現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

自分の世界を確立すべきか

2019-01-13 22:09:40 | 虚無僧日記

岡倉天心の言葉、「売れそうなモノを作ろうとするから売れない。

売れないものを作りなさい。そうすれば、必ず売れます」。

モーツアルトの映画でも「お客にこびる作品は作るな、自分が作りたい作品を作れ」と。

さてはて、私も尺八人生の終着駅に向かって、今そのような気分になりつつある。

今までは、聞き手の心にはいることを心掛けて、イージーリスリングの曲に甘んじてきたが、

聞き手の求める曲ではなく、本当に自分が吹きたい曲だけを吹きたい。

「本物の尺八はこれだ」「これが一路の世界だ」というような演奏を目指したい。

それが、聞き手に受け入れられれば最高。それを受け入れてもらえないお客は

もういい。縁を切っても良いかなと、思い悩む。

 


「売れるもの」を創ろうとするな

2019-01-13 21:55:29 | 虚無僧日記

平櫛 田中(ひらくしでんちゅう)。明治5(1872)- 昭和54(1979)年
高村光雲、荻原碌山、朝倉文夫などと並び、日本を代表する
彫刻家。代表作は国立劇場にある「鏡獅子」。

昭和37(1962)年、文化勲章を授章され、皇居での伝達式の日、
天皇陛下から「あなたが一番苦心されたことは、どんなことですか」と、
尋ねられ、田中は「それは、おまんまを食べることでした」と
答えたとか。

明治の初め、仏教が下火になり、仏像彫刻で暮らしをたてることは
大変だった。

どのようなモノを作れば売れるのか、悩んでいる時、岡倉天心の言葉、
「売れそうなモノを作ろうとするから、売れない。売れないものを
作りなさい。そうすれば、必ず売れます」を耳にする。

その言葉を聞いて、田中は「ただ一心に、自分が作りたいものを作る」
ことに専念した。

六代目「尾上菊五郎」をモデルにした「鏡獅子」は20年の歳月を
かけて完成させた。その時には、もう、菊五郎は故人となっていた。

この「鏡獅子」の像は、国立劇場が2億円で買いたいと言ってきたが、
平櫛田中は「これは尾上菊五郎と二人で作り上げたもの。私だけが
金を受け取るわけにはいかない」と、寄贈してしまった。

100歳の時、あと30年分の彫刻用木材を購入して話題になった。

千代田生命の上智の研修センターは、元「福沢桃介」と「お房」さんの
邸宅があった所。恵比寿駅の東、小高い丘は「福沢山」と呼ばれていた。
邸内には、舞台を備えた演芸場があり、そのロビーに置かれていた
「裸婦像」が 「平櫛田中(でんちゅう)」の作品だった。
戦後、桃介の息子たちが困窮し、慶応と縁の深い千代田生命が
450坪の土地を1万5千円で購入。当面は社員寮として使われていた。

千代田生命が経営破綻して、動産はすべて処分された。                                      あの田中の作品はどうなったのだろう。お宝鑑定団で、田中の小さな                                作品が1300万円の値がついていた。