心の扉 神戸カウンセリング花時計

心理療法や催眠療法、ストレス解消や悩み等メンタルに関するもの、そして日常の出来事を自由気ままに掲載します。

毘沙門堂門跡Ⅱ

2022年12月02日 | 名所めぐり(京都)

 

薬医門 内側

 

 

 

中心伽藍境内

 

薬医門(右)、勅使門(中央)、本堂(奥)。

 

 

 

玄関

 

ここ玄関にも結婚式の和装に身を包んだ男女の姿が、

今日は、これで一組、二組・・・6組目。

毘沙門堂門跡では極普通?まさかね。さすがにね。

 

 

 

般若桜(枝垂れ桜)

 

門跡寺院だけに造られる宸殿は、

江戸時代の1693年に後西天皇の御所を移築された建物。

その前には、樹齢150年の見事な枝振りの般若桜があります。

 

 

 

勅使門 内側

 

 

 

勅使門から

 

 

 

山王社

 

山王とは、滋賀県大津市坂本の日吉大社で祀られる

比叡山に鎮まる神。

 

 

 

本堂と透塀

 

 

 

 

 

 

鐘楼

 

五本定規筋が引かれた筋塀の隅に

ひっそりと佇む鐘楼は、京都市指定有形文化財

 

 

 

仁王門

 

毘沙門堂門跡の御本尊は、寺名の通り毘沙門天

 

朱色の仁王門(京都市指定有形文化財)の中央に

吊り下げられた毘沙門天と書かれた提灯が印象的です。

 

毘沙門天は、四天王の一神で北方の守護神

武運の神として上杉謙信ら戦国武将から信仰を集めました。

また厄除け、恵方の神であり、財運を授け

大願成就を助けるとされている七福神の一神でもあります。

 

 

 

仁王像 阿形

 

毘沙門堂門跡の仁王像は、1665年に造られたもの。

 

 

 

仁王像 吽形

 

 

 

仁王門から

 

 

 

手水舎

 

水口が龍の頭部のみとなっているのも珍しい。

 

 

 

経蔵

 

 

 

稲荷社

 

 

 

高台弁財天 鳥居

 

弁財天も七福神の一神で水に関連する神様。

金運や商売繁盛、芸能、学問、恋愛成就や子孫繁栄や長寿等、

様々な御利益があるとされています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高台弁財天

 

高台弁財天は、豊臣秀吉の母(大政所)

大阪城内に祀っていたもので

豊臣秀吉の正室(北政所)が高台寺に遷し

公弁法親王が庶民の為に毘沙門堂門跡へと遷しました。

 

 

 

唐門

 

本殿前の朱色の唐門(京都市指定有形文化財)は、

江戸時代の1665年に建立。

 

毘沙門堂は、応仁の乱によって焼失

1469年に再建しますが、1571年に再び焼失。

 

江戸時代の初頭の慶長年間(1596年~1615年)に

徳川家康公の側近であった天海僧正の尽力により

復興が開始されました。

 

徳川家寄進により建立された本殿や唐門は、

日光東照宮の建築様式を色濃く受け継いで

色鮮やかな彩色や装飾が施されています。

 

 

 

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毘沙門堂門跡Ⅰ

2022年12月01日 | 名所めぐり(京都)

 

北野天満宮の史跡御土居のもみじ苑の観賞を終えて

次に向かったのは、京都市山科の毘沙門堂門跡です。

 

毘沙門堂門跡は、三千院、曼殊院、青蓮院、妙法院と並んで

天台宗京都五ヶ室門跡の一つで、

春は桜、秋は紅葉の名所としても知られています。

 

なので毘沙門堂門跡の初拝観は、

境内が紅葉の赤色に染まる季節と決めていました。

 

 

 

毘沙門道

 

長く長く続く緩やかな坂道の先に毘沙門堂門跡があります。

 

長い直線道路を目にすると

脚がいやいやしている感覚に気持ちが向いて

かなり気が重くなってしまうので

 

とんでもなく馬鹿馬鹿しいことや

毘沙門堂門跡の紅葉を楽しく鑑賞している

自分の姿を想像したりして

気持ちのチャンネルを変えるようにしています。

 

 

 

琵琶湖疏水第4号橋「安朱橋」

 

安朱橋は、2000年(平成12年)の6月の

改修工事でコンクリート化されて

琵琶湖疏水の開通以来存在していた古い橋梁は、

姿を消してしまいましたが橋の名は継承されました。

 

 

 

琵琶湖第一疏水(山科疏水)

 

この琵琶湖疏水の両岸は、春には桜の花で覆われるようです。

この琵琶湖疏水沿いに西側に進むと

南禅寺近くの蹴上のインクラインまで続いている?

 

 

 

琵琶湖疏水 安朱橋東側

 

以前、東福寺拝観の際は、東福寺駅の改札を出ると

東福寺へと向かう大勢の人の流れに乗れば自然と到着しました。

毘沙門堂道には、そのような人の流れが出来ていないので

落ち着いて拝観出来そうです。

 

 

 

毘沙門堂 是より北三町『道標』

 

石の道標が、あと少しだから頑張れと

言ってくれているようです。

 

 

 

 

ようやく毘沙門堂門跡らしきものが。

 

 

 

極楽橋

 

後西天皇が毘沙門堂を訪れた際に

『橋より上はさながら極楽浄土のような清浄華麗な霊域である。』

と褒め讃えられ極楽橋と名付けられました。

 

極楽橋の手前中央に下乗と刻まれた石柱があり

どんなに位の高い人でも極楽橋の手前で

乗り物から降りて参拝することを求めています。

 

なので馬に乗ってきた人も駕籠に乗ってきた人も

肩車をされている子供も降りなければなりませんが

銀の龍の背に乗ってきた人は、例外との噂が。

 

 

 

毘沙門堂門跡石碑

 

毘沙門堂門跡の石碑から観る紅葉の様子からすると

拝観のタイミングとしては

なかなかの良かったのではと思われます。

 

 

 

 

仁王門へと続く急勾配の石段を登らずに

もう少しだけ西側に歩みを進めます。

 

 

 

勅使坂

 

毘沙門堂門跡の一番有名で人気の場所が

この勅使門へと続く勅使坂を赤く染める敷き紅葉。

 

この勅使坂の敷紅葉の景観を保つためにも

『拝観者は、中央を歩いてね。』と書かれていました。

 

雨が降った直後、

多くの参拝者が足を踏み入れる前に訪れると、

毘沙門堂門跡のHPのような

踏み荒らされていない降り積もった雪を観るかの如く、

眩いばかりの赤色に染まった勅使坂を拝めるらしい。

 

 

 

 

近々、結婚するであろう二人の

記念撮影の場所としても人気のようですが

今日は、驚くほど多かったんですよね。

 

 

 

 

 

 

勅使坂脇の紅葉

 

 

 

勅使門前からの敷紅葉

 

 

 

勅使門

 

1693年(元禄6年)に

御所より移築されたもので京都市指定有形文化財。

 

 

 

 

 

 

薬医門

 

 

 

 

 

 

 

 

 

薬医門 石段

 

 

 

薬医門

 

薬医門の名称は、

矢の攻撃を食い止める『矢食い』からとも

医者の門として使われたからとも言われていますが

はっきりとしたことは分かっていないようです。

 

薬医門とされる門は、面白い耕造をしていて

前方(外側)の2柱が、後方(内側)の2柱よりも太く

屋根の中心がやや前側にずれています。

 

なんでまたわざわざ

そのような構造になっているのかは

少し調べただけじゃ分からん。

 

 

 

薬医門前からの紅葉の景観

 

 

 

薬医門 内側

 

毘沙門堂門跡の主だった伽藍がある境内へと

薬医門から足を踏み入れます。

 

 

 

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京都 北野天満宮Ⅱ

2022年11月29日 | 名所めぐり(京都)

 

 

北野天満宮の主だった所の拝観を終えて

一度位は、拝んでおきたかった

史跡御土居もみじ苑に向かいます。

 

 

 

 

史跡御土居もみじ苑の入苑手続きを終えて

青白幕に導かれて史跡御土居もみじ苑へ

 

 

 

史跡御土居のもみじ苑 入り口

 

得た情報では、色付きが五割程度とのことで

入り口周辺の色も赤色じゃなくて緑色が多く、

期待通りの紅葉の世界を堪能するには

ちょっとだけ訪れるのが早かったかも知れません。

 

 

 

梅交軒 舞台

 

史跡御土居もみじ苑の紅葉観賞は、

もみじ苑入り口から直ぐの梅交軒の舞台から始まります。

 

 

 

史跡御土居

 

御土居とは、1591年に天下人の豊臣秀吉が

洛中洛外の境界および水防の為に築いた土塁のことで

現在ではその殆どが取り壊され残っていませんが

北野天満宮の境内には、その一部が残されていて

史跡に指定されています。

 

写真の場所だけが御土居ではなくて

もみじ苑の高台の部分が御土居となるのですが

ちょっと写真では解り辛いかも知れません。

 

 

 

東風(こち)

 

東風は、樹齢600年の大欅(けあき)で

豊臣秀吉が御土居を造成した時からあるとされていて

名称の東風は、菅原道真が京を去る時に詠んだ

短歌にちなんだもの。

 

紅葉した立派な樹の下で

多くの人が立ち止まり撮影をしていました。

 

 

 

鶯橋

 

まだまだ緑色の紅葉が多く

史跡御土居もみじ苑の絶頂期ではないと思われますが、

かなりの散紅葉によって足元は赤色に染まっています。

 

初めて訪れた御土居もみじ苑なので

今が絶頂期でないことは感覚的に分かりますが

それが何割程度か全く分からん。

 

 

 

展望所

 

御土居の展望所からの北野天満宮の本殿。

 

 

 

 

天気予報では昼過ぎまで晴れだったのですが

私が御土居に立った時には、空が雲に覆われてしまって

陽光に輝く紅葉の赤色が見れない………

頑張れ太陽!

 

 

 

 

 

 

 

御土居の下に降りていきます。

御土居の囲む範囲は広大だったようで

南北約8.5㎞、東西約3.5㎞の

縦長の形をしていて全長は約22.5㎞。

 

これほどの立派な土塁を造設するための土は、

どこから調達したのかは分かっていないようです。

 

 

 

 

豊臣秀吉は、

城攻めの際に急ごしらえで広大な堤防を造って

水攻めをしたり、御土居を完成させたりと

土木工事が得意だったのかもね。

 

多くの月日が流れ

河川敷の土手のような人工物であった御土居は、

まるで最初からここにあった自然物かのように

その姿を変えています。

 

 

 

 

 

 

鶯橋

 

鶯橋は、御土居の中を流れる紙屋川(天神川)に架かる橋で

季節に周辺で鶯が囀ることに由来します。

鶯にとっては、大阪道頓堀のひっかけ橋のような場所なのかな。

 

 

 

 

1935年に豪雨によって流失したものを

2007年に木製の太鼓橋として再建されました。

豪雨によって流失って………想像がつかん。

 

温暖化による水害被害もあるのでしょうけど

凄まじい豪雨は、昔からあったようです。

 

 

 

 

 

 

鶯橋と紙屋川(天神川)

 

鶯橋の周辺の樹々は、緑色が多く感じられるのに

御土居の斜面、紙屋川は散紅葉で赤色に染まっていて

御土居もみじ苑の絶頂期がますます分からん。

 

 

 

 

この辺りは、ほぼほぼイイ感じ。

 

 

 

 

紙屋川の対岸の御土居下の梅林。

 

 

 

 

この辺りは、まだこれからな感じ。

京都市内という広い区域であるならまだしも

北野天満宮境内という狭い区域にも

樹々の紅葉に時間差があるようです。

 

 

 

もみじ苑 梅林

 

 

 

お茶所

 

もみじ苑の出口手前にあるお茶所で

入苑のチケットを渡すと温かいほうじ茶と

京都の和菓子の老舗『老松』の和菓子がいただけます。

 

 

 

ほうじ茶と和菓子

 

もみじ苑の観賞を終えて最後にあるのが良いですね。

少し疲れた脚を休めながら

温かいお茶とお菓子を頂くことが出来ます。

 

そして、お茶所の長椅子からは、

約2万坪の敷地に梅50種約1,500本が植えられている

梅苑『花の庭』が見えます。

 

 

 

花の庭

 

明治時代までこの地にあった

北野社神宮寺成就院『花の庭』は、

 

妙満寺塔頭の成就院『雪の庭』

 

 

 

清水寺塔頭の成就院『月の庭』とで

 

成就院『雪月花の三名園』と呼ばれていました。

 

北野社神宮寺成就院が廃され

『花の庭』も壊されたままになっていましたが

2022年に残されていた庭石を利用して

『花の庭』として復興されました。

 

ただお茶所から見る限り

時代を感じられる古い庭園感はないので

北野社神宮寺成就院の『花の庭』を復興したのではなくて

現代的な設計を取り入れた新たな梅苑『花の庭』として

造園されたものかと思われます。

 

紅葉加減が五割との

北野天満宮の史跡御土居もみじ苑の観賞でしたが

十分に楽しめましたのは

私の日頃の行いのお陰だと信じていいのでしょうか。

 

次の目的地も、

前々から一度は訪れてみたかった場所で

非常に期待しています。

 

 

 

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京都 北野天満宮Ⅰ

2022年11月28日 | 名所めぐり(京都)

 

東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花

あるじなしとて 春を忘るな

 

 

名所巡りで京都を訪れるのは

石清水八幡宮に参拝して以来なので

もう半年近くも前になります。

 

私の感覚では、『この前』とか『少し前』、

実際の時は、半年近くも流れている。

速い時の流れをラフティングで楽しむように

乗りこなしてやろうと思っとります。

 

さてですが

今回の京都名所巡りの最初の目的地は、

前々から一度位は観賞しておきたいと思っていた

北野天満宮もみじ苑の紅葉です。

 

 

 

 

 

 

北野天満宮 一ノ鳥居

 

北野天満宮は、二度目の拝観となるので

境内の写真は、軽くだけ撮ろうと思っていたものの

あれもこれもと撮影することに。

 

 

 

 

京都・北野天満宮は、

学問の神様として知られる菅原道真公を主祭神として

お祀りしている全国約1万2千社の天満宮・天神社の総本社で、

福岡県の太宰府天満宮と共に天神信仰の中心です。

 

1587年、豊臣秀吉によって北野大茶湯

催されたことでも知られています。

 

 

 

 

今でこそ北野天満宮の主祭神の菅原道真は、

学問の神様と敬われ讃えられ信仰されてと人気がありますが、

菅原道真公を陥れた左大臣藤原時平を呪い殺し

口車に乗って左遷を決定した醍醐天皇と皇太子までも

病にかけて弱らし殺し、京の都を落雷でボコボコに攻撃したりと

とんでもなく恐ろしくお人なんですよね。

 

なので不敬で不遜な態度で境内に足を踏み入れると

なにかの災いに見舞われるかも。くわばら くわばら。

 

 

 

北野天満宮 ニノ鳥居

 

2017年1月の初参拝のことを懐かしく思いつつ

新鮮な気持ちで参道を歩きます。

 

北野天満宮では、

主祭神の菅原道真の誕生日と命日の25日には、

天神さんの日として毎月、縁日が開催されています。

キリストの誕生を祝う日も25日。

 

これはもう菅原の道真公は

キリストの生まれ変わりに間違いない。知らんけど。

 

 

 

北野天満宮 三ノ鳥居

 

 

 

伴氏社(ともうじしゃ)

 

三の鳥居の手前にある伴氏社

主祭神の菅原道真公のを祀っています。

蓮の台座の石鳥居は、『蓮の鳥居』と呼ばれ

国の重要美術品に指定されています。

 

 

 

太閤井戸

 

北野大茶湯で水を汲んだとされる井戸。

 

 

 

北野天満宮 楼門

 

菅原道真公を称える『文道大祖 風月本主』の扁額が掲げられ

両脇には、平安時代に貴族の護衛を務めた官人『随身』の像が

門を守護するように安置されています。

 

 

 

 

 

 

楼門 随身

 

 

 

 

 

 

 

 

 

北野天満宮 手水舎(梅香水)

 

コロナ禍の影響で不特定多数の人が使用する手水舎を

使用中止とする神社や寺院が増え、

その代わりに目で見て心を清めてもらうことを目的に

手水鉢に花を飾る神社や寺院が増えました。

コロナ禍が終わると花手水も無くなるのだろうか。

 

 

 

北野天満宮 絵馬所

 

元禄12年(1699年)に建てられたもので

規模、歴史は現存する絵馬所の中でも随一とのことで

京都市指定有形文化財。

 

絵馬所の内外には、時代を感じられる絵が

多数掲げられているのでかなり楽しめます。

 

 

 

北野天満宮 三光門

 

多くの神社の参道は、鳥居から本殿まで真直ぐで

北野天満宮の参道は、絵馬殿の所で左にクイッとズレています。

これには何らかの理由があるんでしょうね。

 

 

 

北野天満宮 撫牛

 

全国の天満宮・天神社にお馴染みの臥牛像。

北野天満宮において神使は牛とされていて

境内には、数多くの臥牛像があります。

 

境内の牛の像が立ち姿ではなく

座り込んでいる姿になっているのは、

 

大宰府で生涯を閉じた菅原道真公は、

『人に引かせずに牛の行くところに留めよ。』

との遺言を残します。

 

その遺言通りに道真公の御遺骸を牛車で運んでいると

ある場所で牛が座り込んで動かなくなったため

近くの安楽寺に埋葬されることになったという

故事にちなんだもの。

 

 

 

北野天満宮 三光門

 

御本殿前の中門は、江戸時代初期1607年に

関白・豊臣秀頼によって建立されたもので

1898年12月に国の重要文化財に指定されました。

 

三光門は、日・月・星の彫刻があることから

三光門と呼ばれているのですが

どうした訳か星の彫刻だけが見当たらず

星欠けの三光門とも言われています。

 

一説によると、星は彫刻ではなくて

実際に天上に輝く北極星とのことらしい。

 

 

 

 

門柱の間隔に比べて大きな屋根が印象的だったので

私の場合、北野天満宮と言えばと問われると

真っ先に浮かぶのが三光門なんですよね。

 

 

 

 

三光門に掲げられている勅額「天満宮」は、

後西天皇の宸筆。

 

 

 

北野天満宮 拝殿・本殿

 

現在の北野天満宮の本殿と拝殿は、

1607年(慶長12年)に豊臣秀頼の寄進により

造営されたもので国宝に指定されています。

 

 

 

 

北野天満宮の神使である牛の像の殆どが臥牛像ですが

拝殿の欄間にだけ立ち姿の牛が彫られています。

その理由は、謎だそうです。

 

 

 

北野天満宮 宝物殿と神楽殿

 

宝物殿は、まだ入ったことがないので

次の拝観では歴史的に貴重な品の数々を

拝見させてもらおうかと思っています。

 

 

 

神楽殿

 

 

 

社務所

 

 

 

拝殿 東廻廊

 

 

 

北野天満宮 本殿

 

本殿の東側。右奥に見える朱色の社は地主神社

 

 

 

御后三柱(裏の社)

 

 

 

御后三柱(裏の社)

 

本殿の祭神・菅原道真公の神座の真後ろに

背中合わせの北向きに建てられている社で

天穂日命、菅原清公卿、菅原是善卿の三神をお祀りする社。

 

 

 

文子天満宮

 

菅原道真公が大宰府で没して40年後の942年に

巫女の多治比文子に菅原道真公の神霊より

『我が魂を現境内地の右近の馬場に祀れ』とのお告げがあり

文子の自宅に道真の御霊をお祀りしたのが

北野天満宮の発祥とされています。

 

 

 

老松社(右)と十二社(左)

 

老松社の御祭神は、島田忠臣は道真公の家臣。

一説には、夫人の父とも言われている人物で

太宰府天満宮老松社では、

道真公の父君『是善卿』と母君『伴氏』として

お祀りしています。

 

 

 

絵馬掛所

 

学業成就、合格祈願などの願いが込められた絵馬は、

毎年数十万枚にも及ぶそうで

まるで藤の花のように絵馬が掛けられています。

 

これ京都の神社の中でも一番多いんじゃないかと。

 

 

 

北野天満宮 石の間

 

一段低く建てられ本殿と拝殿を繋いでいます。

 

 

 

本殿西側 四社・七社

 

 

 

北野天満宮 紅梅殿

 

1916年(大正5年)に調理所として建築。

 

大宰府に左遷されることになった

道真公が京との別れを惜しんで

東風吹かば にほひをこせよ 梅の花

あるじなしとて 春を忘るな

と詠んだ御邸宅の『紅梅殿』の名を付けられた建物では、

ご祈祷や神前結婚式や曲水の宴等を行います。

 

 

 

北野天満宮 船出の庭

 

2015年(平成27年)に作庭された紅梅殿『船出の庭』は、

道真公の邸宅に実際にあった庭園を

北野天神縁起絵巻等を参考に再興されたました。

 

 

 

 

 

 

北野天満宮 摂末社

 

北野天満宮の初拝観の時を懐かしく思い出しながら

境内の主だった場所を一通り巡り終えて

いよいよ、今回の目的のもみじ苑へと足を踏み入れます。

 

 

 

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京都 石清水八幡宮Ⅱ

2022年06月06日 | 名所めぐり(京都)

 

石清水八幡宮【国宝】

 

貞観元年(859年)に清和天皇の勅命で建立されて以来

幾度も焼失して造営14度、修理17度を経ていて

現在の御本殿は、徳川三代将軍の家光が修造したもので

現存する八幡造りの本殿の中で最古かつ最大規模

 

肉眼で見たままの御本殿の荘厳さを

写真に納めようと何枚か撮影したのですが

満足する写真を撮影出来ていないんですよね。

 

 

 

 

楼門から奥へと舞殿・幣殿・本殿が続き、

廻廊も含めて国宝に指定されています。

つまりは朱色の部分が全部国宝ですね。

 

 

 

 

奈良の春日大社でも印象的だった釣り燈籠が

石清水八幡宮御本殿の廻廊にも数多く見られます。

 

 

 

 

 

 

神楽殿の楠木(楠木正成公の大楠)

    

 

神楽殿の樹齢600年~700年の

大楠【京都府指定天然記念物】は、

1334年に楠木正成公が参拝し

必勝を祈願した際に植えた7本の内の一本です。

 

 

 

築地塀(信長塀)

 

土と石灰を油で塗り固め、瓦を重ねて作られていて

強固さと防火性に優れた土塀は、信長塀とも言われています。

 

 

 

西総門【重要文化財】

 

 

 

西門・回廊【国宝】

 

 

 

西門 木鼻

 

寺院建築で良く見られる木鼻が社殿に。

 

 

 

校倉(左)・住吉社(右)

 

社殿背面にある

校倉(左)は、【京都府指定有形文化財】。

住吉社(右)は、【重要文化財】。

 

 

 

本殿背面 廻廊【国宝】

 

社殿の朱色のものは、全部国宝。

 

 

 

北総門【重要文化財】

 

 

 

北総門【重要文化財】・貴船社・龍田社

 

 

 

若宮社【重要文化財】・若宮殿社【重要文化財】

 

 

 

 

若宮殿社(左)【重要文化財】

気比社(中央)・水若宮社(右)

 

 

 

石清水八幡宮 鬼門封じ

 

社殿の東北部分は鬼門であるために

鬼門封じとして土台の石垣が切り取られています。

 

こうすることで

牛の角を持ち、虎の毛皮を身に纏った鬼が来ることを

封じることが出来るらしいのですが

その方面に疎い私にはその理屈が分からん。けど面白い。

 

 

 

東総門【重要文化財】

 

 

 

東門【国宝】

 

石清水八幡宮の初参拝の最後は、展望台を訪れます。

 

 

 

石清水八幡宮 展望台

 

展望台は、本宮の北側にあって

木津川、宇治川、桂川の三川。

天王山、愛宕山、比叡山、京都市街地、醍醐、宇治等が

パノラマで眺望できます。

 

 

 

 

木津川と宇治川の間にある京都の桜の名所の一つ、

背割堤(せわりてい)も見えます。

 

 

 

 

目の前に広がる地域が、天王山の戦いとか山崎合戦と言われる

中国大返しの豊臣秀吉明智光秀とが激突した合戦場。

 

 

 

 

世界でも権威ある酒類コンペティションで

金賞に輝いた『山崎12年』

 

今も世界で高く評価されているウィスキー『山崎』を

生み出した山崎蒸留所も見えるはずですが

肉眼では難しいかな。

 

夜の街で一度だけ頂戴しましたが

かなり飲みやすかった記憶があります。

 

 

 

 

数多くの歴史を見てきた石清水八幡宮。

 

室町幕府の第六代将軍を

何とまあ驚きのクジ引きで決めたのですが

そのクジ引きが行われたのも

ここ石清水八幡宮なんですよね。

 

今回の京都名所巡りを石清水八幡宮で終えて

神戸に向かいます。

 

皆様、今回も私の趣味にお付き合い下さり

ありがとうございました。

皆様も少しは楽しんで頂ければ幸いです。

 

次回の名所巡りもお付き合いして頂ければ

嬉しく思います。

 

 

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京都 石清水八幡宮Ⅰ

2022年06月05日 | 名所めぐり(京都)

 

 

今回の京都名所巡りで最後に訪れたのは

京都府八幡市の男山の山頂にある石清水八幡宮

2012年(平成24年)1月には

境内全域が国指定史跡となっています。

 

また石清水八幡宮は、大分県の宇佐神宮、

福岡県の笘崎宮(または神奈川県の鶴岡八幡宮)らと共に

日本三大八幡宮の一つに数えられていて

本殿を含む建造物10棟が国宝に指定されています。

 

 

 

    

 

石清水八幡宮は、

貞観元年(859年)に清和天皇の命により

平安京の南西の裏鬼門を守護する神社として創建され

北東の鬼門を守護する延暦寺と共に

皇室や朝廷から篤く崇敬されていました。

 

また源氏一門から氏神として崇められ

元々あった武神『弓矢の神』としての信仰が強くなり

織田信長、豊臣秀吉ら多くの武将達から崇敬されていて

合戦の前に参拝に訪れていたようです。

 

 

 

石清水八幡宮 ボーイスカウト像

 

石清水八幡宮の社務所内には

ボーイスカウト事務局があって様々な活動を行っています。

 

 

 

石清水八幡宮 涌峯塔(ゆうほうとう)

 

昭和59年(1984年)に

彫刻・陶芸家の清水九兵衛氏の設計で建てられた

高さ18.3mの涌峯塔(ゆうほうとう)は、

モニュメントでもあるし給水塔としても機能しています。

 

 

 

エジソン記念碑

 

エジソンは、電球開発において

重要なフィラメントの素材に竹を使用すると

電球の持ちが飛躍的に伸びることを発見し、

世界で最適の素材が日本の竹だったと言うのは

どこかで聞いたことがあったのですが

それが男山周辺に自生する真竹だったとまでは

知らなかったんですよね。

 

 

 

石清水八幡宮 三ノ鳥居

 

ー オードリー・ペップバーン ー

 

恐怖、孤独、不幸を感じる人に

最高の治療法は外に出ることです。

 

どこか安らげて、至福と自然があり

神と向き合える場所へ

それらが存在し続ける限り

悲しみは必ず癒されます。

 

私は確信しています。

自然は、どんな困難にも慰めを与えると

 

 

 

一ツ石(勝負石)

 

三ノ鳥居を潜って直ぐの参道中央にある一ツ石は、

勝負石、百度石とも呼ばれています。

かつて走馬・競馬の出発点だったとされています。

 

 

 

鳩峯寮の庭(はとみねりょう)

 

昭和36年(1961年)の

第二室戸台風で倒壊した三ノ鳥居の石材を用いて

昭和41年(1966年)に

重森三玲氏によって作庭されました。

 

 

 

 

石清水八幡宮への参拝ルートは、

〇一ノ鳥居から徒歩で表参道又は裏参道のルート。

〇京阪電車石清水八幡宮駅からケーブルカーのルート。

〇境内まで車であがるルート。

 

最初の予定は、徒歩で男山山麓の一ノ鳥居から頓宮、

表参道を利用し、本殿へと向かうつもりでしたが

三ノ鳥居から下方へ続く恐ろしく急な階段を

参拝者の皆さんが息を切らして登って来るのを見ると、

車で男山頂上までが正解でしたね。

 

 

 

御鳳輦舎(ごほうれんしゃ)

 

鳳輦が三基納められています。

鳳輦とは、神輿と考えても良いかと思います。

 

 

 

石灯籠群

 

 

 

 

石灯籠が立ち並ぶ参道の奥には、南総門が見えます。

 

 

 

御羽車舎(おはぐるましゃ)

 

御羽車二基が納められています。

御羽車とは、神輿に似ていて神輿でもなくて

天神祭りとか祇園祭の山鉾巡礼の中で

見ることが出来たような………。

 

 

 

社務所

 

 

 

 

 

 

書院石庭

 

書院石庭は、1952年(昭和27年)に

重森三玲氏によって作庭されました。

 

 

 

 

この書院庭園は、国生み神話を表現したもので

中央の小さな石は、おのころ島と言う人もいるのですが、

本当のところはどうなんでしょうね。

 

 

 

 

右奥にある石灯籠は、

鎌倉期の1295年にあたる『永仁三年末乙三月』の銘があり

重要文化財に指定されています。

 

 

 

 

 

 

手水舎

 

石清水 つきぬみいつを とこしえに

くみて あがめむ 神の御光

 

男山に湧き出る清水が

永遠に尽きることがないように

石清水八幡宮の神の

尽きることのない御威光を崇め奉りましょう。

 

 

 

 

 

 

酒樽奉献舎

 

 

 

南総門

 

昭和13年(1938年)に再建された南総門を潜ると

石清水八幡宮の象徴的な社殿がお目見えします。

 

 

 

納め所・神楽殿

 

南総門を潜って左手にある納め所・神楽殿。

 

 

 

授与所

 

南総門を潜って右手にある授与所。

 

 

 

南総門 内側

 

くるりと後ろを振り返ると南総門。

 

 

 

石清水八幡宮 楼門【国宝】・本殿【国宝】

 

石清水八幡宮の御本殿は、

二棟の建物を前後に連結させて一つの社殿とする

独特の構造をしている八幡造りで

楼門から奥へと舞殿、幣殿、本殿が続きます。

 

立派な社殿。美しい社殿。荘厳な社殿。

 

 

 

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京都 徳迎山 正法寺Ⅱ

2022年06月04日 | 名所めぐり(京都)

 

徳迎山 正法寺 本堂庭園

 

私達を最初に出迎えてくれたのは

本堂と大方丈に面した枯山水庭園です。

 

 

 

本堂庭園・唐門【重要文化財】

 

三尊石と十二神将を模した石を配置して

周りの放射状の線は、後光を表しているとのこと。

 

 

 

 

 

 

 

唐門、鐘楼、中門、大方丈の建物と

庭園が一体となった景観。

 

 

 

正法寺 本堂【重要文化財】

 

本堂は、1962年(江戸時代・寛永6年)頃に

相応院『お亀の方』によって建立されたものです。

 

本堂内部は、外陣、内陣、脇陣、後陣からなっていて

その装飾もかなり手の込んだものとなっています。

 

内陣には、阿弥陀如来と両脇座像の仏像が安置されていて

後陣には、歴代の徳川家の大きな位牌が祀られています。

 

 

 

 

本堂の屋根を支える二重の垂木の先端は、

金箔の逆輪(さかわ)が装飾されているのですが

これ十回以上の工程を経て金箔を張り付けています。

 

数年前に本堂の逆輪半分程度を修復したそうですが

このような技術が絶えることなく

伝承されていることが素晴らしい。

 

 

 

東照権現堂

 

 

 

 

観光ガイドさん曰く

この東照権現堂には少し不思議なことが。

 

 

 

 

屋根に設置されている阿吽の唐獅子像。

通常は、向かって右側に阿形像、

左側に吽形像を配置するのですが、

この阿吽の唐獅子像の配置が逆になっています。

 

最初からそうなのか、いつからそうなったのか、

何か意図があるのか、単に修繕の際に配置を間違ったのか、

観光ガイドさんも分からないそうです。

 

 

 

正法寺 小方丈【京都府指定文化財】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正法寺 開山堂

 

 

 

小方丈から本堂

 

当然ながら小方丈の建物内も撮影禁止。

なので大方丈、本堂、小方丈、書院等の

時代を感じられる素晴らしい室内装飾と襖絵など

写真に残せないのが残念です。

 

 

 

小方丈から 本堂・本堂庭園

 

 

 

小方丈・書院(奥)【京都府指定文化財】

 

小方丈から書院へと向かいます。

 

 

 

書院庭園 手水鉢

 

 

 

書院庭園【京都府名勝指定】

 

池泉鑑賞式庭園の書院庭園

池泉鑑賞式庭園とは、庭園を座敷や書院等の建物から

眺めることを想定して作庭されたもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瀧石組

 

滝石組が施されているだけでなく

実際に水が流れ落ちています。

 

 

 

 

昔は、庭園前の山にあった神社に参拝するために

池泉の飛石を渡り向かっていたのだそうです。

 

料理が高級すぎるお皿に盛られて提供されたら

私なんかは緊張して料理の味が

全くしなくなるに違いないのですが、

 

本堂・大方丈・小方丈・書院等の

室内装飾、襖絵等、どれも立派過ぎて

本堂は別にしても実際に使用されているのだろうか。

 

実際に使用する際は、

どんな気分になるのだろうか。

 

 

 

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京都 徳迎山 正法寺Ⅰ

2022年06月03日 | 名所めぐり(京都)

 

徳迎山 正法寺は、建久2年(1191年)に

鎌倉幕府の御家人の高田蔵人忠国により

天台宗の寺として開創。

 

天文15年(1546年)に

室町時代に住職となった伝誉上人は、

後奈良天皇の帰依を受け勅願寺となりました。

 

正法寺を菩提寺とする志水宗清の娘『お亀(相応院)』

伏見城に住んでいた徳川家康公の目に留まり側室となり

家康公の第9子を産み(後の尾張徳川家初代の義直

正法寺は繁栄していきます。

 

 

 

京都 徳迎山 正法寺

 

子供を行水中であったお亀の方

まもなく家康公が訪れると聞き、

このままでは無礼になると

行水中だった子供をたらいごと抱えて建物の中へ。

 

そのお亀の姿を見た家康公は、

丈夫で健康な我が子を産んでくれるに違いないと

側室へと向かえたという話が面白い。

 

今の時代、女性は子供を産む道具じゃないって

家康公も怒られるのかな。

 

 

 

徳迎山 正法寺 総門

 

1616年に家康公が亡くなると

お亀の方は髪を下ろして『相応院』となり

義直と共に名古屋に移りますが

その後も正法寺は、尾張藩の厚い庇護を受け続けます。

 

1629年頃には、相応院の寄進によって

現在も残る本堂・唐門・大方丈が建立されました。

 

 

 

正法寺 地蔵堂

 

そんな徳迎山 正法寺は、通常は非公開で

年間8日間だけ、たった8日間だけ特別公開されます。

 

今回の京都巡りは、松花堂庭園の特別公開日

ここ正法寺の特別公開日に合わせて出発しました。

 

 

 

正法寺 法雲殿

 

法雲殿の中には、男山の八角堂に安置されていた

480㎝に及ぶ石清水八幡宮の本地仏(鎌倉時代作)の

木造阿弥陀如来坐像【重要文化財】が安置されています。

 

以前、清凉寺の霊宝館で拝見させて頂いた

源氏物語の光源氏のモデル源融の供養のために造られた

阿弥陀三尊像以来の感覚が生じるほど

素晴らしい仏像です。

 

時間にゆとりがあれば仏像の前に腰を下ろして

1時間でも2時間でも拝見し続けたくなります。

 

 

 

徳迎山 正法寺 唐門【重要文化財】

 

唐破風造りと入母屋造りを組み合わせた屋根。

親柱筋の牡丹の透かし彫り。

桟唐戸(扉)の牡丹唐草の浮彫等で装飾されています。

 

 

 

 

 

 

 

唐門に掲げられている扁額の徳迎山の文字は、

徳川家を迎え入れるとも読めますが

この文字は後奈良天皇(室町時代)から

賜った額字(書)を元にしたもので

 

この扁額を掲げた頃は、

徳川家とは縁もゆかりもないどころか

徳川家は存在すら知られていなかったのですが

後に徳川家と縁深くなったのは不思議な縁ですね。

 

 

 

正法寺 庫裡門

 

 

 

 

 

 

正法寺 庫裡

 

ここまでは普段でも入ることが出来るようです。

 

 

 

正法寺 大方丈玄関・中門

 

 

 

正法寺 鐘楼【京都府指定文化財】

 

1621年(江戸・元和7年)に建立されたもの。

 

 

 

 

 

 

正法寺 庫裡内

 

ここからが通常では入ることが出来ない区域。

 

 

 

 

徳迎山 正法寺の特別拝観は、

約10人単位の拝観者に一名の観光ガイドの方が付いて

約1時間にわたって一緒に巡り

色々な事について詳しく説明をしてもらえます。

 

なんか特別の寺院感がビシビシ伝わります。

 

 

 

大方丈・本堂【重要文化財】

 

左の建物が大方丈で右奥の建物が本堂

その二つの建物に面して美しい本堂庭園があります。

 

 

 

大方丈前 手水鉢

 

手水鉢の形が亀の形をしているように見えます。

お亀の方にちなんでいるのかも知れません。

 

 

 

正法寺 本堂庭園

 

大方丈は、前三室と後三室の二列六室の構成となっていて

歴史を感じられる雄大な襖絵と上段の間等を

観賞することが出来ます。

 

それらは撮影禁止で

写真に残すことが出来ないのが残念。

 

 

 

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京都 松花堂庭園Ⅱ

2022年06月02日 | 名所めぐり(京都)

 

松花堂庭園の外園の後一つの茶室の名称は『竹隠』

どうでも良い事ではあるのですが

茶室の並びが松・竹・梅とはなっていないんですよね。

 

内園の草庵『花堂』の松からだと

茶室『竹隠』、茶室『梅隠』となって

南から北へに松・竹・梅と綺麗に並ぶので

外園の茶室『松隠』は、最後に造られたのかも。

 

なんて勝手に想像を巡らせて一人楽しみます。

 

 

 

松花堂庭園 茶室『竹隠』

 

琵琶床の四畳半の茶室。

 

琵琶床とは、達磨床とも言って

昔は楽器『琵琶』を置くために

床の間の脇に少し高い棚が設けられています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『楊梅』(ヤマモモ)

 

小学生の頃に同級生達と山に自生している

ヤマモモの実を収穫していたのですが

あれと同じ種の木なのだろうか。

 

ヤマモモを食べたことありますか。

独特の甘酸っぱい味で美味しいんですよね。

 

 

 

別館 松花堂美術館前

 

 

 

松花堂庭園 『女郎花塚』

 

八幡市には、頼風塚女郎花塚と呼ばれる二つの塚があり、

男山の東の住宅街にあるのが頼風塚(男塚)で、

ここ松花堂にあるのが女郎花塚(女塚)です。

 

人々が悲恋の結末を迎えた二人を哀れんで

二人の塚を設けたものらしい。

 

 

 

 

 

 

松花堂・書院庭園

 

ここから先が松花堂庭園の内園となるのですが

復旧工事中のため草庵『松花堂』と

その周辺のみの観賞となります。

 

 

 

草庵『松花堂』・書院庭園 玄関

 

特別公開期間の後は、再びしばらく閉ざされます。

次回の特別公開は未定で泉坊書院が復旧工事を終えて

内園が完全に公開されるのは数年先になりそうとのことです。

 

 

 

松花堂 前庭

 

 

 

松花堂 露地門

 

 

 

草庵『松花堂』

 

明治24年(1891年)に

男山から現在の場所に移築された

松花堂昭乗が隠居後に住んだ広さ二畳ほどの建物。

 

草庵とは、高潔な生活を志す者の脱俗的な侘住居

草葺ぶきの質素で小さな家のこと。

起きて半畳 寝て一畳 天下とっても二合半。

 

 

 

松花堂 石灯籠・手水鉢

 

男山から移築された草庵『松花堂』の周辺の石灯籠や

手水鉢、飛石等は、忠実に再現されているようです。

 

 

 

 

 

 

 

草庵『松花堂』は、

外園の3つの茶室とは時代感が違いますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

松花堂 かまど

 

昭乗の質素な暮らしぶりを釜戸からも想像できるのですが

これ大丈夫なんだ。こんな場所に釜戸を設けて。

簡単に火事になりそうで怖い。

 

 

 

松花堂 天井画

 

 

 

泉坊書院庭園

 

草庵『松花堂』と同じく

明治24年に男山から移築された泉坊書院は、

完全にメッシュシートで覆われていて

書院庭園は、草庵『松花堂』から

見える範囲のみですが観賞できました。

 

内園自体は、散策できそうではあるのですが

来園者の安全対策の為や復旧工事の妨げにならないよう

内園散策も中止しているのだと思われます。

 

小さな区域に多くの時間を滞在して

外園へと戻ります。

 

 

 

松花堂庭園 外園『椿園』

 

200本を超える椿園。

椿の花が咲く時期は圧巻の景色となるかも。

 

 

 

 

松花堂庭園は、約20,000㎡の広さがあり

庭園内の木々は手入れが行き届き美しい庭園で

今回の訪問では、泉坊書院は観賞出来ず

内園も散策も出来ずでしたが満足できる訪問となりました。

 

よく知られている松花堂弁当は、

昭和の初めに吉兆の創業者・湯木貞一氏が

昭乗の庵で行われた茶会で使用された

四つ切箱を見て考案したのが松花堂弁当。

 

今度、松花堂庭園を訪れた際は美術館を観賞し、

吉兆松花堂店で庭園を観賞しながら食事をし、

庭園を散策したいなあ。

 

 

 

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京都 松花堂庭園Ⅰ

2022年06月01日 | 名所めぐり(京都)

 

江戸時代初期に

書画や茶の湯に秀でた文化人として活躍した

松花堂昭乗(しょうかどう しょうじょう)は、

 

石清水八幡宮の寺坊の一つ瀧本坊の住職を務め、

隠居後は男山にあった宿坊の一つ泉坊の一角に

草庵『松花堂』を建て松花堂昭乗と名乗ります。

 

明治初年の神仏分離で

全ての宿坊は撤去されて草庵『松花堂』は、

明治24年に現在の場所に移転し

「松花堂庭園・美術館」という文化施設となっています。

 

 

 

京都 松花堂庭園・美術館

 

昭和32年(1957年)に

男山山中にある松花堂跡国の史跡に指定され

共に現在「松花堂庭園・美術館」敷地の内園にある

草庵『松花堂』とその区域国の史跡に指定されます。

 

平成26年(2014年)には、

草庵『松花堂』と『書院庭園』は、国の名勝に指定されました。

 

 

 

美術館

 

松花堂庭園は、外園と内縁に分かれていて

草庵『松花堂』・書院庭園を含む内園は、

2018年の大阪北部地震、台風被害の復旧工事のため

長らく封鎖されていました。

 

草庵『松花堂』の復旧工事終了にともない

4月1日から5月31日まで

内園の特別公開を実施されるとのことなので

友人と訪れることにしました。

 

 

 

松花堂庭園 受付

 

庭園受付での特別公開の内容説明では、

内園の立ち入りは、

草庵『松花堂』とその敷地区域のみとなり

復旧工事中の泉坊書院はもちろんのこと

内園全域の散策は出来ないとのこと。

 

「おもってたんとちゃう~。」

 

ここまで来て入園せず引き返す訳にはいかないので

外園と特別公開部分だけの観賞でも

十分に楽しめることを期待して入園することに。

 

 

 

松花堂庭園 外園

 

良く手入れされている木々を見て

入園直後から十分に満足できそうな予感がします。

 

 

 

 

庭園には、40種類を超える竹・笹類、

200本を超える椿、紫陽花、梅や桜等があり

四季の花々を楽しめるとのことです。

 

 

 

 

私達が来園した時期は、開花を終えた花と

これから開花を始めようとする花の狭間でしょうか。

園内の主役の色は、新緑の緑色。

 

 

 

 

園内の空間は、外の世界の生活音から切り離され

庭園の空間に没入出来るのも魅力的です。

 

 

 

 

外園を流れる川に三本の竹筒から流れ落ちる水音と

風に揺らめく木々の葉音が遠慮がちにさざめき、

ツツジの赤い花とオオヤマレンゲの白い花で

ほんのりと彩されています。

 

 

 

 

 

 

 

池泉に浮かぶ井戸蓋のようなもの。

まさかの井戸があったら驚きですが

さすがにないはずなので何の用途なんでしょうか。

 

池泉に浮かぶ謎の井戸蓋の有る無しで

この池泉の風景がまるで違ってきますね。

 

 

 

 

曲線加工された竹垣。

 

 

 

松花堂庭園 茶室『梅隠』

 

松花堂庭園の外園に設けられている

3つの茶室の内の一つ茶室『梅隠』は、

宗旦流(三千家)の祖『千 宗旦』好みの

四畳半の茶室を再現したものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

茶室『梅隠』 水琴窟

 

竹筒に耳を近づけると

水琴窟独特の音色を聞くことが出来ます。

水琴窟を考え付いた人って天才だと思うんですよね。

 

 

 

茶室『梅隠』 竹枝穂垣

 

 

 

松花堂庭園 茶室『松隠』

 

茶室『梅隠』に隣接してあるのが

九畳の広間や四畳台目の小間がある茶室『松隠』

 

 

 

 

閑雲軒は、小堀遠州が昭乗の為に造ったものを

再現しています。

 

 

 

 

『梅隠』『松隠』の2つの茶室を観賞し終えて

外園の残りあと一つの茶室の観賞へと向かうのですが

残り一つの茶室の名称が何なのか

もう分かるのではないでしょうか。

 

 

 

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