文官でただ一人A級戦犯として処刑された広田弘毅。名門の出でなかったが外相、首相まで登りつめた。死刑判決の理由は、首相でありながら軍部の暴走を止められなかったという不作為の罪。東京裁判の判事、検事の何人かは、死刑判決に驚いたという。城山三郎の『落日燃ゆ』では、悲劇の宰相として同情的に描かれている。
その『落日燃ゆ』で、A級戦犯たちが絞首刑になる直前、「天皇陛下万歳!」を唱えたのに対し、広田弘毅は、教誨師に「今、まんざい(漫才)をしてましたね」と茶化し、自分の番になった時、ただ一人万歳三唱をしなかったと書かれている。“万歳”を“漫才”と茶化して、万歳をしなかったのは、広田の精一杯の軍人に対する当てつけだったと。
そのストーリーには誰しも感動を覚えたことだろう。
だが、これは、城山三郎のフィクションだと指摘する声があった。城山三郎が参考にした資料の『教誨師の日記』では、広田弘毅も一緒に「万歳三唱」をしたと思える記述になっているという。
これでは、城山三郎の『落日燃ゆ』が今ひとつ、真実味を失う。
そこで私なりに考えてみた。広田弘毅の述懐の言葉、「天皇の忠実な僕(しもべ)であれば良かったのです」という記述に照らせば、理解できる。広田弘毅は「天皇の平和を願う気持に忠実に従えばよかった」ということで、最後に「天皇陛下万歳」を叫んだのだ。他の軍人は、「天皇のために、国体護持のために戦って悔いなし」の自負から「天皇陛下万歳」を唱えたのであろうが、広田弘毅の万歳は、「平和を望まれた天皇陛下に万歳」だったのだ。
尚、広田弘毅も他の戦犯とともに靖国神社に祀られている。軍人でもなく戦死者でもないのに祀られているのは広田弘毅ただ一人。遺族は靖国神社に祀られていることに反対を表明している。