現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

歌は思い出とともに

2017-10-11 15:03:24 | 虚無僧日記

歌の番組などで、「その歌にまつわる思い出を添えて
リクエストしてください」などと よく言っている。

歌は、“思い出”と共にあるようだ。先日ある婦人会で
『りんごの歌』を尺八で伴奏し、みんなで歌ってもらった。

そのあとで、ある方が「私の結婚式で、父が この
『りんごの歌』を歌ってくれたんです。『遠い 北の
国から』のところは『南の国から』と変えて、
そして『〇〇子かわいや、かわいや〇〇子』と歌って
くれたのを思い出して、涙が出ました」と。
長崎県の五島から名古屋に嫁いで、ウン十年、今は
亡き父親の愛情に涙こぼれたのだ。

ある方は、『花嫁人形』に涙を流された。「私はね、
お琴が好きだったの。嫁入り道具にお琴を持って
きたらね、姑さんが「うちは商売で忙しいんだから、
お琴なんか弾かせません」と、そのお琴は
ほかられてしまったの」と、最後は涙声。

歌には、哀しい思い出もあるのだ。「童謡・唱歌なんて
幼稚っぽいか」と思っていたが、歌詞カードがなくても、
みんな声出して歌ってくれる。過去を共有できる“力”が
ある。


「音が苦(おんがく)」だった私

2017-10-11 15:03:02 | 虚無僧日記

幼少の頃はテレビもテープレコーダーも無かった。歌といえば
ラジオで流れるだけ。歌謡曲をラジオで聞くことなんか、
私の家ではなかった。「美空ひばり」でさえも、
子供には聞かせられない曲とされていたのだ。

音楽といえば、レコードで聞く「クラシック」か、
小鳩くるみ や松島トモ子の童謡、唱歌だった。

幼稚園では、歌は必ず手拍子を打って歌わされた。

小学校にあがって、音楽の時間、歌を歌う時に、私は
手拍子を打った。手拍子を打つものだと思っていたから。
すると、先生が「誰ですか!やめなさい!」と。
あの時のおっかない先生の顔を今でも覚えている。

それがトラウマで、歌は全く歌えなくなった。
友達から「死んだはずだよ お富さん」なんて歌を
覚えて、家で歌うと「やめなさい!」と母に叱られた。
「そーらん節」や「黒田節」等の民謡も歌ってはダメだった。

小学校4年の時、クラス全員で、NHKラジオに出演する
こととなった。すると、本番直前で、先生が「牧原、
おまえは歌うな!」と、みんなの前で叱られた。

その時、自分が音痴だと初めて気づいた。母は、音痴を
心配して、ピアノを習わせた。
でも全く弾けない。ピアノの先生からは怒られてばかりで
ますます、音楽が「音が苦」になってしまったのだ。

その“音楽コンプレックス“から尺八を始めることとなった。

そして今 私は「尺八音楽」で 食べている。



尺八上達法

2017-10-11 15:02:37 | 虚無僧日記

わが師「堀井小二朗」の『尺八試論』と随筆集『私の言い分』を読み返して
みた。もう4~50年も前のものだが、今読んでも通じる話が多い。



尺八を志すには、二つの才能が必要。勿論第一は「音楽的才能」。
第二は「練習の才能」。

「音感が悪い、リズム音痴」では音大は受からない。その音大に
受からない“落第生”が、尺八を習いにくる。音痴を治す医者は
居ない。医者も治せないのを、あの手この手、治してあげるのが
師匠の役目。

それには「練習の才能」だが、これまた「習い下手」「練習下手」が
多い。「大事なことを聞いていない、聞こうとしない」。要は
気持ちの問題。音楽は「人間形成」に大きく役立つもの。耳を
傾ける集中力が大事。

練習は「三千回練習」の気構え。長い曲でも、難しい手、吹け
ないところは 数秒のフレーズだ。その できないフレーズだけを
100回吹いても せいぜい10分で済む。毎日10分、10日で1,000回。
1ヶ月で 3,000回。

つまり、だれでも「三千回練習」すればプロになれる。
ネプチユーン・海山氏も、「ひとつのフレーズを500回ずつ
練習した。才能より、99% 努力」と。