現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

オウム真理教 林郁夫君 

2020-03-21 08:46:20 | 社会問題

1995年3月20日のオウム真理教による地下鉄サリン事件から25年。

6000人余りが重軽傷を負った。

つい先日、後遺症で寝たきりとなっていた浅川幸子さん(56)が亡くなられたとのニュース。地下鉄サリン事件での死者は14人となった。 

 

25年前のあの日、私47歳。中目黒にあった千代田生命の本社広報部に勤務していて、毎日埼玉県越谷市の社宅から地下鉄日比谷線で通勤していた。

毎朝6時に家を出、8時前には出勤していたから、私は難を逃れた。

広報部でテレビにスイッチを入れると、「地下鉄日比谷線がストップしている」とのニュース。千代田生命の社員も多く乗っていた。未だに後遺症で苦しんでいる仲間がいる。


この事件によって、オウム真理教の一連の犯行が明るみになり、逮捕者が次々に出た。その中の一人、「林郁夫」逮捕のニュースに関連して「慶応中等部」の写真がテレビ画面に出、驚いた。ベランダに全生徒が並んで撮った卒業アルバムの写真で、その中に私も居たからである。顔は ぼかされていたが、見覚えのある写真だった。

「林郁夫」は慶応中等部で私の1年先輩。美術部で一緒であり、写生旅行などを共にしたことがあった。結婚した相手が、これまた1年下の○○さん。ニュースでもさんざん報道されたが、有名な俳優の姪。「慶応のOB名簿」を見ると、夫婦共に、就職先が「オウム真理教内病院」となっていた。

「林郁夫」先輩は、優しい、生真面目な人だった。成績優秀で慶応医学部に進み、慶応病院に勤務していた。石原裕次郎の主治医でもあったとか。まじめ過ぎて、「病を治すのが医者の役目なのに、現実には多くの人が亡くなっていく。西洋医学では治せない病をなんとか、ヨガや超能力で治せないものか」と、彼なりに真剣に悩み、オウム真理教に救いを求めた。

「たいていの菌は53度で死ぬ」ということで、オウムの信者を53度のお湯に入らせたりしたこともあったようだ。

しかし、麻原教祖の言動に「何か変だ、おかしい」と思うことは何度かあったとも。その違和感を覚えたときにすぐに脱会していれば良かったのだが、それを問われて、「自分の選んだ道が間違っていたと認めることができなかった」と述べている。

サリンの製造という最も大きな役割を担っていながら、ただ一人「無期懲役」で死刑を免れた。「彼の自白が、事件の解明を助けた」という理由らしいが、自白で刑が軽減されることは、(今は改正されたが)当時の法制度ではありえなかった。慶応という学歴、親族が有名人ということでの特別扱いともとれる。

判決を下した山室恵裁判官は「法廷で号泣した姿を見て、悔心の情著しい」と判断したという。しかし、後日、法廷の職員から「騙されてませんか」と云われて、迷いも出たが「自分の下した判決が、間違っていたとは思いたくない」と
述懐している。(私の母方の姓が「山室」なので、贔屓にしたくなる)

一連の事件で2018年7月、元代表の松本智津夫元死刑囚=執行時(63)=ら13人の死刑が執行され、林郁夫君だけが今も収監されている。