現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

引き寄せる魔法

2017-10-10 22:15:43 | 虚無僧日記

上原愛加著『魔法のプリンセスレッスン』(学習研究社)。

「自分がプリンセスだったら」とイメージして、プリンセスの
ように振舞うことにより、出会いたい人に出会え、欲しいものが
手にはいり、ラッキー。

これは そう難しいことではない。。

「人は思い描いたように生きる」「成功のレッスンは、まず
毎朝、シンデレラになったつもりで 雑巾がけ。そして一日、
プリンセスのように振る舞い、寝る前には、その日一日体験した
嬉しいこと、感謝されたこと等を「プリンセス・ノート」に
つける。

「今日もご飯が食べれた。仕事が上手くいった。誰々に会えた。
○○さんからほめてもらった。雨が降らなくて良かった・・・」
等など、なんでもいいから書きとめる。

なるほど、「美智子妃殿下」なら、不平不満は口にされない
だろうし、己を滅して、ひたすら役割に徹し、言葉は、相手を
傷つけないように慎重に選び、立ち居振る舞いは 気高く、
品良く、そして笑顔を絶やさず。

自分も美智子妃殿下になったつもりになればいいのだァ。

同じような「成功指南書」は多いが、同じことを「プリンセス」と
イメージすることで、実行実践力も違ってくる。その発想が上手い。




魔法のおまじない は「感謝」

2017-10-10 22:11:51 | 虚無僧日記

今日一日を振り返って、感謝の種を見つけてみよう。

・朝3時、目覚まし時計が鳴る前に目が覚めた。
 (今日も生かされていることに感謝)。
・4時に家を出、朝起会場まで歩いて行けた。
・(「みそぎ」に間に合った)。
・6時半、ラジオ体操に間に合った。

・喫茶「てる」でモーニング。
・饅頭、カステラ、煎餅などを貰った。

・今日は「尺八の仕事」は無いので、部屋を片付ける
 ことができた。
・天気予報では、「午後から大雨」だったが、パラついた
 程度で、全く濡れなかった。

・車が故障して困っていた人に 手助けすることができた。
・自分は、事故に遭わなかったことにも感謝。

・今日も夜9時には就寝できた。

こうして書き出してみると、日頃“当たり前”になっていて、
感謝の心を忘れていたことに気づき、改めて“感謝”することが
できた。

“感謝の心を忘れない”ことが、「魔法のおまじない」だそうだ。


尺八で病気も治る、治せる

2017-10-10 22:07:16 | 虚無僧日記

堀井小二朗氏の「随筆集」を読んでいたら、「尺八で
病気を治す法」というのがあった。

詩吟の伴奏などで、一日 尺八を吹いていれば、風邪
ぐらい治る。「頭痛がする」という人に、低音のA
(ラ)の音をベースに、静かに尺八を吹いてあげると、
「頭痛が治った」と。


瀬戸内寂聴は、「比叡山の千日回峰を成し遂げた人や
山伏などが、予知能力や病気を治す法力を得ると、
民間信仰で信じられてきたが、自分もそのような
体験を目の当たりにしている」と云っている。

戦後、そのような因習は“非科学的”と排斥されてきたが、
最近は、なんとなく“あるかもしれない”と 云われる
ようになってきた。

ならば ならば、「虚無僧」は「歩く修行」と「尺八」で
α波を出し、病気を治すなどの「超能力」が身に付け
られるかもしれない。なんて思えてきた。

今日も3人の人に「手当て」を施した。「膝が痛くて
正座できない」という人が、「我慢できないほどの
痛さではなくなり、正座できるようになった」と。

昨日、詩吟の伴奏で 一日 尺八を吹いていたので、
「気功」のパワーが増してきたようだ。

 

 


戦前は虚無僧は違法だった

2017-10-10 04:55:08 | 虚無僧って?

明治政府は、普化宗を廃宗とし、尺八を吹いて門付けすることも
禁止した。虚無僧は法律で禁止されていたのである。
“最後の虚無僧”と云われた「谷狂竹」は、愛知県の新城市で警
察に捕まり、留置場に入れられている。「乞食をした」という理由
で、天蓋、偈箱、尺八を取り上げられたうえ、4、5発殴られて
留置場にぶちこまれている。

裁判での、谷狂竹の弁明は
「虚無僧の門付けは、一に修行で、修行僧は自ら食物を求めること
はできないので、在家の喜捨に待たねばなりません。
二に尺八の吹簫行化(すいしょう、ぎょうげ)は、仏の教えに従って
功徳を衆生に施すもので、尺八の音に感じて功徳を得、道心を起こす
人が現われ、ご好意で喜捨いただくもので、こちらから無心(無理に
要求)するものではありません」

この弁明に対する検事の意見は、
「なるほど、精神的には乞食ではないが、客観的には乞食と異なる
所はない。例えば、近頃は何なに術とか、何なに療法などと言って
医師法違反をする者がいるが、病を治してやろうという精神は悪く
ないにしても、違反は違反である。従って、被告は、名を虚無僧に
かりても乞食は乞食である」

そして判決は「拘留4日」であった。

もっとも時代は戦争に向かう暗雲たれこめた世であり、自由きまま
な移動は制限され、不審者の取締まりが強化されつあった時のこと
である。川瀬竹友も虚無僧で鹿児島に行った時、「かむり物で顔を
隠すことはまかりならん」と警察官に咎められている。

虚無僧が晴れて、天下を往来できるのは昭和30年代、普化正宗として
宗教法人登記がされてからである。「昔よくみましたよ」と云われる
のは、昭和30年代のことだ。そして今昭和30年代がちょっとしたブーム
になりつつある。今こそ虚無僧の再生、復活の時だ。