財界人とゴルフ」と言っておった。

千代田生命・千代田火災の創業者「門野幾之進」の弟が
「大倉財閥」の重鎮であったことから、千代田と大倉との
結びつきは強かった。戦後、千代田火災と大倉火災が合併
しており、千代田の社長は代々「大成建設」の社外役員に
なっていた。

その関係で千代田生命本社ビルはじめ、多くの建物は
「大成建設」が請け負っていた。そして、私も1年
「大成建設」に出向させてもらったことがあった。



奇跡の復活「オークラウロ」

2012-04-09 15:51:26 | 尺八・一節切

オークラウロ」は、ホテルオークラの創業者「大倉喜七郎」が
考案・制作した幻の楽器。フルートを縦にし、尺八の歌口を
つけたもの。「金管多孔尺八」だ。
「大倉(オークラ)」と、古代ギリシャの縦笛の名「アウロス(Aulos)」
をあわせて、「オークラウロ」と命名された。

大倉喜七郎は、実業家で、日本屈指の趣味人であり、カーレース、
やゴルフ、囲碁、洋楽、舞踊、義太夫、地唄、長唄、常磐津、清元、
河東節、新内、小唄など邦楽全般に通じた。昭和初期には新邦楽の
「大和楽(やまとがく)」を創設。尺八にも夢中になり、フルートと
尺八を合体させた新楽器「オークラウロ」を創案した。

「オークラウロ」の試作はロンドンのルーダル・カルテ社に依頼し、
昭和10(1935)年に公表された。京橋には、オークラウロ協会が
設けられ、『オークラウロ教則本』(古賀一聴著、1936)の刊行、
楽団による定期演奏会も行われた。 奏者としては、大倉聴松
(喜七郎本人)、荒木和聴(4代目荒木古童)、福田真聴(福田蘭童)、
菊池淡聴(菊池淡水)などがいた。

「荒木古童」家に伝わったものとされる「オークラウロ」を
私は20年前、ジョン・海山・ネプチューンの家で見た。
現物の歌口は、フルート本体と同じ金属製で、歌口の角度が
浅いため、吹きづらい。そこで、ネプチユーンは「竹の尺八と
同じ歌口」を継いで、器用に吹きこなしていた。

その他にも、慶応高校の同期の者が「祖父のもの」として
見せてくれたことがあっが、これは「弁」が壊れていて
使い物にならなかった。

さて、「大倉集古館」で「オークラウロ」を復元したのか、
2011年8月~9月に大倉集古館主催で「大倉喜七郎と邦楽―
“幻の竪笛”オークラウロを中心に―」が開催された。

この展覧会の併催イベントとしてオークラウロのコンサートが
行われ、今年年1月には オリジナルアルバム『オークラウロ
 Okraulo
』が発売された。演奏は小湊昭尚(オークラウロ)
・保坂修平(作曲・アレンジ・ピアノ)が行った。

そして、先日「日経新聞」にも掲載された。その写真に
「山川直春」氏も写っているとか。


スーツ「2着目半額」のカラクリ

2012-04-09 10:56:27 | 虚無僧日記
“2着目は半額”の割引紳士服 本当に得か流通専門家が解説(NEWSポストセブン) - goo ニュース


「朝起会」はスーツにネクタイ着用で正座するので、
毎日着ていると、ズボンはシワだらけ、膝が抜けて
すり切れるのも早く、すぐダメになる。だから夏冬
各シーズンで買い換える。そうなると安いのでよい。
御用達の店は「大手の安売り紳士服店」だ。

広告で「2万9,800円で2着目は1,000円」。ようするに
31,800円でスーツが2着買えるという。

その仕組みは、仕入れ原価(生地代)は12~13%で
約3600円、人件費が35%程で約1万430円、残りが
テナント料・光熱・広告宣伝費が約1万2665円で、
1着の利益がだいたい3105円程。

2着買ってもらえれば、接客もせずにすみ、人件費や
広告費などの経費はゼロ。なので仕入値 3,600円+
利益でよいのだとか。

だが、その安いものは「つり広告」で、良いものは
無い。いろいろ物色して、気に入ったものとなると、
結局6万円のスーツを“半値”というので、3万円で
買った。

それにしても、昭和46年就職した時、親に買ってもらった
スーツは7万円もした。初任給は5万円。それ以上だった
のだ。あれから40年、繊維業界が厳しいのは判る。


 

笑う猫のぬいぐるみ

2012-04-09 03:38:04 | 虚無僧日記
「大宰府天満宮」の参道には、いろいろ面白いモノが
売っている。「土産物店」というと、どこも同じモノを
売っていてつまらぬものだが、ここは違った。

「雨に濡れると模様が浮き出る傘」、「柄(え)が刀の
柄(つか)になっている傘」これが 1,050円と安い。
ネットで見たら 3,000円~4,500円もしている。

笑う猫のぬいぐるみ」には笑えた。叩いたり、触ったり、
大きな声や音にも反応して「ぎゃハハハ、あハハハハ、
うぁハハハハ、いゃハハハハ」と笑いころげるのだ。
腹を出して笑うサマは、ほんとに-抱腹絶倒。これも
1,050円。ネットでは1,500円だった。

「叩かれても、蹴っ飛ばされても、怒鳴られても、笑って
すます」。これこそ最高の すばらしい学びだ。

みな「中国製」だ。振動やもの音に反応するのは、
どういう仕組みなのだろう。中国の技術も進んだものと
感心する。

観光客の大半は韓国、中国人だが、中国製の土産品、
さすが中国人は買わない。