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現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

「一休寺」の門

2022-12-06 18:57:53 | 一休と虚無僧

京都の南、京田辺市にある「酬恩庵・一休寺」。

一休さんの終焉の地です。寺内にある墓所は、宮内庁の管理と

なっていて、白壁の塀と菊のご紋のはいった門で閉じられています。

一休さんは「後小松天皇の皇子」ということを宮内庁が公認した証です。

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さてさて、この一休寺の門扉。門はあっても肝心の扉がありません。

一休さんの謎解きです。そう、「扉」という字は「戸に非ず」と書きます。

ですから「戸は有らず」です。(私が考えました)。ま、入る者を拒まず、

「誰でもはいってらっしゃい。平気平気、気にしない、気にしない」の

一休の心だぁぁぁ。これ「大道無門」

http://www.ikkyuji.org/assets/images/precincts/01-image01.jpg

扉が無いのは 「一休寺」だけでなく、薪村の民家には ほとんど「門」が無い。

古くから伝わる「屋号」には「清左衛門」「作右衛門」「八右衛門」「與治右衛門」と

門がつく名前が多いそうな。

 

そして、薪村では、お互いを呼び合うのに「さん」をつけず、名前を呼び捨てに

するとか。「さん」をつけるのは「一休さん」だけとのこと。

そう云えば、慶応も「先生」と呼ぶのは「福沢諭吉先生」のみ。大学教授も

小中高校の先生も公式の場では「〇〇君」。学生、生徒は「〇〇さん」づけでした。

慶応は教授も先生も大抵塾出身者ですから、「先輩、後輩の仲」というのです。

最近の私、どこに行っても「先生、先生」と呼ばれます。奇異な気分になります。

 

ついでに、もひとつ小話。

一休さんが出かけようとすると、新右衛門さんが「どちらへ?」と

問いかけます。一休さん、扇をかざして、「ここじゃここじゃ」と。

「はて、どちらへ?」と新右衛門さん。一休は笑って「扇は戸に羽と

書くじゃろ、鳥羽じゃよ」と。

ここで云う、鳥羽は伊勢の鳥羽ではなく、鳥羽伏見の戦いで知られる

京都の南、竹田街道の鳥羽です。


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