現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

薦を着て 誰人います 花のはる 芭蕉

2017-10-16 21:46:38 | 虚無僧日記

俳句のサイトで 見つけました。コピーさせてもらいます。

薦を着て 誰人います 花のはる

          芭 蕉(其袋・新春・元禄三)」

芭蕉の句でしょうか。この解説文です。

「初春の日、薦(こも)を着て 乞食姿 (こつじきすがた) の 僧が いらっしゃる。

 どなたなのであろう、あの 徳の高い方は」の意。

「薦(こも)」は「莚(むしろ)」のことで、莚をかぶっている僧は 乞食僧ということになる。

芭蕉は、「なほ 放下 (ほうか) して 栖 (すみか) を 去り、腰に たゞ百銭を たくはへて、

柱杖一鉢 (ちゅうじょう いっぱつ) に 命を結ぶ。なし得たり風情 終 (つひ) に

菰 (こも)を かぶらんとは」 (栖去之弁) といい、万物放下の乞食の境涯を求めた。
 

「乞食の中にも 立派な世捨人がいるものだ」という感慨を、西行の『撰集抄』に見える

「乞食僧」を思いかえす形で、真に風雅の誠を追求する人物へ呼びかけた句である。

 

はてさて、元禄の頃の 虚無僧は 天蓋は被っていなかった。

当時の『洛中洛外図』によると、「薦」を背負っているのは「薦僧」と

「巡礼」。諸国回遊する姿。その場に滞留している「乞食」は

薦を持っていない。

というので、「薦を着て」は、「虚無僧」のことと私は思うが、いかに。

  三十二番職人歌合 二十二番

この「薦」の歌

花さかり 吹くともたれか いとぶべき

            かぜにはあらぬこもが尺八、

 

芭蕉の句は これに関連しているように

思われる。


宮城道雄の記憶

2017-10-16 21:31:56 | 虚無僧日記

あれは私が何歳の時だったのだろう。たしか歌舞伎座だと思うが、
母親に連れられて歌舞伎を見に行った。暗い場面だった。上手の
四分の一ほどに黒い幕が下ろされ、そこに薄明かりに照らされて
琴を弾く男性の姿が浮かびあがった。母は私にそっと「宮城道雄よ」
と耳うちした。

幼い記憶では、大きな「平家蟹」が縁の下から這い出てくる場面を
覚えている。「宮城道雄」の作品年譜によると「昭和29(1954) 年
『平家蟹の舞台音楽』作曲」とある。では歌舞伎座での上演は、この
年昭和29年か、せめて翌年の昭和30年だったのだろうか。私はまだ
6歳か7歳、小学1年だった。宮城道雄のことは、強烈な印象で鮮明に
記憶している。私は、宮城道雄の演奏を生で見聞きした最後の世代
ではないだろうか。

翌昭和31年6月25日、刈谷駅東にて、列車からの転落事故で帰らぬ
人となった。翌朝、新聞各紙が一面トップで大々的に取り上げ、
母も「大変大変」と騒いでいた。演奏を見聞きした記憶もまだ新し
かったから、日本中が大騒ぎしていたことも記憶している。

それから40年後、宮城道雄が亡くなった刈谷市の豊田病院を
訪れた際、タクシーに乗って、「宮城道雄の遭難現場に立ち
寄って欲しい」と頼んだが、その運転手は「宮城道雄?知らない、
わからない」と言う。空しくあきらめたことがあった。

それから さらに10年、先日漸く「供養塔」のある公園に行ってきた。
事故の原因については、私なりに思うことがある。真実を知る宮城
喜代子も、すべてを胸の内にしまって逝かれたか。

その後の宮城会はいったいどうなってしまったのか。


佐川急便さん

2017-10-16 21:27:17 | 虚無僧日記

佐川急便には格別の思いいれがある。
昭和50年頃、私の尺八仲間が 佐川に勤め、5年で家を建て、
会社を辞めた。「5年以上は勤まらない。体を壊す」と
言っていた。当時、20代で「月給50万、5年で家が建つ」と
聞いてびっくりした。しかしそれに値するだけの猛烈、
壮烈な働きだった。

私は、保険会社の広報部で社内報ビデオを担当していた時、
佐川急便の「社内報ビデオ」を見せてもらったことがある。

見せる対象は、社員ではなく、その家族。毎週各自が、その
ビデオを家に持って帰り、家族に見せる。一家の主人である
自分の夫が、父親がいかに会社で一生懸命働いているか、
家族の理解を得るためのものなのだ。

とにかくすごい。テーマは「他社よりも、引き取り時間は
遅く、配達は早く、料金は安く」。配達のかたわら企業に
飛び込んで、「どこの業者を使っているか。集荷は夕方6時
なら、当社は7時でいいです」。そして、「他社が翌日10時なら
9時に届けます。料金は、他社が1,500円なら、うちは1,300円で」
と、仕事をとってくる。新規取引先企業の獲得もノルマなのだ。

そして、その品物が、翌日9時までに高松まで届けられるまでの
ドキュメント。荷物を積んだトラックが、深夜東京を発って、
ひたすら東名、名神を走り、夜明けとともに四国大橋を渡る。
日の出に輝く橋を渡るシーンでは、思わず見る人から拍手が
起きる。約束の時間ギリギリに品物が到着した時には、「走れ
メロス」ばりの感動で、目頭が熱くなった。そのような映像が
毎週毎週作られる。佐川急便の社内報ビデオは、「社内ビデオ」
コンクールで大賞に輝いた。

佐川急便の猛烈な働きぶりを、私はビデオで鮮明に記憶した。
ところが、マスコミで叩かれてからの佐川はなんか、元気が
ない。「追いつけ、追い越せ」のライバル、くろねこ大和に
水を開けられているようだ。

我が家から車で北に2分、南に2分の二箇所に、くろねこの
営業所がある。留守をする時は「営業所留め」にして、
都合の良い時間に引き取りにいくのにも便利だ。

佐川急便は、時間指定もできず、いつも留守中に来る。くろねこ
なら、伝票にドライバーの携帯番号が書かれているので、すぐ
連絡をとって、夜9時までなら届けてくれる。佐川は、港区の
方から来るし、全く連絡がとれない。こちらも留守がちなので
時間指定ができない。

ヤフオクで300円で落とした筝の送料が、くろねこが700円のところ                                    佐川は8,820円!。
かつての「どこよりも早く、安く」の佐川はどうしちまったん
だろう。



ネットで間違い探し

2017-10-16 19:43:43 | 虚無僧って?

「虚無僧」で検索してみると、いろいろ間違った
記述が多い。それだけ知られていないのだ。

1.コスプレ大会の画像で「虚無僧」とあったので
 見てみた。丸笠の托鉢僧だ。またか、である。
 天蓋と尺八を持つのが「虚無僧」なのだ。
 中日新聞夕刊に連載の『遊女のあと』の挿絵も
 虚無僧は、天蓋はかぶっているが、下は普通の
 托鉢僧で錫杖を持ち、尺八は手にしていない。

2.「知らなくてもいいこと」というサイトには、
 「虚無僧が下げている箱に『明暗』と書いてあるが、
 あれは仏教とは関係ない。京都の明暗寺の会員で
 あることを示すものだ」とあった。
 うーん、半分当たっているような、当たってない
 ような。一応、虚無僧が祖師と仰ぐ普化禅師の偈
 『明頭来明頭打 暗頭来暗頭打』のを意味している
 から仏教に関係無くはない。もっとも「明暗」と
 書かれた偈箱を下げるのは、昭和のことなのだ。

3.「虚無僧は幕府の隠密だった」という記述は多い。
 その事実は無い。

4.法燈国師覚心を「東福寺の僧」という記述も。                                              現在、明暗寺は東福寺内にあるが、それは明治以降のこと。

詳しくは「邦楽ジャーナル」に連載中です。見てね


インターネット占い

2017-10-16 08:30:47 | 虚無僧日記

インターネットでの占い
私の前世は「色と銭と飯のことで頭一杯の人間」だったらしい。
今は「遊、遊、遊」なるほど、当たっているかもしれない。

この他、いろんなサイトがあって、見てみた。

「戦国武将で誰に近いか」は「石田三成」だった。「知力高く、有名
大学に入って一流企業へ、しかし、長に立つ器なし」ドキ!当たってる。

適職は、なんと「管楽器」ピッタシかんかん。虚無僧尺八の一路でござる。

「死亡推定年齢」というものまであった。
何歳で死ぬか。まず「性格悲観的」でクリックしたら76歳。あと7年か。
「性格普通」で再クリックしてみたら80歳。「楽天的」では86歳と出た。

なるほど、なるほど、“明るく楽天的に生きなきゃ”である。一休さんを
見習おう。一休さんは88歳まで長生きした。77歳で森女に恋いし、
81歳で大徳寺の住持になり、現在の価格で20億円もの浄財を集めて、
大徳寺を再建したのだ。頑張ろう!!


正座へのこだわり

2017-10-16 08:24:07 | 虚無僧日記

「ニューヨークで琴を教えているアメリカ人女性が来日し                                     『残月』を弾く」というので、聞きに行った。

驚いた。金屏風に緋毛氈の舞台で、ハイヒールを
履いたまま正座しているのだ。すごくつらそう。

外国では「人前で靴を脱ぐのは娼婦」という習わしが
あるらしい。靴を履いたままベッドインというシーンも
よくある。それくらい、靴を脱ぐことには抵抗がある
ようだ。

尺八を吹く外国人女性も増えた。CDも出ている。
そのジャケット。ロングドレスだが、片膝立て
だったり胡坐をかいている。でもなかなか美しい
シルエットだ。

そうなのだ。正座は日本でも江戸時代からの文化で
しかない。古代は、尺八は胡坐をかいたり、片膝を
立てて演奏するものだったのだ。韓国は今でもそう。

なにも正座しなければ吹けないというものではない
のだが、やはり正座にこだわる私である。

ところが、昨年の引っ越しで膝を痛め、正座もままならない。

今毎朝「朝起き会」に通って、一時間正座の特訓中。


怖くない「カイダン話」

2017-10-16 08:18:43 | 虚無僧日記

これから冬に向けての定番曲は「津軽半島冬景色」。

数年前、青森県、津軽半島の突端、竜飛岬に行った時のこと。
12月初めでまだ、あたりは枯れ草色。ところが、
竜飛岬に近づくにつれ、空はどんより雪雲に覆われ、
初雪が舞いはじめた。するとあれよ あれよ と一面
真っ白の雪景色になった。

竜飛岬にたどり着くと、そこには、石川さゆりの
『津軽海峡冬景色』の大きな石碑。前に赤いボタンが
あって、押すと、ドドドドーンと前奏が流れる。
『上野発の~』のはずが、いきなり二番『ごらんあれが
竜飛岬、北のはずれと~』から。

風が強く吹き、雪が舞う中、合わせて尺八を吹く。

さて、吹き終えて、国道339号をさらに進もうと
したら、車の通行不可。地図には載っているのにだ。
なんとそこは、日本で唯一「かいだん国道」と呼ばれて
いるところ。階段になっていて、車の通行はできないのだ。

「怖くないカイダン(階段)話」でした。

もひとつ、行ってみてわかったこと。

青函連絡船の航路からは「竜飛岬」は見えない。
怖いですね、思い込みって