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観世流シテ方の「梅若猶彦」師の夫人は外国人。
それもレバノンの内戦から逃れて日本に来た難民とのこと。
その名も「梅若マドレーヌ」さん。“おかしな” じゃない、“お菓子”の名前のようなステキな美人。
1958年ベイルート生まれ。姉が日本人の駐在銀行員と結婚していたため、17歳の時、姉を頼って日本へ。神戸のインターナショナルスクールに入学。その時、
同級生だったのが「梅若猶彦」。彼もまた、日本の伝統的な家柄に生まれながら、14歳で父を亡くし、母親の方針で、インターナショナルスクールに入れられた。
歌舞伎界で初めて慶応に入り大学まで出た「猿之助」と境遇が似ている。
でも高校では「梅若」氏とマドレーはヌさんは特別親しいわけではなかった。その後、イギリス、アメリカの大学、大学院に進み、再び来日して「大阪大学大学院」にはいってから「梅若」氏と再会。交際を始めて1983年に結婚。
能の世界で前代未聞の国際結婚。能楽師の妻として、最初は大変だったようだ。一部の能楽師とその婦人からとやかく言われることもあったが、夫は「うちの問題だから」と言って、とりあわなかったというからエライ。
それでもマドレーヌさんは、自発的に着物を着たり、しきたりを学んでいたが、次第に「自分が能楽師の妻としてできることは、着物を着たり、日本語を話す
ことではないのではないか」と考えるようになった。
そこで「能の魅力を世界に発信すること」と思い。在日大使館を通して外国人を招待する催しを始めた。
そしてローマ法王ヨハネ・パウロ2世の前で「創作能・イエズスの洗礼」を演じたり、ニューヨークでも9.11の一ヵ月後に公演・・・・。ニューヨーク市長から「芸術は屈してはいけない」とのメッセージをいただいたとか。
いやはや 知らぬは 日本人ばかりなり。そう尺八界でも「琴古流」の名門「荒木派」の「五世荒木古童(達也)」氏は慶応の先輩。慶応を卒業して、
アメリカ・ウェスリニアン大学の尺八教授となった。日本の芸大でも「尺八科」は無かった時代。アメリカには大学に「尺八科」があったのだ。そして「達也氏」はアメリカ人の女性と結婚。その息子が「六世古童」を襲名。国籍は「アメリカ人」でござるよ。
知らぬは日本人ばかりなり。