毎夜、寒風の中、尺八を吹いていて、「もりたなるお」著
『虚無僧秘帖』」の最後「冬山氷人」の話を思い浮かべる。
虚無僧は、艱難困苦を柳に風と受け流す自然体。
氷人の吹く尺八の音は、朝霧夕霧に似て、静かに流れ
捕らえどころがない。今そこで消えたかと思うと、すぐに
天上で鳴り、一転して地中深く滲み込む。幽玄でも夢幻でも
なく、透明な音色は、氷人の飄然たる姿とともに、天然自然の
雰囲気を醸し出すのである。
虚無僧の門付けを迎える人は、天蓋で面を隠してはいても、
精神のいい虚無僧と、世俗の垢が染みついた虚無僧とを感じ
分けるところがある。言わず語らずとも純粋無垢は人の心に
伝わる。
結果として、報謝は他より多かったが、氷人は、報謝の多寡も
意中になかった。
虚無僧寺では、ならず者の虚無僧が酒と女におぼれている中、
肩肘張って清廉を貫くわけではなく、他と不協和音を起こす
わけではない。これぞ、変幻自在、臨機応変、自然体の普化禅の
妙諦である。
と、「もりたなるお」は、虚無僧のあるべき姿を見事に活写
してくれている。これぞ、私のめざすところだ。
「冬山氷人」は創作話だが、「伊奈村」の出身となっている。
伊奈の山中で、 氷を割って水行をしていた「竹坐」師を思い
浮かべずにはいられない。