現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

東京オリンピックいよいよ・・・

2020-03-23 21:58:36 | 社会問題

東京オリンピックもいよいよ開催が危ぶまれてきた。

1980年のモスクワ・オリンピックに出場する予定だった幻のオリンピック選手たちも、当時の心境などを問われて、マスコミに登場してきている。

1980年のモスクワオリンピックは、ソ連がアフガニスタンに侵攻したことで、抗議のボイコットとなった。日本国政府が決めたのではなく、JOCがアメリカに忖度して決めたことだった。アスリートの想いなど全く無視してである。


私の尺八の友であった森脇保彦君は、柔道の金メダル候補だったが、その夢が潰えた。試合の前には、「尺八を吹いて心を落ち着かせる」と語っていた彼。国士舘で柔道というと猛者をイメージするが、それとはほど遠く、寡黙温和でいつも目を細めて笑っていた。

200年前の1920年の夏季オリンピックはベルギーのアントワープで開催された。実は、1918年から1920年にかけてスペイン風邪が猛威を振るっていた。当時の世界人口の3割に当たる5億人が感染。そのうち2000万人~4500万人が死亡した。日本でも35~40万人が死亡した。それにもかかわらず、オリンピックは開催されたのである。

今、新型コロナウイルスの死者は世界でもわずか1万人ではないか!。などという私は不謹慎でしょうか。

 


「安寿と厨子王」の誕生地は「いわき市」か?

2020-03-23 19:27:27 | 虚無僧日記

2011年3月26日の投稿記事です

2011年3月11日の「東北大震災」、そして「福島原発」騒ぎで、福島県の太平洋側「浜通り地方」の都市の名が 連日紹介されている。

そのひとつ「いわき市」は、昭和41年、「常磐炭坑節」で有名な「常磐」と「小名浜」などが 合併してできた時、「日本一広い市」「ひらかな名の市」として注目を集めた。
同時に「常磐」も「岩城」「磐木」の漢字名は 忘れられた感がある。

その「いわき市」に「安寿と厨子王 誕生の地」という名所が、あるそうな。

「安寿と厨子王 碑 いわき市」の画像検索結果



「安寿と厨子王」の物語は、元々は 中世の「説教節」で丹後(現京都府)地方の伝説 『さんせい太夫』。

それを 森 鴎外が 小説『山椒太夫』にし、映画にもなって広まった。子供の頃、その映画を見た私は、「人買いにさらわれて、となる話」に、恐怖心を 煽られたものだ。当時は、「泣く子は 人さらいが来て、さらわれて行くよ」と、よく脅されたものだった。


森鴎外の『山椒太夫』では、二人が住んでいた所を「岩代国」としている。ところがどっこい「岩代国」という国は、明治2年になってできた国なのだ。
平安時代には無かった。平安時代は「陸奥国」一国。森鴎外の大ミスである。
江戸時代は「陸奥の国」と「出羽の国」だった。

そして、戊辰戦争直後の明治2年、陸奥国は「岩代国、磐城国、陸前国、陸中国」の4カ国に分けられた。しかし、それも わずか3年だけの ことだったのだ。

福島県の西半分が「岩代(いわしろ)国」、東が「岩城(いわき)の国」である。

さて、「安寿と厨子王」の原点である「説教節」の『さんせい太夫』では、二人の父を「岩城(いわき)判官」としている。この「岩城判官」という名から、「いわき市」が安寿と厨子王の生誕地と 名乗りをあげた。

しかし『説教節』では、「岩城判官」は「奥州50郡を治める平正氏」とし、伊達の郡(こおり)、信夫(しのぶ)の庄の住人」というのだから、「安寿と厨子王」の住居は、「現在の福島市」となる。福島県の中通り地方だ。そして、その近辺でも、あちこちに「伝説の地」の碑が建てられているそうな。

 福島市の信夫山にある「安寿と厨子王丸物語由来の地」の碑

そもそもは、この話は、まったく荒唐無稽な創り話なのだが。


ボランティア演奏は美徳?

2020-03-23 10:22:34 | 虚無僧日記

写真の説明はありません。

朝日新聞の記事

東日本大震災後、有名アーティストがボランティア演奏をして話題となり、我々のような一流でない演奏家は無報酬が当然とされるようになってしまった。この記事にある通り、尺八という特殊技術に対する対価は全くいただけない。そしてここにきて、新型コロナウィルス騒ぎで、今月は仕事ゼロ。収入ゼロ。

それで今日も虚無僧に。3時間吹いて、お二人様で11円。全くゼロという日はないのも不思議だが、虚無僧に布施する奇特な人は少なくなった。吹きながらいろいろ考える。なんで虚無僧やってるんだろう?考えてみた結論は。

1.今やらなければ、虚無僧という存在が全く忘れ去られてしまう。日本では古来、乞食も聖とみなし、布施することで徳積みをさせていただくという教えがあった。仏教でいう慈悲の心だが、それが消えてしまう。

2.尺八の練習のため。街頭は良い練習場所。いかに足を止めてもらえるか、心に響く演奏ができるか、真剣勝負である。その修行をさせていただいていると思えば、無償でもいいか。