現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

泣かせる方が楽?

2017-10-14 19:26:02 | 虚無僧日記

先日のテレビ局ディレクターの問。「虚無僧は何のため?」に応えるべく

今の活動は「笑いあり涙ありの尺八漫談」。

「虚無僧が来る店は混むそうです」
「虚無僧怖そう」「北風吹いて虚無僧寒そう」
「虚無僧は僧であって僧でない」
「昼付けても今朝(袈裟)つけた」
などなどお寒いジョークを飛ばしている私だが、
年とるとギャグを言いたくなるらしい。「おやじ
ギャグ」と云われるように、ギャグを言うのは
年とった証拠だとか。

「人を怒らせたり泣かせるのは簡単。人に笑われる
ことも簡単。だけど、“笑っていただく”ことは
本当に難しい」とは、三遊亭歌る多さん。女性初の
真打だそうだ。
今落語が人気を盛り返しているらしい。人は笑いを
求めている。

「中年禿げやすく、髪生えがたし、一本の髪も軽んず
べからず」これはラジオで聞いたネタ。
(少年老い易く、学成り難し。一寸の光陰軽んずべからず)


執着する人の顔は醜い

2017-10-14 18:43:24 | 虚無僧日記

朝晩急に涼しくなった。冬が来る。

半年前、夏に向かって“冬物”はすべて捨てた。

セーターもコートも 厚手の下着も布団も。

禅の言葉で「放下著(ほうげちゃく)」。下着を捨てるではありません。

執着を捨てること。仏も経典も、悟ろうとする心も解き放つ。

自分までも捨て去る。もう来冬には、私の存在は無いと思っていた。

ところがどっこい、まだ生きている。困った。

そしたら、布団や毛布、冬服などなど次々と 提供して

くださる方がいて、部屋はもう満杯。

捨てれば、また入ってくる。

 

「執着のある人の顔は醜い。執着を捨てた人の顔は

晴れやかで、美しい」

「老醜」とは執着心に凝り固まった顔のこと。

執着心を捨てた顔をしていれば、いろいろなもの、人も

また寄ってくる。そんなものでございます。

 

 

西郷隆盛は「金もいらぬ、命もいらぬ、名誉もいらぬという人物が、

一番扱いにくい」といっています。自分までも捨て去った人は、

こわいもの知らずだというのでしょうか。



 

 


名誉、財産、知識、立場、主義等を捨てよというのではなく、持っている自分自身を捨て切れと教えています。
  何かと自己顕示欲の旺盛な昨今、「放下著」の語に参ずるのも必要なことです。

 物もたぬ たもとは軽し 夕涼み