中日新聞夕刊に瀬戸内寂聴が連載している「この道」
サブタイトルは『美しい死』。
辻潤の妻だった「伊藤野枝」は、辻を捨てて大杉栄の
もとに走り、関東大震災の騒動の中、大杉とともに
憲兵に連れ去られ、甘粕大尉の手によった殺された。
遺体は井戸に投げ込まれその上に石や瓦、ゴミまでが
放り込まれ 埋められた。
後に甘粕は裁判にかけられて、懲役刑に処せられている。
その時、掘り起こして、遺体を見分した「検死報告書」が
ある。「素っ裸にされ、肋骨も手足も折れ、相当の
暴行を受けて殺された」という。「どうせ畳の上では
死ねない身」と日頃 口にしていた野枝のことだから、
むしろ「勝ち誇った顔で 死んでいったのでは」と
寂聴は推理する。
これには、私は異論がある。甘粕大尉の証言では
「背後から柔道の締め技で、首をしめた。楽に
死んでいった」という。俗物が思い描くような
凄惨なシーンではなく、案外、そんなものだった
ように私には見える。遺体の烈しい損傷は、井戸に
投げ込まれ、その上から石や瓦を落とされたからだ。
写真で見る井戸は 間口が数mもあるような大きな
井戸で、その上に小山のようにうず高く土砂が
積まれてあった。
て、野枝に捨てられた「辻潤」は「晩年は物乞いの
ような風体で尺八1本を持ち放浪し、最後はアパート
の一室で餓死した。惨めを極めた辻潤の死も、彼の
ダダイストとしての立場から見れば、思想に殉じた
死といえるのではないだろうか。私が書いてきた人々は
すべて 人並みでない烈しい生を燃え尽くし、 美しい
死をとげたと、私は感動させられる」と、寂聴は結んで
いる。
いいね、私は「辻潤」に自分を仮託してしまうのだ。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
サブタイトルは『美しい死』。
辻潤の妻だった「伊藤野枝」は、辻を捨てて大杉栄の
もとに走り、関東大震災の騒動の中、大杉とともに
憲兵に連れ去られ、甘粕大尉の手によった殺された。
遺体は井戸に投げ込まれその上に石や瓦、ゴミまでが
放り込まれ 埋められた。
後に甘粕は裁判にかけられて、懲役刑に処せられている。
その時、掘り起こして、遺体を見分した「検死報告書」が
ある。「素っ裸にされ、肋骨も手足も折れ、相当の
暴行を受けて殺された」という。「どうせ畳の上では
死ねない身」と日頃 口にしていた野枝のことだから、
むしろ「勝ち誇った顔で 死んでいったのでは」と
寂聴は推理する。
これには、私は異論がある。甘粕大尉の証言では
「背後から柔道の締め技で、首をしめた。楽に
死んでいった」という。俗物が思い描くような
凄惨なシーンではなく、案外、そんなものだった
ように私には見える。遺体の烈しい損傷は、井戸に
投げ込まれ、その上から石や瓦を落とされたからだ。
写真で見る井戸は 間口が数mもあるような大きな
井戸で、その上に小山のようにうず高く土砂が
積まれてあった。
て、野枝に捨てられた「辻潤」は「晩年は物乞いの
ような風体で尺八1本を持ち放浪し、最後はアパート
の一室で餓死した。惨めを極めた辻潤の死も、彼の
ダダイストとしての立場から見れば、思想に殉じた
死といえるのではないだろうか。私が書いてきた人々は
すべて 人並みでない烈しい生を燃え尽くし、 美しい
死をとげたと、私は感動させられる」と、寂聴は結んで
いる。
いいね、私は「辻潤」に自分を仮託してしまうのだ。
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