伝説のプロレスラー・アントニオ猪木 77歳、喜寿を迎えて、
元気ですかー!!
元気があれば何でも出来る。
アントニオ猪木です。
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アントニオ猪木「最後の闘魂」
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「アントニオ猪木」。横浜生まれで 12歳の時、一家でブラジルに移民した。力道山がブラジルに興行に行き、「猪木」を見出して、連れて帰り「日系二世のブラジル人」という触れ込みで売り出した。横浜の時の同級生が写真を見て、訪ねてきたが「知らない」と押し通したそうな。
その「猪木」、力道山からは、なにかにつけ「ブラジル野郎!ブラジルに帰れ」とののしられ、殴られ、虐待されていた。それでも現在 猪木は「今あるのは力道山のおかげ」と感謝しているという。今は、「褒め育て」、世の中 甘くなった。力道山から 褒められたことなんかなかった。叱られ怒鳴られ、そして強くなったと語っている。
“いじめが”どうのこうのと ゴタゴタ言ってる 連中に聞いてもらいたい話。
ところで、アントニオ猪木は、一休宗純の言葉として
「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ
危ぶめば道はなし 踏み出せばその一足が道となり
その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ」
という詩を“座右の銘”にして、試合前にリングで朗読したり、講演でも話している。喜寿の祝パーティでも最後に歌っていた。
ところが、「一休」研究50年の私としては疑問を呈せざるを得ないで。一休の史料の中には、この詩は見当たりません。一休の言葉としてもおかしい。全くのデタラメです。
ネットを検索して、「清沢哲夫氏の詩の改変」とのリークがありました。
なぜ「一休の作」と公言しているのかが 謎です。
ま、力道山の試合も、興行として面白くするために、事前に勝ち負けのシナリオが取り交わされていたとか、 すべては虚構の世界。