写真は午前6時のニセコアンヌプリでござる。この時季になると午前6時は、すっかり明るくなるのです。
ついこの間までは、まだ薄暗かったのにねぇ。
だからあたりには春の気配が漂うかというと、今朝の気温ときたら、これがなんとマイナス16度でござる。
外はひっくり返るような寒さ。なんだこれ???
どうやら北海道付近には、第一級の寒気団が入り込んだようなのです。
3月もそろそろ半ばというのにマイナス16度、そうとうがっかりの朝でござる。
いまだ春は遠いなぁ~としみじみする、3月12日の羊蹄山ろくなのでした。
そんなおぢの朝の日課はというと、まずは薪ストーブに火を入れて、PCを立ち上げ、天井扇を回します。
それからイソジンでガラガラうがいして、舌の苔をティースプーンでこそげ取り、ゴシゴシ歯磨き。
そして札幌の障害者施設から買い求めておる「天然出汁パック」で出汁をとるのです。
そしたら、お腹がむずむずしてきてトイレ第一弾へ。
食後に第二弾があります。
そのころハニーさんはそそくさと寝床から出てきたり。
平和な我が家の朝の日常なのでござる。
さて、
昨夜放送の報道ステーション、観ました?
世界の常識では100万人に1~2人という「子どもの甲状腺がん」が、福島県では27万人の検査で33人も見つかったというのだ。
でもって、専門家と称する怪しい医者は、チェルノブイリでは「4~5年経ってから甲状腺がんが発症した」ので、これは「福島第一原発の事故との因果関係はない」としておった。
と、ここまでは、これまで福島県の方々が各地で報告会を開催しておって、おぢにとってはこれまでに聞いておった通りのお話でござる。
昨夜の報道ステーションが偉かったのは、ホントにチェルノブイリでは4~5年経たないと小児がんが出なかったのか、しっかり検証しに現地へ行ったってことだ。
結論から言えば、チェルノブイリでも確かに事故から4~5年目をスタートに小児がんが急増しておった。
ところが事故当時は、甲状腺を検査するエコーなどの検査機器が、チェルノブイリにはなかったのだという。
これらの機器が、アメリカの富豪から贈られてきたのは、事故から4~5年経ったころなのだそうな。
ようは事故発生から、4~5年経つまで、医者が触って診察する「触診」によってしか、甲状腺がんかどうかの判断ができなかったということ。
事故直後から丸3年間というもの、検査レベルは「相当低かった」ということなのだ。
しかも、当時から今に至るまで診察してきた現地病院の所長によると「当時は広島、長崎で甲状腺がんが発生したのは原爆投下から8年後と言われていた」ので、当初は「8年後に甲状腺がんが増える」と思い込んでおったのだそうな。
「事故から4~5年経たないと甲状腺がんは発症しない」という「定説」、これが生まれた背景は、当時チェルノブイリに「検査機器が無かった」だけのことだと判る。
専門家と称する医者が言うところの「4~5年経たないと子どもたちに甲状腺がんは出ない」とする根拠は、まことにいい加減なことだったのだ。
信憑性の極めて低い「定説」だったと判ったのです。
そしてなにより怪しいのは、県立病院が子どもたちの甲状腺検査結果などの「情報を独占」しておることだろう。
情報を県立病院1か所に集中させることで、「情報管理」するという、まことに不気味で、とても民主国家とは思えぬ極めて異常な所業を番組は明らかにしたのです。
検査情報を県立病院が一括管理するという異常事態についても、おぢは福島県民による報告会で聞き及んではおりました。
しかし、全国メディアがこれを明らかにしたのは今回が初めてかもしれませぬ。
さらに、最も重要な「事故の初期段階で詳細な調査」をしておった他県の大学教授に対し、県は圧力をかけてこれを中止させておる。
初期段階の調査が、その後のがん発症に極めて重要であるにもかかわらず、これを止めさせた。
チェルノブイリでは、機器が無くて初期段階に調査ができず、機器が届いた4~5年後から甲状腺がんが急増する結果となった。
それ以前は記録したくても機器が無くてできなかったのだが、「福島ではそれを人為的に再現した」のでござる。
初期段階に調査を中止させた理由は「被ばく検査は不安をあおる、差別を助長する可能性がある」ためだそうな。
検査しない方が、被災者の不安をあおるのではないのかね?
国と県がグルになり、原発事故と甲状腺がんの「因果関係をうやむやにする」ための所業ではないのかね。
これ「国家ぐるみの隠ぺい工作」でござる。
これが行なわれたのは、民主党政権下だったことにも驚きます。
ニッポンは本当に民主主義国家なのか、なんだか恐ろしい気がした昨夜のおぢでござった。
政府は、福島原発事故と甲状腺がんの因果関係を、このままできるだけウヤムヤにして、補償問題からトンずらしようと画策しておるように思うけど、どうよそのあたり???