午前6時の気温はマイナス4度。晴れのいい天気じゃ。
小鳥が木々の間を飛び交う様子がちらほら見えたり、遠くでアカゲラのドラミングが聞こえたりする早春の羊蹄山ろくでござる。
おぢはきょうこれから亡くなった従兄弟の7回忌で札幌へ向かいます。
こうしてハニーさんと平和に楽しく暮らせるのも、この亡くなった従兄弟のおかげなわけ。
札幌豊平区のお寺で法要してまいるのです。
さて、
安倍内閣で、いわゆる「河野談話」の見直しが進められておった件でござる。
米国からの強烈な圧力で、結果として、見直しはせず、「これを踏襲する」結論に至って、おぢはホッとしております。
そもそもの「河野談話」、しっかり「検証されたものではない」との批判がある。
慰安婦問題については、実際その可能性は高いし、見直すべきとの声が国民の中に多いのも、まことにごもっとも。
韓国にしても、アメリカの町に慰安婦の像をつくるなど、その所業目に余る。
しかもあちこちで慰安婦像を建てる運動しておるのが北朝鮮関係者というから話はまたまたややこしい。
しかし、ここは「日米韓の協調関係」を維持することが、ニッポンにとって最も重要なことではないのかね。
西側3国の協調を維持して「中国・北朝鮮を封じ込める」ここが大事なわけ。
アメリカや韓国とギクシャクすること事態が、結果として中国・北朝鮮を利することになる。
元外務官僚の佐藤優さんが週刊現代の対談で「気持ちのいい外交」はダメだ、危険だと申しておりました。
そのサンプルがニッポンの戦前の「国際連盟脱退」でござる。
第2次大戦前、当時我がニッポン国は、中国に進駐し、満州に傀儡政権を樹立。溥儀を皇帝に据えました。
いわゆる「ラストエンペラー」、満州国の設立でござる。
これが国際的な非難を浴び、ニッポンはアメリカから「石油や鉄」など資源の禁輸措置をとられたのです。
ニッポンにしてみれば多くの血を流して得た土地だけど、世界は満州国を認めなかったわけ。
当たり前といえば当たり前ですけど、あっちでもこっちでも近所のお方が日中戦争で亡くなって、そして獲得した大事な植民地だ。
「手放してなるものか」と多くの国民は思っておった。
そして昭和8年、当時の松岡洋右外相が、満州国を認めない国際連盟を脱退、これが第2次大戦の「引き金」となる。
ヤバいこと言っちゃったと思った松岡だけど、国民はこれを歓喜で迎えました。
「気持ちのいい外交」に当時の国民はこぞって「溜飲を下げた」のです。
それは同時に、そもそも資源も国力もないニッポン国が、無謀な戦争に突入するきっかけでした。
カッコよく国際連盟を脱退した行為、実はアホバカ外交だったのです。
今回も河野談話の見直しをすれば、国民はこぞって溜飲を下げた。
理不尽なことを申しておる韓国なんぞ、なんじゃらほい、なんぼのもんだってことだ。
しかし、もしそうなれば、韓国との関係は決定的なものとなり、米国との関係もすっかりこじれることになる。
「胸のすくような外交」は、極右や極左、はたまた戦争したいお方には、よいのかもしれません。
しかし、そんなもんは、けっしてニッポンの国益に沿うものではないと、この際は申しあげておきまする。