前回のブログでトラウマについて書かせて頂きましたが、
今まで私のブログではトラウマについて取り上げていませんでした。
それは何故なのかと言うと、
正直なところ、私はトラウマについて充分に理解できていないんです。
ちなみに私は、教科書からトラウマ(心的外傷後ストレス障害)は、
衝撃的な身体的、精神的ショックを受けるような体験をしたことから、
その後の自分に長い期間、悪影響を及ぼしている心の状態と理解。
そして、それらの原因となる体験として、
幼児虐待や強姦、戦争、大規模な自然災害、犯罪や事故等々と言われています。
このような心の傷をトラウマと命名したのが、
精神分析のジムクント・フロイトであるとか、
いや、もっと前から言われていたとか、
誰が命名したのかはどうでもいいことなので
ちょっとそれは置いておいて。
ネガティブな反応にしろポジティブな反応にしろ、
心が反応する限度枠があり、
通常はこの枠内でそれは起きます。
そして、その反応が起きると
私達が生まれ持った精神を安定させる力が働き、
一定の時間が経過すると反応は治まり通常の精神状態へと戻ります。
しかし、その限度枠を超えるような反応が起きた時には、
精神の崩壊を免れるために
次の安全システムが働くことになります。
大規模な自然災害や犯罪や事故というような
きわめて危険な体験をして、
心が抱えきれないような恐怖や不安を感じた場合には、
その出来事と正面切って向き合わないようにするために、
精神的な現実逃避、現実避難をします。
この時、個人によって様々な方法をとりますが、
「恐怖のあまりに気を失う。」もその一つです。
そうしている間にも精神を安定させようとする力が働いていて、
不安や恐怖の程度が治まってくると、
現実避難した状態から現実へと戻ることになりますが、
なかにはあまりも強いショックを受けた場合に、
現実避難の状態が長く続いてしまう人もいます。
あるいは、その出来事の記憶を無意識の中に
押し込めて無いものとすることもあります。
このような場合、記憶が顕在意識に
捉えることが出来ないだけで、
そのものが無くなった訳ではなく
何かの刺激によってその片鱗が顔を出します。
「何故か、数字の4が怖い。穴が怖い。縞模様が怖い。」等がそうです。
これらが私の感覚でいうトラウマに関わるもので、
次のようなことは、トラウマと言うべきものなのか分かりません。
阪神淡路大震災の時にあの揺れを体験し
近くの建物が崩壊したのを見て、
何カ月かは揺れに過剰に「びくっ!」身構えるようになっていました。
これもトラウマ体験と言えばトラウマ体験だと思います。
そして、「びくっ!」のまま何ヶ月か経つ内に
自然と過剰反応がなくなり、
気が付くと「びくっ!」の以前より揺れに対しては、
良いのか悪いのか分かりませんが耐性が付いたように感じます。
その他にも全く思いつきで書きますが、
「いじめを受けたことによってそれ以降、
人と交流を持つことに恐怖を感じて上手くいかない。」
「失敗を笑われてから、失敗を極端に恐れるようになった。」
「大きな事故を経験したことで自動車を運転出来なくなった。」
「両親が弟だけを可愛がり(兄だけを可愛がり)自分は褒めてもらえなかった。」
「社会的に成功しているのに満足感や幸せを感じられない。」
「言葉ではなく自分の身体を痛めつけることで抗議をする。」等々。
これらを全てトラウマ体験が原因であるとするならば、
何でもかんでもトラウマ体験という枠に収まってしまうように思えて、
以前からトラウマとはの定義がよく分からなくなっています。
そのようなことから
一般化するための仕分け作業は学者や研究者に任せて
心の平安を得るために何が必要なのか、
今を楽しめ、未来に期待を持て取り戻すために何が必要なのか、
そのことについてだけを考えるようにしているのが現状です。
催眠療法&心理療法 神戸ストレスカウンセリング・ルーム花時計