「綾小路きみまろ」のパクリ。
浅草は雷おこし、大阪は粟おこし、名古屋は
掘り起こし。私は「道路工事あやまろ」。
体は袋小路。頭はハゲカミ(禿げ髪)王子。
後ろ髪だけ伸び放題。
「髪切れんのか!?」「はい噛み切れんのです」
電気はつけっぱなし、ドアは開けっ放し、鍵は
付けっぱなし。カツラも着けっぱなし。
釧路は湿原 私は失言 マリモは阿寒湖 リニモは
アカン。
虚無僧こけたら、天と地が、お、しゃかさまだ
早くトイレに行っといれ、
虚無僧が寺の東司(トイレ)に飛び込んで用をたしたが、
紙がない。「たれぞ、紙はあるか」「ここは寺だから、
かみ(神)はいない」「いや神じゃない 紙だ」
「なんまいだ? なんまいだ?」「お し(四)まいだ」
文珍の落語から
「あんた働いてますの?」
「あかん、うちはブラック企業や」
「色があるだけいいですな。うちは無色(職)や」
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先日あるテレビ局に行った時のこと。一階ロビーで、
就活の学生が面談していた。仕事の内容よりも、
「定時に帰れますか? 残業はありますか。残業代は
きちんと支払われますか? 土日は休めますか。
有給休暇はきちんととれますか」と
それぱかり聞いている。
私としては、あきれた。テレビ局の仕事で残業がないわけは
ない。そのくらいわかるだろう。
社員の方は「突発的な事件が起きた時は、夜でも取材に
行ってもらうことはあるけど、そんなことそうあることではない」
などと、丁寧に受け答えしていた。
こんな学生は、絶対就職できないだろうと 私は思うのだが、
今は時代が違うらしい。「働き方の改革」とか。
電通の若い女性が自殺したことで、各企業が労働環境の改善を
求められている。学生の方は、志望する企業が、労働環境の
改善にどれだけ取り組んでいるかを、堂々と問える時代になった
のだそうだ。
これは中日新聞に掲載されたパリ駐在員からの特派員便り。
フランス人が作ったジョークです。それに私が手を加えました。
ある日、キリストとお釈迦さまが お忍びで日本に来られた。
観光客に扮して、日本料理店にはいられた時のことです。
お釈迦さまが お品書きを眺めていると、中居さんやってきて
「さかさまです」と。お釈迦さまは、「なんで私がお釈迦さまと
わかったのだろう」と首をすくめた。その後の中居さんの
親切なおもてなしに、キリストが尋ねた。「なんでそんなに
親切にしてくれるのか」と。すると中居さんは答えた。
「お客様は神様ですから」。キリストはびっくり。
「なんで私が神様とわかったんだろう?」
そこへお店の女将(おかみ)さんが挨拶にや ってきた。
「私がここの女将(おかみ)です」と。キリストはまたまた
びっくり仰天。「おかみ(神)?? オォ マイ ゴッド!」
日本人は、神も仏もキリストもみな素直に受け入れているのです。
大日如来は天地創造の神。あらゆる諸仏に変化する。釈迦も
阿弥陀も薬師も、天照大神も諸々の神もみな大日如来の化身と
解釈されるようになった。
ということは、大日如来は天地創造の神、God であり ゼウスで
あり、アラーなのだ。
「あらぁ~」
加山雄三の話を聞く。
「典型的な慶応ボーイ。若大将」として人気絶頂の33歳の時、
母親の小桜葉子が亡くなり、茅ヶ崎のホテル・パシフィックが
倒産した。
「舞台では笑顔をふりまいて、舞台裏では債権者に土下座
して謝る、辛かった。そんなときに結婚。(妻は松本めぐみ)。
マスコミは「こんな時に何考えてるのか」と「加山雄三結婚
事件!」と報道。仕事も無くなり、人も皆、サァーと離れて
いった」と。
よく奥さんが、支えてくれたものだ。「子供の育児も
二人で分担。3時間ごとのミルクは、交代で やれば
6時間ずつ眠れる」と。
加山雄三は『理想の父親』ナンバー1 になったことも。
「朝は5時半に起きて、奥さんと朝ごはんの支度。子供4人、
小学校卒業までは、毎朝、全員そろって食事をした」
とのこと。
借金は10年で完済した。それまでの努力、苦労話がすごい。
「人生、誰にも辛い時、大変な時はある。おばあさんが
言っていた『享楽は失うものが多く、苦しみからは得る
ものが多い』」とか。「99 % 苦しくとも1% の喜びが、
辛い苦しみを払拭してくれるのだ』等など、一言一言、
勇気を与えてくれるいい話だった。
加山雄三が「ボクは歌はアマチュアだと思っている。それは
ある先輩から、『歌のプロになったら、歌うのがつまらなくなる。
アマチュアで、心から楽しんで歌うことで、聞く人も喜んでくれる』
と教わったから」と。
その意味で考えれば、アマチュアの尺八は、「本当に尺八が
好きで好きでたまらない」という姿が見えてくる。『竹籟五章』や
『片足鳥居』など、こんな難しい曲でも兆戦して吹けるようになった
という喜びが伝わってくる。私がプロとして吹くとなると“辛さ”が顔に出る。
加山雄三は、もうひとつ「“上手ですね”と言われるうちはダメ」
とも。
「“上手ですね”というのと“いいですね”とは違う。ピカソの
若い頃の作品は、実に写実的に描写している。それを見た妻が
“ピカソって絵が上手かったのね”と言った。それを聞いて思った。
“上手に描けている” というのと “いい絵ですね”は 違うのだ」と。
それに当てはめて考えれば、楽譜通りに正確に演奏しても、
それは“上手”な演奏であって“いい演奏”とは評価されない。
“いい演奏”とは、上手に吹くのとは 別の次元なのかも。