浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

行け行け、どんどん

2014-05-18 07:55:27 | 政治
 あれあれ、自民党は海外で戦争をしようという方向にどんどん行くつもりである。その歩みは、強い。

 国連軍にではなく、アメリカを中心とする「多国籍軍」(アメリカなどのグローバル企業の利益を拡大するための軍隊)に参加しようとしているのだ。

 この記事は「朝日新聞」が報じたものだ。この記事の末尾で「湾岸戦争」、「イラク戦争」には参加しないと言っているが、「多国籍軍」への参加という場合、それはあり得ない。世界中でアメリカが行う戦争を、日本人は戦い、殺し殺されるのである。


多国籍軍への将来参加に含み 石破氏「現内閣はやらぬ」

2014年5月18日02時51分

 自民党の石破茂幹事長は17日、国連の多国籍軍などによる「集団安全保障」について、「国連軍とか多国籍軍、その前段階のものができた時に日本だけは参加しませんということは、国民の意識が何年かたって変わった時、(方針が)変わるかもしれない」と述べた。同日午前の読売テレビの番組で語り、将来、武力行使を伴う多国籍軍へ参加する可能性があるとの考えを示した。

 「集団安全保障」は、国連憲章が禁じる武力攻撃を行った国に、国連加盟国が団結して制裁を加える仕組み。安倍晋三首相は憲法上の制約を理由に参加を否定しており、石破氏の発言は首相の方針との整合性を問われそうだ。

 石破氏は番組で「安倍内閣ではやらない。その次の政権が何を訴えるかだ」とも述べた。集団安全保障の参加に憲法上の制約はなく、不参加はあくまで安倍内閣に限った判断との考えを示したものだ。

 武力行使を伴う集団安全保障については、首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)が15日、「憲法上の制約はない」として参加を提言した。だが、首相は同日の会見で「憲法がこうした活動のすべてを許しているとは考えない」として憲法上の制約があると明言。さらに日本が「湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してない」と強調していた。

 一方、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認について、安倍首相は17日、「国会に求められれば、国会の場で国民に対して丁寧に説明していきたいと思っている」と述べた。視察で訪れた福島市で記者団に語った。
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1945年は画期ではない?

2014-05-17 22:09:41 | 社会
 安倍首相は、あらゆる方面でみずからの政策を強引に実現しようとしている。そのやり方は、彼の祖父岸信介が、60年安保改定を強行したことを想起させる。

 国会周辺では右翼暴力団の暴力が吹き荒れた。

 5月19日、国会では自民党が暴力的に強行採決を行ったが、そのとき、警察とともに右翼暴力団が使われた。そして6月15日には国会の周辺で学生のデモ隊に右翼暴力団が襲いかかり、ひとりの女子大生が亡くなり、多くの学生が傷ついた。

 マスメディアは、この事態をどうとらえたか。学生の激しい行動を「暴力」として非難し、強行採決をし、右翼を利用した政府自民党の「暴力」を黙殺した。それは6月17日の新聞7社の「共同宣言」にあらわれている。

 誰がその先頭に立ったのか。「読売新聞」ではないか。政府自民党も、「暴力は断固排す」という声明を出したが、それを書いたのは渡辺恒雄である。そうあのナベツネだ。今も岸の孫を全面的にバックアップしている。

 岸は、右翼、メディアなど使えるものは何でも使って、正面突破を試みた。安倍はそれをまねている。

 安倍政権の政治に、人々が反対の声をあげている。しかし彼は動じない。

 岸は、こう証言している。

 安保のときのデモというのは、いわゆる大衆じゃないと思っていました。まあ一部の大衆といってもよい。・・・一般大衆は無関心だったと思うんです、大部分は。・・あのときも国会の周りはデモでナニしていたけれども、後楽園球場では数万の人が入って→空を楽しんでいた。・・・声をだしているのは一部のつくられたナニであって、あれは大衆じゃないというのが私の当時の見方でした。
 (『岸信介証言録』)


 反対の声をあげるのは、「一部」。彼らは「大衆」ではない、というのだ。政府の行うことに従順な者しか相手にしないということだ。

 おそらく安倍も、ついでに石破も同じ考えなのだろう。石破はデモなどの抗議活動をする人たちをテロリストであるかのような発言をしている。

 今、安倍の政治を検討しようとする時、岸信介を振り返る必要がある。岸、安倍が、戦前と今を結びつける。

 今の政治が続くなら、戦後史は、書き換えられなければならない。1945年は、画期ではないというように。

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権力と結託するメディア

2014-05-17 08:35:41 | メディア
 安倍首相は、メディアへの露出度が高い。ニュースだけではなく、その他の番組にも出演する。果たして出演させるメディアには問題はないのかと思うが、今はおいておこう。

 新聞やテレビ、コンビニなどでの広報活動が活発である。安倍政権の意思を、巨額の広報宣伝費を使って伝えようとする、悪く言えば洗脳しようとする姿勢が顕著である。

 そして、メディアの幹部や論説委員などと「会食」をして、「絆」をつくりだす。「会食」の場にいた者たちは、絶対に反政権にはならないだろう。「絆」は大切だとメディアは今も伝える。

 ところで、このようなメディアと権力の結託は、今に始まったことではなく、戦前に於いては日常茶飯事であった。そして、1945年に戦争が終わり、メディアはかたちだけ「反省」の弁を述べた。戦争を扇動したのは私たちだ、と。

 だがメディアは、そうした反省をすぐに忘れる。政治権力から声がかかれば、犬のように尾を振りながらはせ参じるのだ。

 なおそれは、別に幹部だけではない。ジャーナリストとしての自覚をもたない記者たちも同様である。

 それは1960年の岸信介政権時にもあった。安倍首相の祖父である岸は、メディアとの連絡を密にしていた。読売新聞社主・日本テレビ初代社長の正力松太郎、NHK専務理事前田義徳、毎日新聞社会長本田親男らと会談し、メディアへの協力を求めていた。

 それに応えて、60年安保の「7社共同宣言」にみられるように、メディアは大衆運動を抑制する役割をきちんと果たした。

 メディアは、いつも権力と結託して、大衆の意識や動きを一定の枠の中におさまるようにするのだ。

 しかしわが日本では、新聞やNHKの報道に対する信頼度は高い。情報をそうしたところからしか入手しない日本人は、いつも政治権力が許容した範囲内におさまるように生きる。

 メディアは、結局は政治権力の広報宣伝機関なのだ。だからこそ、そうでない「もうひとつの民衆のメディア」が必要なのである。

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安倍政権に抱き込まれるメディア

2014-05-16 22:16:24 | メディア
 説明するまでもない。メディアは、だから、信用できない。

安倍首相「集団的自衛権」会見後に会食 時事通信解説委員、朝日新聞編集委員らと
J-CASTニュース5月16日(金)11時58分

安倍晋三首相は2014年5月15日、集団的自衛権について必要性があれば憲法解釈を変更すると明言した記者会見の後、20時過ぎから報道関係者と会食した。

各紙の首相動静によると、東京・西新橋のすし店「しまだ鮨」で、田崎史郎時事通信解説委員、島田敏男NHK解説委員、曽我豪朝日新聞編集委員、山田孝男毎日新聞特別編集委員、小田尚読売新聞東京本社論説委員長、粕谷賢之日本テレビ網報道局長らと食事し、22時頃に店を出た。
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1943年5月19日

2014-05-16 20:55:56 | 社会
 1943年5月19日、京都帝国大学で田辺元の講演会があった。

 1943年、この年9月23日、学生の徴兵猶予が停止される、そして10月21日には神宮外苑で出陣学徒壮行会が開かれる。

 その年である。

 田辺は「死生」というテーマで講演をした。田辺は京都帝国大学を代表する哲学者であった。その講演には、学生だけでなく一般の聴講者も集まった。

 学生をはじめとした若者たちの前には、戦場での「死」というものが存在していた。しかし、若者たちは、なぜ自分が死ななければならないのか、「国家のために死ぬ」ことの意味は何か、煩悶を繰り返していた。どう考えても、その解が見つからない。わらをも掴む思いで、田辺の講演を聴こうとした。田辺は、こう話した。

 決死ということは、もっと積極的に実践して、死が可能としてではなく、必然的に起こることを見抜いて、我々がなおそれをあえて為す時にいうのである。これは実際に生を死の中に投ずることであり、生きていながら死を観念的に考えることではない。自分は安全な生にいながら死の可能性を考えることではない。必ず死ぬことがわかっていて、死は逃れ得ぬことを知っていて、なお為すべきことを為す、実践すべきことを実践すること、我々の生を死の中に投ずることである。

 田辺は、生の側から死を見つめるのではなく、実際に生を死の中に投げ込めというのだ。まさに為すべきこととしての死を死ね、というのである。

 では、「国家のために死すべき者として死ぬ」とはどういうことか。田辺はこう語る。

 国が単に特殊な国という性質を越えて神を実現しているのである。神聖なもの絶対的なものであるという時は、神と国とが個人を通じて結びつくのであって、人は国を通して現実に身を捧げるものとして具体的存在をもっている。身を捧げるのが具体的意味を持つのは、国と神とが一に結びつけられた時、即ち神と国家が区別されつつ一つである時であって、このこのことによって人が国に身を捧げることにより神にふれ、神につながるのである。

 人が国に身を捧げることによって神につながる絶対化された立場から、翻って国を神の道に一致せしめるように行為すること、即ち国をして真実と正義を失わしめざることが我々の本分なのである。

 田辺は、近代天皇制の原理のなかに身を投じることこそが、「国家のための死」の意味であることを説いたのである。若者が死ぬ(身を捧げる)ことによってしか、国の「真実と正義」は維持できない、というのである。

 おそらく田辺は、1943年段階の近代天皇制国家が狂っている、「真実と正義」を失っていると認識していたのであろう。しかし、「真実と正義」を取り戻すためには、若者が身を捧げる、すなわち無残な死を死ななければならぬ、というのだ。

 こうして若者たちは、戦場で、あるいは特攻隊として無残な死を死んでいった。

 だが、こういうあり方は間違いである、田辺もそれに気づく。

 1944年、田辺はこう記す。

 言うべきことは言うべきであると思いながらそれをあえて言い得ぬ無力、実践的に勇気のないことを痛感せざるを得ない。(中略)しかしいかにすれば良いのか、真に正しい方策は何かということがわからないのであり、従って単に実践的に無力であるというのみならず、知識においても深く無力を感ずるのである。

 田辺はこのあと、自らが「懺悔(ざんげ)」にたどりついたことを記す。

 さて。

 戦争が行われると、戦場で若者が死ななければならない。現代の若者は、いったい何のために死ぬのか。安倍首相が「戦争ができる国にする」と主張するとき、いったい何のための戦争に参加させ、何のために死ねと言うのだろうか。おそらくなんの意義づけもできないだろう。なぜならアメリカのために死ぬのだから。だからこそ、軍事法廷をたちあげ、死刑を含む重罰によって死地に赴かせるのである。戦場で戦闘行為に従事しないと死刑だぞ、というように。

 1945年に終わった戦争に於いては、若者は近代天皇制の原理のなかに「意味」を見出そうとした。そして無残な死を死んでいった。しかしそれが間違いであったことに気づいた田辺は「懺悔」の道に入り込んだ。

 今、重罰を背景にして死地に動員されようとしている若者たち、おそらくそこで死を死んでいく若者がでるだろう。そしてまた、田辺が間違いであったと気づいたように、日本人もそうした若者に強いられた死は、間違いであったと気づくのだろう。

 だがそのとき、日本人は、田辺が「懺悔」の道に、あえて言おう「逃げ込んだ」ように、「懺悔」の道に「逃げ込む」のか。

 ボクは思う、「懺悔」は一度だけでたくさんである。そしていつか気がつくであろう日本人に、ボクは「懺悔」の道に「逃げ込む」な、学ばない日本人よ、考えない日本人よ、無残な死を死んでいった若者の煩悶を直視せよと叫ぶだろう。

 1943年5月19日、講演が行われた第一教室は1時間前から立錐の余地がないほどに多くの若者が集まったという。「国家のために死ぬ」ことの意味を探しあぐねる若者たちだ。

 そういう講演は、あってはならない、二度と!!
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スマホ依存症

2014-05-15 22:25:08 | 社会
 今日は午前中、某所で毎月行っている歴史講座で「現在史」について話し、午後は静岡へ。行きも帰りも電車を利用したが、ほんとに多くの人がスマホをやっている。

 ボクは携帯電話はもっているが(もう17年以上)、スマホはもっていないし、スマホにするつもりもない。キーボードがないものは使いたくないし、だいたいにしてスマホの字は小さい(拡大できるそうだが)。

 今週号の『Newsweek日本版』は、「スマホ依存症」である。これは購入した(Kindle版)。あまり雑誌を増やしたくないので、これにしたのだ。

 そこにスマホを使うと脳が鈍くなるという記事があった。

 1 まずどこかに行くときにGPS機能を使う場合とそうでない場合、後者のほうが脳が活性化するらしい。最近ボクも車でカーナビをつかっているから、この点では脳の活性化に繫がっていないということだ。

 2 ネットですぐに答えが見つけられるというとき、認知力を使わないのでその記憶がすぐに薄れてしまう、いろいろ文献で調べた場合は、記憶として長く残っているという。まあこれは経験的な事実である。

 3 「画面を注視することが必要なテクノロジーは私たちの視覚的・空間的能力を向上させるが、その分、批判的な思考力や知識や想像力の習得といった他の知力の発達が犠牲になる」

 4 集中できない脳になる

 以上である。スマホをもっている諸君は、中毒症にならないようにしてほしい。



 
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「総統閣下が「美味しんぼ」鼻血問題でお怒りのようです」

2014-05-15 20:34:31 | 社会
 とにかく見てみよう!

http://goo.gl/4I4Uh6
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強権を発動する安倍政権

2014-05-15 08:37:39 | 政治
 『琉球新報』の14日の記事。安倍政権は辺野古への新基地建設を強行しようとしている。なんという強権の発動か。反対者を、刑事特別法というアメリカのための刑法で脅迫しようとしている。

 まさに安倍政権は、ヒトラーなみの強権を発動しようとしている。

シュワブ沖にブイ設置 進入者に刑事特別法適用2014年5月14日

 政府が、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に向けた海底ボーリング調査に向け、反対派の住民らの抗議活動を排除するため、キャンプ・シュワブの提供水域にブイか柵などを設置する方針を固めた。ブイを越えて進入してくる者については、刑事特別法(刑特法)を適用し、逮捕するとの方針を関係省庁で確認していることも判明した。政府関係者が明らかにした。また、日米両政府がシュワブ沿岸の提供水域の「常時立ち入り禁止」の沖合への拡大について検討していることも明らかになった。

 柵やブイの設置は刑特法適用の前提となる提供水域の境界を明確化する狙いがある。設置箇所は不明。

 県民の多くが県内移設に反対する中、刑事罰の適用によって抗議行動を封じ込めようとする政府の手法に反発が高まりそうだ。

 刑特法は米軍施設・区域への立ち入りを禁じており、違反した場合は1年以下の懲役か2千円以下の罰金などが科せられる。県内では1976年に米軍の砲弾射撃演習に反対して恩納村喜瀬武原の提供区域で抗議活動を行った4人が刑特法違反容疑で県警に逮捕された。

 キャンプ・シュワブの提供水域は、沖合約10キロまでを陸地からの距離ごとに5区域に分類している。シュワブに近い第1水域と第2水域は「常時立ち入り禁止」に指定されているが、その範囲を沖合に広げて立ち入り制限を強化する方向で検討を進めている。

 2004年に那覇防衛施設局(当時)が辺野古海域でボーリング地質調査を実施した際、政府は漁船やカヌーで調査を阻止しようとした反対派住民らへの対応に苦慮し、調査が中断に追い込まれた。

 こうしたことから、今回は阻止行動をあらかじめ排除して辺野古移設を推進するために、防衛省と警察庁、海上保安庁が今年に入ってから刑特法の適用基準の明確化を協議。「抗議活動で提供水域に進入すれば逮捕できる」との結論に達した。

 防衛省は予備費約300億円を計上して海上に柵を設置する方向で調整していたが、設置作業に長期間を要するため、ブイで対応する案が有力となっている。さらに、調査期間中は複数の海上保安庁の船舶を辺野古沖に配備し、抗議活動を排除する方針。

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今日の『中日新聞』社説

2014-05-15 08:33:38 | メディア
 この社説もよい。史実に基づいて、きちんとあるべき方向性を指摘している。歴史認識と現実認識と、そして理念、この三つが結びついてこそ、はじめてよい論説となる。



琉米条約という史実 沖縄復帰の日に考える
2014年5月15日

 江戸幕府が米国政府と日米和親条約を結び、鎖国体制を解いた百六十年前、同様の条約を米国と結んだ国があります。当時の琉球王国、今の沖縄県です。

 その条約は「亜米利加合衆国琉球王国政府トノ定約」です。一八五四年七月十一日、米海軍東インド艦隊のマシュー・ペリー提督と琉球国中山府総理大臣・尚宏勲、布政大夫・馬良才との間で結ばれました。

 七条からなり、米国船への薪(まき)、水の供給や遭難船の救助、米国の領事裁判権を認める、米国人墓地の保護など、その内容から「琉米修好条約」と呼ばれています。

独立国の体裁を保つ
 琉球王国は同様の修好条約を翌五五年にはフランスと、五九年にはオランダと、それぞれ結びました。三条約の原本は東京にある外交史料館で保管されています。

 琉米修好条約は日本に現存する最古の条約原本です。この条約の約三カ月前に締結された日米和親条約の原本が幕末期、江戸城の火災で焼失したためです。

 当時の琉球王国は十七世紀初めに侵攻した薩摩藩島津氏の統治下に置かれる一方、中国(明、清)との朝貢関係も維持する「両属」体制でしたが、独立国としての体裁は保っていました。

 だからこそ欧米の列強各国は、琉球王国を「国際法上の主体」として認め、条約を結ぶことで、琉球の地を東アジア進出の足掛かりとしたかったのでしょう。

 しかし、この「史実」は沖縄県内を除くと、あまり知られていないようです。高校の日本史教科書に沖縄の歴史に関する記述は乏しく、ほとんど学ばないからです。

 沖縄は今や、日本国の重要な一部を構成していますが、近世まで独立国だった史実は無視し得ません。本土の価値観で日本史を塗りつぶしてはならないはずです。

明治以降数々の苦難
 振り返れば沖縄は、明治以降、苦難の歴史をたどりました。

 琉球処分と称する強圧的な王国制度解体と沖縄県設置に始まり、太平洋戦争では住民を巻き込んで大規模な地上戦が行われ、大きな犠牲を出しました。県土は焦土と化し、約六十万県民の四分の一が亡くなったといわれます。

 戦後は日本から切り離され、苛烈な米軍政下に置かれました。貴重な土地を基地建設のために「銃剣とブルドーザー」で接収されるなど、日本国憲法が保障する基本的人権とは無縁の日々でした。

 一九七二年に施政権が日本政府に返還された後も、在日米軍基地の約74%が沖縄県に残ったままです。訓練に伴う事故や騒音、米兵の事件・事故、米軍の戦争に加担する精神的重圧など、県民は重い基地負担に苦しんでいます。

 沖縄は日本に「統合」されましたが、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重など、当然、実現されるべき日本国憲法の理念とは程遠い現実が、いまだ沖縄を覆っているのです。日本であって日本でないと、言うべきでしょうか。

 沖縄で今年、最も大きな政治課題は、宜野湾市の普天間飛行場を拠点とする米海兵隊部隊を、名護市辺野古沿岸部に新設する施設に移す「県内移設」問題であり、今年十二月九日の任期満了に伴って行われる予定の県知事選でも、大きな争点となるでしょう。

 かつて民主党の鳩山由紀夫首相は県民の負担軽減のため県外・国外移設を掲げましたが、実現できず、退陣に追い込まれました。

 その後、日本政府は基地負担軽減を求める沖縄県民の望みを踏みにじるかのように、県内移設の手続きを進めています。

 特に、再び政権に就いた安倍晋三首相率いる自民党内閣では顕著です。

 政府は、来年に予定していた辺野古沿岸部での新施設着工を、知事選前に前倒しすることも検討しているようです。反対派が当選しようとも、県内移設を既成事実化する狙いなのでしょう。

 しかし、政府が本来、力を注ぐべきは、沖縄県民の人権を守り、基地負担を軽減することにほかなりません。日米安全保障体制が日本と極東地域の平和と安全に欠かせないのなら、その基地負担は国民全体が分かち合うべきです。一地域に過重に押し付ける「構造的差別」は許されません。

憲法理念の実現こそ
 五月十五日は沖縄にとって、日本に復帰してから四十二年の記念日ですが、沖縄の地で日本国憲法の理念が完全に実現されてこそ、本当の復帰といえるでしょう。

 かつて独立国として国際的に認められていた琉球の歴史と、明治以降、沖縄の人々が強いられた数々の苦難、そして、今も日常生活を脅かす米軍基地という現実。

 そうした過去と現実をしっかり見つめることが、同じ日本国民として、沖縄の未来を考えるきっかけになると思うのです。
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今日の「中日春秋」

2014-05-15 08:27:33 | メディア
 今日の「中日春秋」は、読むべき。ついでにここで紹介されている『暴露』も読むべきだろう。ボクも読んでいるが、読む価値は十分ある。翻訳もよい。


どうも、この国の政治家には分かっていない人が増えているようだが、民主主義国家において憲法とは、国民一人一人の自由を権力の乱用から守るためにある

▼米建国の父トーマス・ジェファソンは言ったという。「権力に関わる事柄で、もはや人間への信頼を語るのはやめよう。悪さなどしないよう、権力者を憲法という鎖で縛るのだ」。権力は必ず腐敗し、乱用される。そう冷徹に現実を見据えての至言だ

▼今、権力の乱用は人々の目に見えぬ形で進められているようだ。米国は同盟国を動員して世界中の人々の通信の秘密を侵し、逃げられぬ監視網を築いている。きのう出版された『暴露 スノーデンが私に託したファイル』(新潮社)が暴く実態は驚くべきものだ

▼米情報機関は、通信サービス会社から際限なく顧客情報を取得している。米国から輸出されるサーバーなどには情報を盗み見るための仕掛けが組み込まれる。スパイ活動のノウハウと資金は日本にも提供されている…

▼機密文書を持ち出して告発したスノーデン氏は人生を棒に振る覚悟を口にしつつ、こう言っていたそうだ。「ひとつだけ恐れていることがあります。それは、これらの文書を眼にした人々がただ肩をすくめ、そんなことだろうと思っていたよ、興味ないね、とやり過ごしてしまうことです」

▼無関心が、権力を縛る鎖をほどいてしまうのだ。
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2014-05-15 08:10:53 | 社会
規制改革会議は、新自由主義者が集まり、1%の者たちがより効率的に金を儲けられるような日本にするために、またぞろ「構造改革」を行おうとするものである。今彼らは、日本農業を「構造改革」し、どのようにして私企業が利益を得られるようにするか、そのシステムを考案しようとしている。

 昨日もその動きを紹介したが、今日は『毎日新聞』が掲載している。しかしこの記者たち、おそらく日本農業をはじめとした研究をしたこともないのだろう、規制改革会議の「論理」の枠のなかで書いている。
 記者は、「官」の発表をただ報道するのではなく、きちんと勉強して、批判的な視点を持つべきである。勉強しないと、権力に取り込まれることは必定なのだ。メディア関係者こそ必死に勉強すべきだ。

 とりあえず、記事を紹介する。まさに農協を解体し、私企業(そのなかにはアメリカ企業も入る)に利益確保の場として日本農業を明け渡し、また金融関係の企業は農協が行っている貯金や保険・共済業務などを解体しようと虎視眈々と狙っている。金融関係の企業は、史上最大の利益だと報じられているが、さらなる利益確保のために日本の社会を解体しようとしているのだ。

 新自由主義の悪が明らかになっているのに、日本国民はそれを阻止しようとしない。



農業改革案:「JAの存在意義」か「効率化、大規模化」か
毎日新聞 2014年05月14日 22時25分(最終更新 05月15日 07時39分)

 政府の規制改革会議・農業ワーキンググループ(WG)が14日まとめた農業協同組合(JA)グループ改革案は、全国農業協同組合中央会(JA全中)を頂点とする組織を事実上解体し、地域の農協の自立を促して農業を活性化させる狙いだ。政府・与党は6月の農業成長戦略の改定に向けて議論を本格化させるが、自民党農水族などの反発は強く、実現するかは見通せない。

 「国内農業が右肩下がりの状況では、現状維持こそ過激な考えだ」。農業WGの金丸恭文座長は記者会見で、JAの抜本改革の意義を強調した。

 JAは、農産物の集荷販売や資材の供給▽貯金など金融サービス▽保険などの共済事業−−を手掛ける。事業ごとに全国、都道府県、市町村レベルの組織があり、全中の指導方針に基づいて事業を展開。もともと、農家がまとまって活動することで、農産品の価格を維持したり、農機具や肥料を安く仕入れて農家に売るための組織だが、農家の間にも「十分に機能を果たしていない」との不満は根強い。農水省が昨年、農家を対象に行った意識調査では、農協の資材供給について「満足していない」が最多の44%で、その理由の74%は「資材価格が高い」だ。

 農業WGは、JAグループの構造が「横並び経営」の温床となり、地域農協の創意工夫を阻害していると分析。全中が一律の方針を決めるため、地域の特性に応じた経営指導などを行いにくい。国内の農産物のほぼ半分はJAグループを通して販売されるが、集荷量が多いほどJAの利益になるため、付加価値の高い農産物を生み出すより、規模を追いがちだ。競争がなく、農機具などの資材を安く仕入れる意識にも欠ける。

 このため改革案では、全中や、集荷販売や資材調達を担う全国農業協同組合連合会(JA全農)の影響力をそぐことに焦点をあてた。全国に699ある地域農協を独自に活動しやすくさせ、地域の実情に即した農業を実現する。金丸座長は「(全中が)JAグループに利益を生み出しているとは思えない」と指摘、農業振興のシンクタンクなど新たな役割を自ら見いだすべきだとした。

 全農の株式会社化については「スーパーに出資するなど販路を確保してはどうか。株式会社の方が資金調達は容易だ」と説明。現在、JAグループは農家からの出資金などが資金源だが、資金調達のルートを増やし、事業拡大を目指すべきだとの考えだ。企業になることで効率化も期待できる。

 ただ、JAや自民党の反発は強い。JA全中の万歳章(ばんざい・あきら)会長は14日、「組織の理念や組合員の意思、事業の実態とかけ離れた内容」とのコメントを出した。改革の実現には農業協同組合法の改正が必要だが、自民党内には「弱い農協の切り捨てにつながる」(農水族)との反発が強い。

 しかし、政府の農業政策に沿って農家の大規模化が進めば、農家自らの販売や資材調達が可能になり、JAの存在意義は薄れる。JA自身の農協改革は、組織には切り込まず、具体論に欠けている。農業再生につながる農協の抜本改革が実現できるか。政府・与野党の議論が本格化する。【中井正裕、田口雅士】
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狙われる農協

2014-05-14 23:07:43 | 政治
 安倍政権は、TPPを推進し、日本農業を崩壊へと導こうとしている。日本列島に住む人は、アメリカから農産物を買って生きていこうというのだろう。アメリカを支えるためには、日本の農業はどうなってもよいと思っているはずだ。

 最近、政府の規制改革会議が農協をどう料理しようかと話し合っている。TPPに反対するJA、農家を一応束ねているJA、そして貯金をたくさん集めているJA、そうしたJA=農協を解体することを、新自由主義者たちは「今だ!」とばかりに、狙いを定めている。

 今日の時事通信の配信記事。農業破壊政策を話し合う規制改革会議から目を離せなくなっている。

JA全農を株式会社化=条件付きで企業に農地保有―規制会議が農業改革案

時事通信5月14日(水)19時52分

 政府の規制改革会議(議長・岡素之住友商事相談役)は14日の農業作業部会で、農業規制見直しの提言案をまとめた。焦点の農協(JA)改革では、生産者から集めた農作物の販売などを行う全国農業協同組合連合会(JA全農)の株式会社化などを提唱。農地を保有できる農業生産法人への企業の出資規制の緩和や、条件付きで企業に出資を通じた農地保有を認める内容も盛り込んだ。
 会合後に記者会見した農業作業部会の金丸恭文座長(フューチャーアーキテクト社長)は、JA全農の株式会社化を求める理由として「企業への出資などを行いやすくなり、大きな付加価値を獲得できる」と指摘した。


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福島の鼻血

2014-05-14 14:12:48 | 政治
 国会でも、すでに鼻血が問題になっていた。政府や福島県は「風評」とかいうわけのわからないことばを使って、真実を覆い隠そうとしている。ふざけるな、といいたい。この政府や福島県の鼻血否定発言について、メディアはきちんと報道しているだろうか。

http://www.youtube.com/watch?v=k7kZRRkR6Xg

http://www.youtube.com/watch?v=OqkbuO-MwuQ

http://radiation7.blog.fc2.com/blog-entry-3593.html

http://takedanet.com/2014/05/post_ad64.html
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ショックな記述

2014-05-14 13:46:38 | 読書
 今日、注文していた『暴露 スノーデンが私に託したファイル』(新潮社)が届いた。この本、世界各地で同時発売される本という売り込みである。とにかく読んでみようということから購入したのだが・・・・

 読みはじめて、もちろん最初のところだけだが、驚くべき記述があった。秘密の話をする時には、携帯電話やパソコンは近くに置いておいてはいけないというのである。

 政府は携帯電話やノートパソコンを遠隔地から起動させ、盗聴器としてつかうことができるから(26頁)

 これは著者、グレン・グリーンウォルドの第一章「接触」からであるが、これだけでなく、「序文」にもすごいことが記されている。どこの国でも、政府・国家権力は人々を監視するシステムが稼動していているということであり、インターネットはそのための重要な手段となっている、というのである。

 インターネットは、大量監視システムでもあること、「国家による監視手段としてどこまでも危険で抑圧的な人類史上最悪の兵器」(16頁)なのである。

 さあ次を読もう。
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書物は人々に力を与えてくれます

2014-05-13 21:16:59 | 社会
 「書物は人々に力を与えてくれます」ーこれは、『世界』今月号のN・チョムスキーの発言である。

 確かにボクにとってはそうなんだけれども、しかしどうなんだろうか。

 『世界』を買いに書店に行ったとき、一つのコーナーに排外主義的な本が積まれていた。無責任な内容の本だ。こういう本が売れるから、たくさん積まれているのだろう。となると、確かに本は力を与えているのだろう。

 だが国家間の対立を際立たせる、それもいい加減な内容のものが、かくもたくさん出版されるという時代は、少なくともボクの読書人生にはなかった。時代が変わったということを感じる。

 こういう状況をつくりだしている原因に、中国が南シナ海で行っている行為があるのだろう。中国は大国としての力を誇示しようとしているのだろうが、その仕方に問題があると思う。威嚇的ではなく、南シナ海の資源を周辺諸国と協調しながら開発していってほしいと思う。

 平和共存、これこそ20世紀に人類が学んだことだ。

 理性的に解決していくためには、理性的な書物を読んで考えることが必要だ。理性的な、知性にあふれた本を読んで欲しいと思う。

 たとえば、この『世界』を。
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