『徒然草』115段「宿河原」には、吉田兼好が「ぼろぼろ」に
ついて注釈を加えている。
「ぼろぼろといふもの、昔はなかりけるにや。近き世に、
ぼろんじ・梵字・漢字など云ひける者、その始めなりける
とかや。
世を捨てたるに似て我執深く、仏道を願ふに似て闘諍を
事とす。放逸・無慙の有様なれども、死を軽くして、
少しもなづまざるかたのいさぎよく覚えて、人の語りし
まゝに書き付け侍るなり」と。
つまり「“ぼろぼろ”は、昔 (1333年からみての昔だから、
鎌倉時代の半ば頃まで) はいなかった」という。蒙古襲来など
あって鎌倉幕府が弱体し、世が乱れて、登場してきたのだ。
そして「梵字、漢字などとも言う」とあるので、インドや中国
からの渡来人かとも思える。
「ぼろはボロボロの着物を着ているからぼろ?」と思われている
が、室町時代の半ば、1500年頃、土佐光信によって書かれた
『七十一番職人歌合』には、白い紙子に黒の袴をつけ、長い柄の
傘を持っている。この傘を立て、柄の部分を叩いて拍子をとり
ながら念仏を歌い、人々に念仏踊りを舞わせるのだ。
東京の世田谷区奥沢には、通称九品仏(くほんぶつ)と呼ばれる
浄真寺という寺があり、駅名にもなっている。9体の阿弥陀様の
面を被って行進する祭りで有名だ。
つまり、「ぼろ」は「九品念仏を唱え踊る念仏行者なのだ。
「ボロは念仏宗であり、尺八は吹いていないので、虚無僧の
元祖ではない」と云われるが、私は「世を捨てたるに似て
我執深く、仏道を願ふに似て闘諍を事とす」という性格が、
正に虚無僧の源流だと思っている。
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